昨日は、高槻市民合唱団の練習を終えて夜9時頃に家路についた。
高槻市民会館の4階から階段を200人がいっせいに駆け下りて家路に急ぐ。
練習に通う人のなかには阪急電車に乗って隣町の島本町から来る人や茨木市から来る人もいる。
さらには京都をまたいで大津市から来る人もいる。JR高槻から電車で帰るのかな。雪で来られなかった人もいるかも知れない。
もちろん、高槻住民で車で通う人も沢山いる。
高槻市内の風信子は、北部行きのバスのでる阪急高槻市駅まで必死に小走りに歩き続けて8分には到着。
10分発のバスになんとか無事に間に合った。(次便は25分発だから急ぐのである。)
で、18分位にはマンションの部屋にたどりついた。
この間、常になくハアハアと息が切れたのは、その夜の空気が大層、冷たくて冷気が通ると鼻がとても痛く感じたからだろう。
それほど昨夜は寒かった(が、雪は降らなかった。)
ところが、メンデルスゾーンのエリヤの5番の練習のおかげなのか、身体は温くもっていて手袋は必要なかったのである。
会場が暑くなりがちなので襟の開いた服装だった。帰るときには流石に首にマフラーを巻いたが。
夜7時頃、練習会場に急ぐ時には嵌めていた手袋はハーフコートのポケットに入れたままであった。
どうやら、うまく指導してくださる先生のおかげで、歌うことで全身の血の巡りがよくなっていたのであろう。またオラトリア:エリアという曲はそういう曲であるような気もする。
以前に氣功を社会保険センターで習っていたせいか、発声練習をする前に姿勢を延ばし肩を開くアドバイスを毎回やっていると、降ろした両手の先に氣を感じる。氣を感じることも身体を温めるのかも知れない。
歌う曲も無理のないやりかたで喉に緊張を与えない歌いかたである。
「レガート。硝子細工のように丁寧に扱って歌ってください! 」
ドイツ語の発音が難しい。合唱指導の真木先生の発音を聴きとってはカタカナを楽譜に書き付けるのも難しい。書き付けた通りに読んで舌が廻るようになるのも難しい。
NHKの基礎ドイツ語講座でも見て、基本の発音を勉強したほうが良いかも知れない。
それでもエリヤの良さがチトは分かってきたような5回目であった。
今日は宮崎の友人と半年ぶり位に電話での会話を楽しんだ。
高校以来の友達だから話はあっちこっちに飛ぶが滅多に誰とも電話で話すこともなくなったから嬉しかった。
2時間に及ぶ電話が終わってから夜のニュースを見たら故郷・宮崎市の最低気温が氷点下4度6分だったと知ってビックリした。
寒気のことは話題にならなかったからだ。
南国宮崎そだちの風信子は小学校時分から、「寒い寒いというちょったら罰があたる。もっと寒いとこはあるっちゃかい。」と学校の先生に檄をとばされていた。
そうだ。北の方はモットもっと寒いだろうなあ。と思っていたが、
あにはからんや大気汚染のすすんだ大阪の衛星都市であるトカイナカの高槻は、ちいとも寒くない。
夏には光化学スモッグも出るし、温室効果のせいで高槻は冬の大概の朝は0度である。
マンションだと朝でも部屋は20度以上だし。22度から25度位の時もある。
外に出ても耳が痛くなるほどの寒さ。ほっぺたが痛いほどの冷気。なあんて事はほとんどない。
おまけにタカが0度位で雪まで降る。(あまりにも簡単に降ってくる。)
宮崎は空っ風が吹いてホンマに寒いのに雪なんか降りはしない。
そして、ちいとも寒いと思われないのに大阪人は「寒いですね。」という。
まさか、「それほどでも。」とも言えないから、「寒いですね。」と返すが
大阪人はホンマ、あかんたれやなあとも密かに思っているわけである。
職員室にしかストーブのない宮崎。
セーラー服の下にセーターが見えたりしたら叱られた宮崎。
今はどうなのかな?
