シェルティー ラン吉

拙者シェルティーラン吉でござる ラン吉のランは「団らん」のラン 一度しかない今日もろもろをラン吉ママがしたためまする

きゅうりのQさま?

2012-06-27 21:58:24 | ママのご飯

きゅうりをきります  塩をふってしんなりさせて、しぼります

漬け汁を煮たてます  しょうがと鷹の爪もいれます

きゅうり投入~  [さめたら取り出し、漬け汁を煮立たせてまた投入~]×3回

 

時間がたてば、色も濃くなり、もっと漬かっておいしくなります

  ごちそう様でございました   

 


ポチの思い出ものがたり 12

2012-06-26 22:40:18 | ポチの思い出ものがたり

ポチがいなくなって、数年たちました。

S少年は、近所の飼い犬に顔をかまれてしまいました。

 

S少年のお母さん

「わが子Sが、顔をかまれたことが原因で、犬を怖がるようになっては大変だ

小学校に通うにはバス通りを渡らなければならないのに、犬に追いかけられでもして、交通事故になんかあっては一大事だ」

というわけで、S少年が犬を嫌いにならないように、今度は一家できちんと犬を飼うことにしました。

 

ちょうどその時、S少年のお父さんの仕事仲間が、生まれたての子犬をくれました。

子犬は、すんなり、2代目「ポチ」と名づけられました。

 

まだまだつづく~ ポチの思い出ものがたり~

 

えええええ マジですか~~~ まだ、つづくの!! もう~~~!!

 

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「ポチの思い出ものがたり~」は、2代目「ポチ」に続きます・・・

このあとは7月以降にアップいたします。

どうぞお楽しみに。

 


ポチの思い出ものがたり 11

2012-06-25 23:17:05 | ポチの思い出ものがたり

数日して、麻疹の治ったS少年と姉たちは、「ポチがいない、ポチがいない」と大さわぎしました。

「野犬狩りにあったとはかぎらないよ。もう少し待ってごらん」と父母に言われても、納得できるものではありません。

「ポチをさがして、さがしてつれて帰って来て」と、口々に言いたてます。

「お前たちの看病にかかりきりで、ポチをさがしに行くひまはなかったんだよ」と言われても、幼い子どもたちは、あきらめきれません。

近所の家を一件ずつまわって、ポチが来ていないか、聞いて歩きました。

いつもは行かないような遠くにまで、ポチの姿をさがして歩きまわりました。

S少年の母親は、おとなりのお兄ちゃんの力も借りて、くさりと首輪を買い、電車とバスを乗りついで保健所にポチをさがしに行きました。

しかし、「何日も前の話をされても、茶色の小さい犬なんて、たくさんいて分からないよ。今はいないよ」と、ろくに相手にもされません。

「ためしに、いつものエサをおいてみよう」と、汁かけ飯を縁の下においてみましたが、むだでした。

 

それきり、ポチは、二度と再び戻ってくることはありませんでした。

 

ポチには、なんというかわいそうなことをしてしまったか。

本当に野犬狩りにつかまったのか、すぐにさがしに行ってやれなかった。

こわさに震えながら、家族が救いに来てくれるのを待ちわびていたかもしれないのに。

S少年の両親は心の中で泣きながら、詫びることしかできませんでした。

 

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S少年のエピローグ

 

なあ、ポチよ

おまえをすぐにさがしに行ってやれなくて 本当に本当にわるいことをしてしまった

おまえはちっとも悪くない

なのに、ヒトの都合でさらわれて、ヒトの都合で殺された?

どんなにか こわくて、さびしい、つらい思いをさせてしまったのか・・・

そんなポチにむかって、どんな言い訳もできやしない・・・

 

ポチよ ポチ  おまえは、ほんとうにかわいそうな犬だった

我が家をえらび、我が家にいついて、家族みんなを愛してくれたのに

ポチよ ポチ  おまえは、ほんとうにかわいそうな犬だった

汁かけ飯をもらう以外に、なんにもしてもらったことなんてなかったのに

 

ポチよ ポチ  おまえは、ほんとうにかわいそうな犬だった

どうして、あんなことになってしまったんだろう

悔いても悔いても、どうしようもない

おまえのことを覚えているヒトも、もうこの世に数えるほどしかいなくなってしまった

なあ、ポチよ、 勝手なお願いだけれど、あやまらせておくれ  

許してなんて言わないから

 

ポチ ポチ  なあ、おまえ

おまえをかわいがってくれたお父さんやお母さんやお姉ちゃんに、あの世でちゃんと再会したか

おまえをかわいがってくれたお父さんやお母さんやお姉ちゃんに、あの世でちゃんとまた、かわいがってもらっているか

 

