因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場 『鳥瞰図』

2011-05-12 | 舞台

*早坂聡 作 松本祐子 演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 22日まで
 これまでみた早坂聡の舞台記事はこちら→(1,2,3,4,5)
 2008年夏初演の作品が早々と(『焼肉ドラゴン』にしても、自分にはそういう感覚である)再演の運びになった。過去の演目をどのタイミングで再演するかはむずかしいと想像する。自分のように初演を見逃したものにとってはありがたい。再演が決まったということは、それを望む声が内外に多くあった、それほど優れた舞台であったことの証左だと思う。しかし次々に新機軸を打ち出した冒険を望む人にとっては、再演の演目が並ぶことを「保守的な安定志向だ」と批判的にとらえるだろう。

 現代の日本、東京湾岸の浦安近辺らしき町の船宿が舞台である。先代の妻(渡辺美佐子)と息子(入江雅人)が店を切り盛りしているが、町の反対側がハーバーや東京ディズニーランド、ショッピングセンターなどで賑わうのに対して、店はご近所の常連のたまり場のようになっており、経営は思わしくない。

 登場人物の他愛のない会話のなかに、複雑な家族関係や、一筋縄ではいかない過去の出来ごと、一人ひとりが抱える重苦しい事情や心の傷が、あるときはさりげなく含みを持たせ、またあるときはずけずけとあけすけに示される。事情を知るもの同士がいたわりあい、敢えて触れずにそっとしておくかと思えば、「そこまでするか」と呆れるほど興味津々で噂話に花を咲かせ、ことの真相を暴こうとする。いろいろな性格の人物の配置、軽妙なやりとりがおもしろく、2時間を飽きさせない。
 思いがけない訪問者(野村佑香)が現れたことをきっかけに、小さな事件がいくつか起こる。断絶していた関係に修復の兆しが感じられたり、新しい方向へ歩き出す人もあり、相変わらずの人もいる。船宿の家族のことだけに絞っても相当に濃密な家族劇になると思われるが、そこに常連さんやバイトの青年などを絡ませることにより、重苦しさを救うと同時に劇に膨らみと奥行きをもたらしていると思う。

 パンフレットに大笹吉雄氏の「早船聡掌論」が掲載されていて、これが何とも歯切れの悪い不思議な文章なのだった。本作初演で早船のことを初めて知り、戯曲の達者であることに目を張った。その後第10回公演の『カラスの国』をみて、作風のあまりの違いに驚いたことが率直に記されている。「(『カラスの国』には)『鳥瞰図』のリアリズム劇の影もない。これはあらまし次のような物語だった」とあるので、当然『カラスの国』についての記述になるかと思ったら、『鳥瞰図』の舞台設定やストーリーが書かれていて、少なからず困惑した。後半に『カラスの国』の解説もあり、結論として早船聡は試行錯誤の渦中にあり、当分静かに見守ることにするとまとめられているが、ぜんたいの文章の流れとしてしっくりしない印象を持った。それほど『カラスの国』に困惑されたためであろうか。自分もこの作品にはちょっとどうかというくらいの複雑な感情を持ってしまったので、それには共感できる。

 「3月11日の震災以後に新しい作品を書くのはむずかしい」と何かに書かれたものを読んだ。被害があまりに甚大であることに衝撃をうけ、思考停止して小説が書けなくなったと吐露する作家のエッセイも読んだ。そこから立ち直るにはやはり創作活動をするしかなく、涙を拭いて再び書き始めたことを知るとほっとする。以前と以後ではものを作る側の人の心象はかように揺れ動き、苦しむものなのだなと思う。
 しかし同時に、作られたものを受け取る側も否応なく変容してしまった。
 浦安は震災において地盤液状化の大きな被害があり、市議選が遅れるなど影響が続いている。本作は2011年3月11日以前の物語であり、それを承知しているけれども、目の前の舞台をそのまま受けとめることにためらいやうしろめたさ、何とも言えない違和感があるのだった。これは「再演なのだし、震災を反映した改訂版を」と求めるものではない。決してそうではないが、再演に堪えうる舞台かどうかも震災以前と以後では変わってしまったこと、それくらい影響が深く長いことを、作り手側は冷徹に考える必要があるのではないかと思う。

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