今日も無事終了~。・・・
色々考えています。・・・
朝起きられるのは、ごく自然?・・・
食事が食べられるのも自然?・・・
生きて行けるのもごく自然?・・・
違いますよね。全て、自動的ではない。・・・
決してあたりまえではない。・・・
ついついあたりまえの事が、普通に見えてきますね。・・・
普通に歩いて、食べて、話をして、勉強して、働いて・・・
全て奇跡のようなものですよね。・・・
良く耳にするのが、「これくらいの点数をとれてあたりまえ」・・・
なのになぜ出来ない?なぜとれない?・・・
というような話をよく聞きます。でも、決してあたりまえではない。努力の結果がその点数です。期待はずれなら、次回更に倍の努力をすればいいのです。ただそれだけなのに、「なぜ?」「どうして出来んのか?」と悩んだり、叱ったりします。・・・
今回今まで採った事のない点数が、一教科だけ出ました。しかし、他の子や先での高校入試の事を考えるととんでもなく低い点数だったら、良くなって来ている所を一旦置いといて、駄目だと全部を否定する。これは、本人のやる気をどんどん阻害しています。・・・
指導もそうですね。どう見てもやる気がなさそうだし、眠そうだし、集中してないし・・・
本人の見えている部分だけで判断して、「やる気がないもんは教えても意味が無い」と言う判断になりがちです。これはいけません。・・・
こういう場合、指導者がその本人を全て丸ごと認めていないからです。・・・
認めていないから、否定的になる。・・・
大体が、あたりまえって何?・・・
普通に誰もが理解しているような事?世間の常識?普遍的なモラル?・・・
何もかもあたりまえには起こらない。ただ定期的に日が昇り、日が沈み、季節が移り変わる。これはあたりまえではない。・・・
色んな現象もすべてあたりまえではない。それぞれがそれぞれに影響を与えているから起こるのであって、決してそれらは普通ではない。・・・
人それぞれの尺度があって、それで人を計って判断するからそうなる。・・・
勉強もそうですよね。足し算引き算が出来る。それはそれで凄い事ですよね。世の中には出来ない人もいます。やりたくても憶えられない人もいます。・・・
憶えられなくても、日本語が書ける人もいます。きれいな力強い「書道」が出来る人もいる。・・・
これは凄くできるけれど、これは出来ない。・・・
出来ないから、全て否定しますか?・・・
それはおかしいですよね。・・・
ここは出来ないけれど、ここはとんでもなく素晴らしい!・・・
常識にとらわれていては、本質が見えなくなります。・・・
ごくあたりまえに出来ている事。それはあたりまえではないのです。・・・
そういう処を、しっかり評価してあげないで、人に教えるなんて100万年早いでぇ~・・・
そういう事を、あたりまえだと見過ごしてしまうから、道端の小さな花にも気が付かないのです。野鳥たちの鳴き声も聞こえないのです。季節の風の音や匂いにも無関心になるのです。朝、おひさんが照り付けてもありがたみを感じないのです。そういう人がこどもたちにいったい何を教えられるだろうか?・・・
あたりまえに感謝しましょう。あたりまえに出来ている所を認めてあげましょう。そして、未来はもっとすごく良くなることを信じましょう。・・・
そして、今日も言うのです。・・・
「良いぞ~!これだけ出来て来たのだから、何年後には得意科目になるぞ!どんどん進もう!必ず出来る!君は出来るんだ!」・・・
こどもたちの未来は、明るい!・・・
明日に、期待!・・・