最早、戦後ではないという時代に産まれて、特攻隊の生き残りだっという教師に海軍と陸軍の挙手の違いを
ブレイクタイムの話題として聞いて育った風信子は以外と寒さに強くなったのかなあ・・・。
高槻市民会館の4階から階段を200人がいっせいに駆け下りて家路に急ぐ。
練習に通う人のなかには阪急電車に乗って隣町の島本町から来る人や茨木市から来る人もいる。
さらには京都をまたいで大津市から来る人もいる。JR高槻から電車で帰るのかな。雪で来られなかった人もいるかも知れない。
もちろん、高槻住民で車で通う人も沢山いる。
高槻市内の風信子は、北部行きのバスのでる阪急高槻市駅まで必死に小走りに歩き続けて8分には到着。
10分発のバスになんとか無事に間に合った。(次便は25分発だから急ぐのである。)
で、18分位にはマンションの部屋にたどりついた。
この間、常になくハアハアと息が切れたのは、その夜の空気が大層、冷たくて冷気が通ると鼻がとても痛く感じたからだろう。
それほど昨夜は寒かった(が、雪は降らなかった。)
ところが、メンデルスゾーンのエリヤの5番の練習のおかげなのか、身体は温くもっていて手袋は必要なかったのである。
会場が暑くなりがちなので襟の開いた服装だった。帰るときには流石に首にマフラーを巻いたが。
夜7時頃、練習会場に急ぐ時には嵌めていた手袋はハーフコートのポケットに入れたままであった。
どうやら、うまく指導してくださる先生のおかげで、歌うことで全身の血の巡りがよくなっていたのであろう。またオラトリア:エリアという曲はそういう曲であるような気もする。
以前に氣功を社会保険センターで習っていたせいか、発声練習をする前に姿勢を延ばし肩を開くアドバイスを毎回やっていると、降ろした両手の先に氣を感じる。氣を感じることも身体を温めるのかも知れない。
歌う曲も無理のないやりかたで喉に緊張を与えない歌いかたである。
「レガート。硝子細工のように丁寧に扱って歌ってください! 」
ドイツ語の発音が難しい。合唱指導の真木先生の発音を聴きとってはカタカナを楽譜に書き付けるのも難しい。書き付けた通りに読んで舌が廻るようになるのも難しい。
NHKの基礎ドイツ語講座でも見て、基本の発音を勉強したほうが良いかも知れない。
それでもエリヤの良さがチトは分かってきたような5回目であった。
今日は宮崎の友人と半年ぶり位に電話での会話を楽しんだ。
高校以来の友達だから話はあっちこっちに飛ぶが滅多に誰とも電話で話すこともなくなったから嬉しかった。
2時間に及ぶ電話が終わってから夜のニュースを見たら故郷・宮崎市の最低気温が氷点下4度6分だったと知ってビックリした。
寒気のことは話題にならなかったからだ。
南国宮崎そだちの風信子は小学校時分から、「寒い寒いというちょったら罰があたる。もっと寒いとこはあるっちゃかい。」と学校の先生に檄をとばされていた。
そうだ。北の方はモットもっと寒いだろうなあ。と思っていたが、
あにはからんや大気汚染のすすんだ大阪の衛星都市であるトカイナカの高槻は、ちいとも寒くない。
夏には光化学スモッグも出るし、温室効果のせいで高槻は冬の大概の朝は0度である。
マンションだと朝でも部屋は20度以上だし。22度から25度位の時もある。
外に出ても耳が痛くなるほどの寒さ。ほっぺたが痛いほどの冷気。なあんて事はほとんどない。
おまけにタカが0度位で雪まで降る。(あまりにも簡単に降ってくる。)
宮崎は空っ風が吹いてホンマに寒いのに雪なんか降りはしない。
そして、ちいとも寒いと思われないのに大阪人は「寒いですね。」という。
まさか、「それほどでも。」とも言えないから、「寒いですね。」と返すが
大阪人はホンマ、あかんたれやなあとも密かに思っているわけである。
職員室にしかストーブのない宮崎。
セーラー服の下にセーターが見えたりしたら叱られた宮崎。
今はどうなのかな?
最早、戦後ではないという時代に産まれて、特攻隊の生き残りだっという教師に海軍と陸軍の挙手の違いを
ブレイクタイムの話題として聞いて育った風信子は以外と寒さに強くなったのかなあ・・・。
日常のことツイッターでつぶやき中。 | 大阪府ブログランキング | 高槻情報人気ランキング |
Twitterブログパーツ | にほんブログ村 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます