風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆ 祖母から聞いた幼い頃(大正時代)の話。

2011年02月12日 | ☆風信子(ひやしんす)の思い出。
昨日に続き、母方の祖母から聞いた昔の話を書き留めます。

明治も末に生まれた祖母は、父が教育者であったために、私と同様に転勤族であったようです。

現在の宮崎県西臼杵群五ヶ瀬町に赴任していったのは、おそらく大正5年以降くらいだったのでしょうか。

大正11年位から延岡~宮崎の鉄道・日豊本線が開通したらしいですが、祖母は延岡から高千穂、さらに五ヶ瀬まで行くのに鉄道馬車に乗っていったと言っていました。鉄道馬車とはレールが敷設してあるものの、馬が蒸気機関車の代わりに客車を引っ張るものらしいです。

昭和14(1939)年には、やっと日の影線(後に高千穂鉄道)が日の影駅まで開通したそうですが、その先の五ヶ瀬まではどうだったのでしょう。それまでは、よく馬車も使われたそうです。

鉄道馬車は五ヶ瀬川の川沿いをずっと走ったそうで、赴任地の五ヶ瀬というところの地形は、ウィキペディアによると

・・・宮崎県の北西部、九州山地に位置し、町域北部から北西部~西部~西南部にわたって熊本県と接する。全体的に標高が高く、特に町域南部は標高1,000mを超える山地である。北部の丘陵地が町の中心部にあたる・・・。

ということであり、渓谷を縫って走る鉄道馬車から谷底の眺めとくると、怖ろしい程の深さで大層こわかったそうです。さぞかし気分も悪くなったことでしょう。

祖母たち一家にとっては、ここでの寒さは半端なものではありませんでした。

武士の血筋の曾祖父(祖母の実父)は私が見た限りでも厳しい貌でしたが、継母も贅沢な事はさせなかったようです。学校へ行くのに、朝は髪を梳かして桃割れに結うのですが、整えるのに髪油というものは使わず、水をたらいに張り、櫛を水につけて梳きあげます。

櫛を頭に持っていくときには水が凍ってしまい、梳くとジャリジャリというのだそうです。考えられないほどの寒さ。聞くだに寒さが伝わってきます。現代に比べてもよほど昔のほうが寒かったのでしょう。

また子供は皆、髪を桃割れに結うというので京都の舞妓さんの桃割れ姿を思い浮かべたのですが、祖母から見せて貰った記念写真に写った一同(子供)たちの頭は、稚児髷というようなものでした。江戸から明治にかけて結われた子供の髪型らしいです。

その後、今度は都城へ赴任ということになり、祖母は都城の女学校を出たのでした。

続きは、また・・・。




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