今ならば、栄養万点のおいしいご飯を、腹いっぱい食べさせてやれるのになあ

今ならば、からだもきれいにしてやって、楽しいおもちゃで遊んでやれるのになあ

今ならば、ふかふかの布団にも寝かせてやって、もっともっとかわいがって、もっともっと甘えさせてやれたのになあ

 

なあ、ポチよ ポチ  おまえは、我が家にいついて幸せだったか

一体どうして、我が家をえらんでここに住むようになったんだ

なあ、ポチよ ポチ  おまえ、家族のみんなと一緒にいて楽しかったか

一体どうして、この家族をえらんでここに住むようになったんだ

 

ひょっとして、ポチよ、 おまえ、ここにいるのが好きだったのか

みんなといるのが好きだったのか 楽しかったのか

そうか そうか そうだったんだなあ

 

おまえは、ここにみんなといて幸せだったんだな

それならいい  それならいいんだよ ポチ

 

ポチよ ポチ  ポチよ ポチ

いくら呼んでも思い出しても、もうずっと、ずっとずっと昔のことだ

おまえがここにいたという証しは、もう何もないんだよ

おまえがここにいたことを覚えているヒトの心のなか以外には

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S少年の胸は今でもはりさけそうなくらい打ち震えて、あのポチを愛してやまない

 

ポチよ おまえのことだよ わかるか ポチよ

 


ポチの思い出ものがたり 10

2012-06-22 22:45:50 | ポチの思い出ものがたり

ポチの姿がみえなくなったちょうどこの日には、さらに不運が重なっていました。

子どもたちが、次々と麻疹にかかっていたのです。

S少年のお母さんには、日常の家事のほかに、子どもたちの看病が加わりました。

頭をひやす氷嚢にいれる氷も、遠くまで歩いて買いに行かなくてはなりません。

家に電話もない時代ですから、小児科医の往診をお願いするのにも、わざわざ歩いていかなければなりません。

当時は、子どもが病気になると、小児科医の先生が家に往診に来てくださいました。

子ども達は、色とりどりの紙風船のような小さなおもちゃにだまされて、素直におしりをだして、注射を打ってもらいました。

麻疹や風疹や百日咳など、こども達はとにかくよく病気をしました。

栄養状態も衛生環境も、今とはまったく違っていたのでしょう。

 

日本中が、国の復興と生活の再建に、無我夢中で取りくんでいた時代でした。

 

結局、ポチの姿が見えなくなったこの時、本当にポチが「野犬狩り」につかまったのか、確かめられるおとなはいませんでした。

 

S少年の両親は、どうかポチが無事に帰ってくるように、ただただ祈るばかりでした。

 


ポチの思い出ものがたり 9

2012-06-20 22:58:30 | ポチの思い出ものがたり

狂犬病は、恐ろしい病気です。

 

狂犬病のウイルスにおかされた動物に噛まれるなどして、傷口からウイルスが入り感染・発病すると、致死率は100%と言われています。

それは確立された治療法がないためで、ワクチンで予防するのが効果的と言われています。

 

犬の登録と狂犬病のワクチン接種を飼い主に義務づけた法律が施行されたのは、戦後5年たってからでした。

でも、国中の暮らしはまだまだ貧しく、法律ができたからといって、犬の注射や登録などに、お金も時間もかけてはいられないというヒトは、少なくなかったにちがいありません。

 

ポチが「野犬狩り」にあったらしいという話を聞き、S少年の両親は焦りました。

保健所に引き取りに行かなければ、ポチは殺されてしまうのです。

 

でも、だれが、ポチの引き取りに保健所に行かれるか、それが問題でした。

S少年のお父さんは、毎日朝早くから深夜まで、仕事をかけもちして一家を養っていました。

朝、工場にいつものように出勤して、いったん家に帰ってきて夕飯をたべてから、今度はまた別の仕事に行くのです。

高度経済成長をむかえる前は、賃金の低かった労働者は、このような自衛手段をこうじて、一家の生活をささえていたのでした。

 

一方、S少年のお母さんは、一家の家事と四人の子どもの子育てで、息つくまもありませんでした。

洗濯機も電子レンジも冷蔵庫もない時代、S少年のお母さんは、朝まだ暗いうちから起きだして七輪でご飯を炊き、井戸にかかんで手で洗濯物をあらい、一日中やすむまもなく、一家六人の生活にかかる重労働をこなしていました。

一番上の子がようやく小学校にあがった年頃ですから、何につけても、子どもたちには母親の手が必要です。

S少年のお母さんにとって、毎日の生活を精一杯まもることが、生きること人生そのものでした。

 

S少年の両親は、ポチのことを気にかけながらも、ほかに優先することが、目の前にごまんとあったのでした。

 


ポチの思い出ものがたり 8

2012-06-18 22:44:29 | ポチの思い出ものがたり

ある日、ポチは家からプラプラと遊びにでていきました。

いつもの通りの日課です。

家族のみんなは、ポチの姿がみえなくなっても、どうせすぐに帰って来るものと思って心配しませんでした。

そんなことはよくあることだったのです。

でも、この日ばかりは、そうではありませんでした。

いつまで待っても、ポチは帰ってきません。

夕ご飯の時間になっても、夜が明けて翌朝になっても、ポチは帰って来ませんでした。

隣組のおとな達は、「野犬狩りにつかまったのだろう」とささやきあっていました。

近所の子ども達は、「犬さらいが来たのだろう」と耳打ちしていました。

 

ポチが、日ごろ工場や銭湯まで、自由にヒトについて行くことができたのは、リードなどつけていなかったからです。

当時、このあたりでは、犬の放し飼いは当たり前でした。

どこの家でも、ただ残り飯をやっているだけという軽い気持ちしかなく、きちんと犬を飼っているというような責任感はなかったのかもしれません。

 

当時、保健所は狂犬病を撲滅するために、ノラ犬や放し飼いの犬をあつめて殺していました。

いわゆる「野犬狩り」です。

狂犬病についての知識は広まりつつありましたが、「うちの犬は大丈夫、変わったところはないし」と受け流すヒトが大半だったようです。

 

S少年の両親に、どれほどの自覚と認識があったものか・・・

 


ポチの思い出ものがたり 7

2012-06-15 22:54:59 | ポチの思い出ものがたり

S少年が子どもだった昭和二十年代、三十年代頃、家のなかに風呂のない住宅は、めずらしいことではありませんでした。

S少年のお家もそうでした。

お風呂に入るには、一家みんなで銭湯へ行くのです。

洗面器にせっけんやタオルをいれて、カラカラと音をたてながら、連れだって歩いていくのです。

お山の公園(川崎市中原平和公園)のあるこの付近にも、銭湯はあちこちに何軒もありました。

神奈川県のこのあたりには、黒い色の地下水脈が流れているそうですが、それをくみ上げて沸かしたのが、いわゆる「黒湯(くろゆ)」です。

銭湯の浴槽は、普通のお湯だけでなく、この「黒湯」があるのも、めずらしくはありませんでした。

 

夕方になり、一家が銭湯にむかって歩いていくと、ポチはみんなの前になり後ろになりしてチョロチョロとついて来ます。

そして、銭湯の中にみんなが入って行ったのを見届けると、入り口から少しだけはなれたところでふせをして、みんなが銭湯から出てくるのをおとなしく待っていました。

みんなが湯上りにお水を飲んで、銭湯からでて帰り道につくと、またまた、一家の前になり後ろになりしてチョロチョロとついて来ます。

家と銭湯の往復が、ポチの夕方のお散歩がわりでした。

 

ポチは、家族みんなにかわいがられていました。

ポチも、家族のみんなが大好きでした。

 

ところが、ある日・・・

 


ポチの思い出ものがたり 6

2012-06-13 21:27:49 | ポチの思い出ものがたり

ポチは、毎日、汁かけご飯をもらってはよろこんで食べ、えんがわの下で寝ていました。

みそ汁には、だし用の煮干しがそのまま入っていましたから、ポチにとってはごちそうでした。

 

そのうち、S少年のお父さんが自転車に乗って工場へ出勤するのにくっついて行き、やがて工場の門のところまで、毎朝一緒に走っていくようになりました。

そして、S少年のお父さんが工場の門のなかに入っていくのを見届けると、ポチは、ちゃんとお家に帰ってきました。

しばらくすると、毎日夕方には、工場の門のところまで走っていって、S少年のお父さんをお出迎えするようになりました。

もちろん、だれかが仕込んだわけではありませんでした。

ポチは、S少年のお父さんのことが大好きだったのです。

S少年のお父さんも、ポチの顔中をなでまわしてかわいがっていました。 

ポチは、少しでもながくS少年のお父さんと一緒にいたくて、朝にも夕にも送り迎えするようになったのでしょう。

 

それでも、ポチの体は ホコリだらけ 泥だらけ

ノミもダニもつき放題  爪もひげものび放題  トイレはあちこちやり放題--

 

