Rー50人生100年時代の私のライフデザイン。定年後の定年のない人生。終身フリーランス。

Rー50、50歳未満入場禁止。年金に頼らず楽しく仕事を続けていくためには、しっかりしたライフデザインが必要です。

R-50 ライフデザイン:人生終盤のつまずき、熟年離婚 -「きっかけは役職定年」 

2024年08月31日 21時51分28秒 | ライフデザイン
ネットで見かけた熟年離婚の記事。

きっかけは役職定年だそうだ。

私は役職定年なるものを経験していないので分からないが、要は役職ではなくなり、給料も下がる制度らしい。

「収入がないならもう面倒はみないわ」と奥様から離婚を切り出されるらしい。

役職定年が分かっているなら、早々にもっと良い仕事を見つければよいと思うのだが。

それを行う準備も整っておらず、もともとそういうライフプランもないのだろう。

みんな役職定年なんだから僕も、といったメンタリティ。

では、その記事を。

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大手メーカーに勤めていた55歳の夫に、50歳の妻が離婚を切り出した。数年前のことだ。きっかけは「役職定年」だった。

55歳や60歳など、ある年齢に達すると管理職の肩書が一律に外され、給料も下がる「役職定年制度」は今も多くの企業が採用する。

妻から相談を受けた堀井亜生弁護士によると、この夫も役職定年の対象となり、年収はほぼ半減。社内の一線から退いたことでモチベーションが下がり、情緒不安定になったという。

老後資金を計算し、「貯金がぜんぜん足りない」と妻に激怒。これまでの家計管理を妻から細かく聞き出し、「何をやっていたんだ」「俺はこれまですごく稼いだのに」などと暴言を吐いたり、暴力をふるったりするようになった。

妻は夫から渡される生活費をやりくりしてつつましく暮らしていたが、子どもたちの学費や住宅ローン返済、夫の両親の病気などもあり、貯蓄は思ったほどできなかったという。

夫は高収入ではあったものの、頻繁に仕事の付き合いと言って飲み会やゴルフにでかけ、浪費が多かった。

子どもたちが独立することになり、2人だけの生活は耐えられないと、妻は家を出た。

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R-50 ライフデザイン:人生終盤のつまずき、熟年離婚

2024年08月24日 18時15分03秒 | ライフデザイン
20代からライフデザインを行い、日々の努力を惜しまず、それなりの社会的な地位を得ても、人生の終盤でつまずくことがある。

その一つが、奥さんから切り出される熟年離婚。

私の職場に熟年離婚した女性がいます。

元のご主人は大手企業の事業部長。しかし、そのモラハラに耐えられず息子の大学卒業と同時に離婚。

ご主人はその後も出世を続けたが幸せか?奥さんの方は、自由を満喫。息子夫婦や孫と会っておばあちゃん役を楽しんでいる。

奥さんにその兆候がないか、そっと様子をうかがってみよう。

以下、8月13日の朝日新聞の記事

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「熟年離婚」の割合が過去最高に 長寿社会、役職定年も背景に

「役職定年」後の離婚が増えているという

 2022年に離婚した夫婦のうち、同居期間が20年以上だった「熟年離婚」の割合が23.5%に上り、統計のある1947年以降で過去最高になった。離婚件数自体は減少傾向にある一方で、熟年離婚の件数は高止まりしている。高齢化により「夫婦の老後」が長くなったことで、人生を再設計するケースが増えていることが背景にあると専門家はみている。

 厚生労働省の22年の人口動態統計によると、離婚の全体件数は17万9099組(同居期間不詳の1万2894組を含む)で減少傾向にあり、ピークの02年(28万9836組)に比べると約4割減っている。

 一方で、同居期間20年以上の夫婦の離婚は3万8991組で、この20年以上、4万組前後で高止まりしている。同居期間不詳を除いた全体件数に占める「同居20年以上」の割合は23.5%で、前年から0.8ポイント上昇した。

