【 Single Data 】リリース:1972年11月チャート:Billboard 1位カーリー・サイモン何故か・・・不思議なアーティストでした!今でこそ、その区別ははっきりしていますが、同時期に大ブレイクしたキャロル・キングと微妙に重なる部分があって、当時、この二人のバイオグラフィはごちゃ混ぜ状態でした(#^.^#)何がそうさせたのか?微妙にトライアングル同時期にヒットしたキャロル・キングの「 . . . 本文を読む
つづれおり(完全生産限定盤)(紙ジャケット仕様)(SACD HYBRID)キャロル・キングSMJ 【Album Data】リリース:1971年2月10日チャート:Billboard1位、オリコン1位、全英4位キャロル・キングが1971年に発表した世紀の傑作『Tapestry つづれおり』15週連続で全米No.1を記録したこのアルバム、世代を越え、あるいは「自分の好きなジャンル以外はねえ~ . . . 本文を読む
つづれおりキャロル・キングSony Music Direct 【Album Data】リリース:1971年2月10日チャート:Billboard1位、オリコン1位、全英4位"Lennon-McCartney"の憧れだった!1962年、ビートルズがデビューした頃のレコード業界の常識は、プロの作詞、作曲家の手によって書き上げられた曲を契約しているシンガーがレコードにするといった分業制が当たり . . . 本文を読む
必殺技!ごちゃごちゃ我儘を言う女は・・・キスで黙らせるに限る!👄このパターン、映画の場面で、よく使われます!インディ・ジョーンズ2の『魔宮の伝説』の最後の場面でも、ハリソン・フォードが、クラブ歌手の女性にブチュッ!このパターン、その直後、その相手が、それに応え、背中に手を回してくれれば問題ないけど・・・(#^.^#)のけ反りながら、胸に手を当てられ、突き飛ばされでもしたら、犯罪者として告発される可 . . . 本文を読む
【 Single Data 】リリース:2023年11月3日チャート:全英1位、Billboard 7位ビートルズ最後のシングル正直言って、このシングルをビートルズの曲と言っても良いのだろうか?こんな気持ちがありました!今日ご紹介する「Now And Then」は、ジョン・レノンが生前ニューヨークの自宅“ダコタハウス”で1978年にデモテープに収めたものを元にポール・マッカ . . . 本文を読む
“本当はプログレッシブ的なアルバムを作る予定だった!”『Band On The Run』についてインタビューされた時、ポール・マッカートニーはこの様に答えました。1973年夏、新作をアフリカでレコーディングしようと準備を進めていたポール・マッカートニーでしたが、リードギタリストとドラマーが相次いでバンドを脱退した事により、残ったのは彼とデニー・レーンと音楽素人のリンダ・マッ . . . 本文を読む
1973年4月8日、画壇の巨匠が天に召されました。食事の後、同席した友人達に向かって、「友よ、私の為に私の健康の為に飲んでくれ、私はもう飲むことが出来ないから」と言い残し、部屋に引き揚げたひとりの老人。彼は、その夜、天に召されました・・・その老人こそ、天才画家のピカソその人でした!エピソードはダスティン・ホフマンからこの友人に残したピカソの最後の言葉を雑誌か何かで目に留めたのが、映画『卒業』の中で . . . 本文を読む
気分転換もいいかなあ?毎日、同じスタジオだと、アルバムも退屈なものになりそう!国を出て、気分転換するのもいいかな?こんな風に思って、ポール・マッカートニーは新作『Band On The Run』のレコーディングをアフリカでやることに決定しました。環境を変える・・・確かにこれにより結果は大きく違って来るものです!しかし・・・「My Love」、「死ぬのは奴らだ Live And Let Die」と連 . . . 本文を読む
トニー・ヴィスコンティ70年代の洋楽ファン、特に"T.Rex"のファンにとっては忘れられない人です。"T.Rex"は、ヴィスコンティのアレンジした重厚なストリングスが、彼らのサウンドを語る上で欠かせないものとなり、あの独特の雰囲気作りに大きく貢献しました。ポール・マッカートニーも、『Band On The Run』のオーケストレーションにおいて彼を起用。 今日はそんなトニー・ヴィスコンティが係わっ . . . 本文を読む
お願い殺さないで!わたしたちはミュージシャンよ❗️この人はビートルズのポール・マッカートニーなの‼️こんな風に命乞いしたのはリンダ・マッカートニーでした・・・アフリカ大陸ナイジェリア、ラゴスでのレコーディングは、決して快適なものではありませんでした!直前のメンバーの脱退劇に始まったこのレコーディング、不運を通り越し、自ら望んだとはいえ、ポールは余りに多くの難題を抱える結果となったようです。先ずは、 . . . 本文を読む