ポチは、何を教えてもらえるわけでもなし、何かを買ってもらえるわけでもなし

ただ、居心地のいい場所でエサをもらってかわいがられ、ひたすらのんびりと遊んで暮らしていたのです。

 


ポチの思い出ものがたり 5

2012-06-11 22:27:02 | ポチの思い出ものがたり

ポチは、親もわからない、ノラ犬でした。

 

昭和二十年代、三十年代頃には、そこここにノラ犬が闊歩していました。

 

戦後まもない頃は、ヒトの生活も、闇市などに支えられた貧しい時代でした。

そんな時にでも、イヌをかわいがるヒトはたくさんいました。

だから、ノラ犬も、なんとか食いつなぎながら町なかで生きてこられたのでしょう。

戦争中でさえ、イヌの供出のお達しがあっても、隠してでも愛犬を手放さなかった人々もいたということです。

 

ポチがS少年の家に住みついた頃、戦後の復興にむけて、日本が進みはじめたその頃。

家と家との間には塀どころか垣根もないような、生活共同体がありました。

板塀の平屋のトイレは、もちろんポッチャンです。

みそや醤油を貸し借りしあう、長屋のようなご近所づきあいでした。

家と家との間には空き地もいっぱいありましたから、道なんて歩かずに、空き地をつっきって、家までの近道を通るのは当たり前でした。

 

そんな時代でしたから、ポチは、S少年のうちに住みついたとはいえ、当然のことながらお家の外にいました。

保健所に登録もしない、首輪さえしない、半分ノラのような生活です。

ポチは、S少年のおうちにいれば、ねぐらとエサの心配がいらなくなったので、ウロウロしなくてすむようになりました。

それで、居ついただけかもしれません。

 

でも、ねぐらといったって、えんがわの下にかってにもぐり込んで寝るのです。

エサといっても、ねぎの入ったみそ汁かけご飯をもらえるだけです。

それでも、家族のみんながかわいがってくれるので、ポチは、S少年のうちの子になったつもりだったのでしょう。

 

ポチにとっては、落ち着けるねぐらとエサと愛情の他には、なにもいらなかったのです。

 


ポチの思い出ものがたり 4

2012-06-08 22:47:20 | ポチの思い出ものがたり

日本が降伏して、ようやく長い戦争は終わりました。

 

やっと人間らしい生活にかえれる希望がみえてきました。

でも、多くの人々は、疎開生活からすぐに元の生活に戻れたわけではありません。

S少年の一家も例外ではありませんでした。

疎開前にすんでいた東京の借家は、あとかたもなく空襲でやけてしまい、帰れる場所はありません。

S少年のお父さんが生活をたて直すめどをたてて、一家そろって今の場所に住めるようになったのは、戦争が終わってから6年もあとのことです。 

S少年が、まだヨチヨチ歩きの頃のことでした。

 

S少年のお父さんは、疎開するまで、戦闘機のプロペラを作る工場に勤めていました。

戦争が終われば、工場ではもはや戦闘機は作りません。

それでも、S少年のお父さんは、同じ工場で働けることになり、いろいろな物を作るお仕事をして一家を養いました。

 

働けば自分たちで食べ物を買える、自分たちだけの生活がおくれる、新しい暮らしが始まりました。

まだまだ日本国中が貧しかった、でも希望のあった時代でした。

 

ノラ犬も、ノラ犬なりの生活を楽しんでいました。

 


ポチの思い出ものがたり 3

2012-06-06 23:07:01 | ポチの思い出ものがたり

S少年がうまれる前のこと――

 

日本は、おこしてはいけない戦争をおこしました。

戦争は、日本人だけでなく、世界中の多くの人の人生を狂わせました。

日本は、国をあげ世界を巻きこんで、不幸にむけてつき進んで行ったのです。

人々の命が、ごみのように捨てられました。

戦争で得をした人間なんて、ひとりもいません。

日本は、戦争という名のもとに、人同士で殺し合いをしました。

そして67年前、日本がまけて戦争は終わりました。

 

その戦争のさなか、空襲がはげしくなってきたので、S少年の両親は東京をはなれ、親戚をたよって、一家で長野に疎開しました。

疎開生活は、肩身のせまい、いそうろう暮らしです。

ひもじくみじめな生活は、疎開した者にとってつらく厳しいものでした。

いくら親戚とはいえ、その日の食べ物にもこと欠く暮らしの中、都会から逃げてきた者は、やっかい者以外のなにものでもありませんでした。

着物を売り家財を売り、農家に食べ物をわけてもらえるうちは、まだましでした。

売るものもなくなり農家に相手にされなくなれば、たちまち飢えます。

一家族が、なにも持たないはだか同然のありさまで、生きていかなければなりません。

物をひとつ借りるのにも頭をさげる以外に方法はなく、S少年の両親は苦労して、つらい疎開生活をおくりました。

 