 22年の同居期間の内訳は、20年以上~25年未満が1万6404組、25~30年が1万829組、30~35年が5192組、35年以上が6566組だった。最も多いのは同居期間5年未満の離婚で5万2606組(全体の3割超)だったが、その数や割合は年々減ってきている。人口減などで婚姻数自体が減っていることが影響しているとみられる。

 熟年離婚の比率が高まっている背景について、専門家は長寿社会の影響を指摘する。

 NPO法人・日本家族問題相談連盟理事長で離婚カウンセラーの岡野あつこさんは「1950年ごろの男性の平均寿命は約58歳。定年後、夫はそれほど長く生きる存在ではなかったが、今や男性の平均寿命は81歳と、戦後、平均寿命は大きく延びた。このため、子どもが独立すると定年後に夫婦で過ごす時間が長くなり、性格の不一致などから一緒にいることに耐えられず、新しい人生を歩みたいと夫婦関係をリセットしようとするケースが目立つ」と話す。

 家計をめぐる環境の変化がきっかけになることも。これまでに2千件を超える離婚訴訟や夫婦トラブルを扱ってきた堀井亜生弁護士は「以前は夫の定年退職がきっかけで離婚するケースが多かったが、最近はその前段階での離婚相談が増えている」と話す。

 一定の年齢で管理職から外される「役職定年」などで年収が大きく減ることで夫婦間に亀裂が生じ、離婚に至るケースも目立って増えているという。(編集委員・森下香枝)

<「俺は大丈夫だ」>

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(3)- 彷徨う魂

2024年08月18日 09時46分00秒 | 博満やめるってよ
大学講師と葬儀屋のバイトの二束のわらじがスタートした。

博満のような仕事の仕方をする人は少ない。

会社で役職、特に役員になったような人は、今までと同様に威張れる、ゴマをすられる立場にいたいのだ。

実際、親会社で役職に就いていた人は、扱いが難しく、子会社や関連会社でも鼻つまみになるケースが多い。

ただ、親会社から頼まれたから、関連会社から頼まれたから、断れないから、受け入れただけなのだ。

なのに、本人は役に立っていると心から思っている。

博満は一度だけ日本企業(大手商社の子会社)に席を置いたことがあった。

そこでの会話。

「博満さん、どこの大学?」「僕はね、日比谷高校から東大の法学部。本社では・・・・・」

聴いてねーよ。今は子会社の顧問でしょう!

それが分かっている博満、さっさと今までいた業界を卒業し、別のことを始めた。

博満は新しい物好きともいえる。

その一つが葬儀屋のバイト。

仕事内容は、葬儀場の夜勤。

夜、6時に到着し、翌朝の8時まで勤務。

12時以降は寝て良いとのことで、折りたたみ式のベッドで寝て、7時には起きる。TVを見ても構わない。

具体的な仕事は、

・夜間にかかってくる顧客からの電話を受け、一時対応し、営業に通知
・夜間に訪れる弔問客への対応。ご遺体を冷蔵庫から出し、お線香などを準備。
・ご遺族が泊まり込んだ場合の質問対応。例えば、「コンビニは?」

