近くの神社の秋祭りが、10月8、9日にありました。
雨にそなえてビニールにおおわれた「みこし」と「だし」でしたが、さいわいにも天気予報がはずれてくれて、無事に地域のひきまわしを終え、夜7時すぎ神社に戻ってきました。
いなか祭りならではの、なごやかな雰囲気です。
地元の老若男女が長年守り続けてきた活気ある伝統がここにありました。
普段はほとんど人影もない神社が、おおぜいの人であふれかえっています。
「みこし」や「だし」の細工も立派なこと。
若者たちがセッションするお囃子もみごとでした。
そしてフィナーレには、打ち上げ花火もあるのです。
大正時代までは、この神社前の道で競馬が行われていたという記録ものこっています。
余談ですが、この農村エリアでは、かつて農家は農作業用の牛をかならず飼っていたそうです。
また、酪農発祥の地とされる南房総周辺には、今でもあちこちに大小の牧場があります。
一般の農家でも、庭先のせまい牛舎につないで何頭かの乳牛を飼っては、搾乳した生乳を集乳車にあつめに来てもらい、収入源としています。
(牛さんにはとても過酷なくらしです...涙)
さてさて、話を祭りの花火にもどします。
今年の打ち上げ場所は、神社から少しはなれた田んぼのなかへ移動しました。
というのも、他地区の祭りで花火をあげたところ、その音におどろいた牛が乳をださなくなり減収になったというトラブルがあったそうで、今年はこの神社でもちかくの酪農家に配慮して、打ち上げ場所を遠ざけたのだそうです。
(酪農家の収入だけでなく、牛さんの快適な生活環境も配慮してもらいたいところです...涙)
このエリアの住人のほとんどは、祭りの打ち上げ花火を楽しみにしています。
何といっても、祭りのフィナーレ、一年ぶりのクライマックスです。
でも、近くにいる動物たちにとっては、恐怖そのもの。
自然界にはありえない、爆音と閃光、火薬の悪臭、空気の振動など、動物たちにとっては、まさに総毛だつ思いでしょう。
かくいうわが家でも、シェルティー・ラン吉は、花火がはじまると同時にパニックにおちいりました。
打ち上げ場所が移動したことで、あろうことか、昨年よりもわが家に近い場所で花火があがってしまったのです!
ラン吉去年は平気だったので、うっかり油断していました...
わたしはパニック状態のラン吉をだきかかえて、急いで寝室に逃げ込みました。
扉を全部しめきってゆっくりとベッドにだきあげると、ラン吉、わたしのひざに鼻ツンして、今にも泣きだしそうな表情で見つめてきました。
恐怖におののくラン吉と目があって、もうわたしの方が泣きそうです。
(緊急事態により、写真はありません・・・)
10分ほど一緒にベッドでなだめあって、ようやく爆音がやみました。
「そろそろ終わったかな」と声をかけると、ラン吉、満面のニッコリ笑顔でわたしを見あげてきました。
心の底からホッとしたうれしそうな表情でした。
地域の祭りなどの伝統や文化は、少子高齢化のなか、守り続けるのは貴重なことです。
一方で、地域に暮らしているのは人だけでなく、人に飼われたり人のために働いている多くの動物たちがいます。
かれらは、悲しいかな、つらいことを「嫌だからやめて」と言えません。
毎日を快適にくらす権利は、人だけでなく動物たちも持っているので、日々の心配りがとても重要であると思います。