それでも、出征や空襲で亡くなった者はおりませんでしたから、他の多くの人々からみれば、まだまだ恵まれていたに違いありません。

戦場や空襲で亡くなられた方々はたくさんいらっしゃいました。

お弔いもなく、家族みんなが亡くなられたご一家もありました。

また、年端のいかない子ども達がたくさん孤児になりました。

駅でたむろしていたあの子ども達は、今どうして暮らしているのでしょうか。

戦場や空襲で亡くなられた方々も、そして生き残った者達も、あるべき自分の人生をまっとうできなかった悔しさを、なにで晴らせばよかったのでしょう。

 

戦争のせいで、命も物も焼けました。

だから、戦争が終っても、日本は国中が貧しかったのです。

まずは、失った物を取りもどすところから始めなければなりませんでした。

みんな懸命に働きました。

でも、どんなに努力しても、失った命を取りもどすことだけはできませんでした。

 

戦争で幸せになった人は、一人もいませんでした。

 


ポチの思い出ものがたり 2

2012-06-04 22:41:27 | ポチの思い出ものがたり

ポチはノラ犬 オスのイヌ 茶色の雑種 孤独イヌ

いつどこで、どんな親から生まれたか、知ってるヒトはだれもいない、天涯孤高の一匹イヌ

ヒトに飼われていたものか、ヒトから逃げてきたものか、はたまた、ヒトに捨てられたのか、氏も育ちもわからない

いったいぜんたい、どうやって、生きてきたのか、生きのびたのか、だあれもしらない名無しイヌ

 

そんなイヌが、どこをどうしてたどり着いたか、S少年のお父さんにすっかりなついて、とうとう家のえんがわの下に居ついてしまいました

S少年のお父さんはイヌが大好き

ノラ犬は晴れて「ポチ」という名前をつけてもらい、毎日えんがわの下でエサをもらえることになりました

 

「ポチ」は茶色の迷いイヌでした。  今から半世紀以上も前のお話です。

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(ラン吉パパのイニシャルをとって、主人公をS少年とよぶことにします。)

 


ポチの思い出ものがたり 1

2012-06-01 23:33:56 | ポチの思い出ものがたり

ラン吉のモノローグ---

 

ぼくは、おうちの中に住んでいます。

ヒトのおうちの中にイヌ用のハウスがあり、夜はその中にふわふわクッションのベッドを入れてもらって寝ます。

朝起きれば庭にだしてもらい、きまった場所でおトイレをします。

朝は、散歩の前か後に、イヌ専用のエサを重さをはかってもらって食べます。

煮干やゆでた鶏肉や野菜をのせてもらうこともあります。

ひまになれば、昼寝したり、ひもをかじったりして過ごします。

おやつの時間には、お店で売っているたくさんの種類の中から、一つか二つをもらって食べます。

夕方のお散歩では、お友だちのワンちゃん達と挨拶したり、ボールや音の出るおもちゃで遊びます。

夕ご飯をもらった後は、マッサージや歯ブラシをしてもらいます。

寝る前には、ヒトのひざの上で、まったりとくつろぎます。

 

お友だちの中には、衣装持ちのワンちゃんもいます。

イヌの学校やスポーツに通ったり、ヒトと一緒にプールや露天風呂にはいったり、一食何千円もするごちそうを食べさせてもらうワンちゃんもいます。

ぼくは、そんなぜいたくはさせてもらえないけど、寒い時には肉球にクリームをぬってもらい、暑くなれば首に保冷材をまいてもらいます。

ぼくは、今のこんな暮らしが当たり前だと思っていました。

パパの昔の思い出、「ポチの思い出ものがたり」を聞くまでは・・・

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パパは、ぼくの顔をなでながら言います。

「ラン吉、お前は幸せなイヌだなあ~

こんなにきれいにトリミングしてもらったり、注射や薬で病気の予防をしてもらったり、栄養たっぷりのご飯やおいしいおやつまでもらって食べてなあ~

専用のおもちゃもいっぱい持っていて、たくさんのお友だちと遊んでなあ~

それにひきかえ、なんとポチはかわいそうなイヌだったんだろう~

ポチがかわいそう ポチがかわいそう」と、パパはうっすらと涙をうかべています。

 

ポチとは、パパが子どもの頃に飼っていたイヌの名前。

パパが話してくれたポチの思い出のお話を始めます。

 

また、連載物ですか~!! ほどほどにお願いします~・・・