である。

つまり、ご遺体とともに葬儀場に泊まり込むのが仕事だ。

ご遺体は冷蔵庫に保管。最大6体まで収容可能。冷蔵庫の温度は5度(チルド状態)に設定。

泊まり込む事務室の隣に冷蔵庫が設置されており、なんとなく夜中に現生に未練のある霊魂が彷徨いでてくるような気がして、しばらくは落ち着かなかった。

が、好奇心旺盛の博満、ここでも大きな学びを得た。詳細は来週。

<葬儀に関する知識を活用する場は少ないが、知っていると親族が亡くなったときに役立つ>

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(2)- 1日、3500円

2024年08月10日 22時55分30秒 | 博満やめるってよ
大学講師の仕事は、週二回90分授業を受け持つ。

講師業は博満の好きな仕事の一つで、サラリーマン時代も専門学校の講師を引き受け、3年続けた。

幸い、競合会社の手伝いなどビジネスに影響を与える仕事は許されないが、
本人の能力開発や社会貢献に役立つ仕事に就くことは認められていた。

博満のような役員は、退職後、あるいは退職前に、別会社の社外取締役に就く人もいるわけだが、博満は現場が好きなのだ。

専門学校の講師の時給は1万円。

授業の準備に授業時間の10倍かかるとはいえ、悪くない。

テキスト作成費やテストの作問・添削費は別にもらえるのだ。

一方、大学講師の仕事は時給3500円。

これも他の仕事と比べてると悪くなさそうだが、授業の準備の時間を考えると、ほぼボランティア。

ただ、教える楽しさはある。

博満は中小企業診断士の資格を持っており、製造業の営業をテーマにほそぼそと活動をしてきた。

その縁で、大学講師の仕事ももらえたわけだが、もう少し違う分野を研究してみようと博満は考えた。

レストランやコーヒーショップ、居酒屋などの飲食業や八百屋、魚屋などの個店経営などは書籍もあり勉強していた。

全く知らない世界に飛び込んでみたい。

風俗産業。

ちょっと無理。やくざがらみになったら大変だし、はまったらさらに人生を誤るかも。

では、キャバクラ、ホストクラブ、ショットバーなどの、いわゆる水商売はどうか。

普段からモテモテの博満。

ホステスとまずい関係になり晩年の人生設計を誤ってはと考えた。

では、葬儀屋はどうか。

華やかさには欠けるが、高齢化社会の進展にともない、きっと儲かっているはず。

葬儀屋の仕事について人生を誤ったという話は聞いたことがない。

地味な業界だ。

という訳で、早速、葬儀屋の募集広告に応募し、見事合格。

夜勤の仕事を始めることになった。ちなみに、一晩、1万円。

役員までやった博満の仕事じゃないぞ、と言われそうだが、好奇心が勝る博満、お構いなし。

大学講師と葬儀屋のバイトの二束のわらじのスタートだ。

<最近の散歩コース、青山霊園>


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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(1)- 自由の身に!

2024年08月05日 09時53分15秒 | 博満やめるってよ
博満がサラりーマンから足を洗ったのは60歳のときだった。

定年退職ではなく、希望退職に乗ったもの。

米国メーカーの新規事業開発担当役員だった博満、10年ほど日本の子会社に席を置いていたが、
組織的には米国の新規事業部に属していた。

いわゆる「レポートライン」は米国の役員、日本法人は宿を借りているようなもの。

それが一年ほど前から、レポートラインが日本法人の社長に代わり、
わがままな博満、途端に息苦しく感じるようになった。

細かい報告が求められるようになり、社長と近しい営業マンが博満の組織に送り込まれてきた。

国内外を自由に飛び回り新規事業を伸ばす、実際にそうしてきたと自負する博満。

しかし、残念ながら、管理されるのは嫌いで我儘な性格の博満には向かない組織に変わってしまった。

そこに降ってわいたリストラの話。6か月分の割増退職金がでるとのこと。

役員にもこの制度が適用されるのか、人事に確認すると、OKとのこと。

で、先のことも考えずに退職を決心。

晴れて自由の身に!

ライフデザインどおりではないぞ。

しかし、それまでに4回ほど転職していたので、博満は心配もせずマイペース。

なんとかなる。まずは旅行の計画だ。

という訳で、米国ロサンゼルスと中国への旅行を実施。気分転換だ。

そうこうするうちに、退職の話を聞きつけた知人から、大学講師の話があり、教授と面談。

これは今までいた業界のネットワークではなく、中小企業診断士のネットワークからの紹介。

いろいろな人的ネットワークを構築しておいてよかったの~。

大学の講師は、やりたいことの一つだったので、博満は乗ることにした。

<退職直後のロサンゼルス旅行>
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