因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

発汗トリコロール『エデンの河童』

2011-05-11 | 舞台

*石橋英明(ちぃむinugui)作・演出 公式サイトはこちら 渋谷ルデコ5F 15日まで
 発汗トリコロールは、三澤さき、安田徳、横手慎太郎の3人の俳優で結成されたユニットで、公演のたびに劇作家、演出家を募る形をとる。今回の『エデンの河童』は、石橋英明が自身の劇団ちぃむInuguiで2003年に上演した作品とのこと。

 中央に大きな柱のあるルデコ5Fに、ぬいぐるみや電化製品などカラフルな色合いのものや、白い布で半端に覆われたビールケースや段ボール箱などが雑多に置かれている。登場人物の服装や話す言葉から、場所や時代は特定できない。この国(たぶん日本)のどこかで、いつか起こった小さな物語である。

 しっかり者の弟スサオ(北條尭)が少し頭の弱い姉の忌み子(三澤)を伴って登場する。弟は既に相当疲弊しており、姉といっしょに死のうとまで思いつめているが、そこにカッパ(横手)、ジン(安田)、サセコ(林弥生)の怪しげな3人組が現れてきょうだいを仲間に引き入れる。忌み子に予知能力があると知ったジンとサセコは、彼女を使ってひと儲けを企む。

 

 物語終盤近くなって、「ああこういうことか」と腑に落ちた。緩くぬるい共同体が、そのなかに野心を持つ者がいたためにみるみる崩壊していく物語であり、石橋英明版「日本書紀」、「魏志倭人伝」、「旧約聖書の創世記」でもある。前回の上演が8年前ということはほとんどひと昔前なわけで、若い劇作家の作品が10年近い年月を経てなお色褪せず、より鋭い批評性と危機感をもって上演されているのは、特筆すべきことであろう。ちぃむinuguiのHPに過去公演の戯曲が掲載されており、本作も読むことができる。今回の発汗トリコロール版に比べると、登場人物の人数や設定など異なる箇所もあるが、大筋は変わらないと判断した。

 何でも今回の震災と結びつけて考えたり、ひとくくりにすることは慎みたいが、直接被災していないのに3月11日以前と以後とでは心の持ちようがやはり変わってしまった。忌み子の予言に頼りながら、やがて疎んじ排斥する人々、楽園を待ち望みながら目の前の差し迫った現実に忙殺される者、何があっても飄々と流れに身を任せているうちに自分でも本気と嘘が区別できなくなってしまう人。幸せを願って必死に努力することに疲れ、嘘に癒され暴走する人。10年前よりずっとリアルに実感できる様相の数々である。

 いっけん大上段に振りかぶったテーマや主張がなく、「むかしむかし、どこかの国で起こったものがたり」風の形を取っているように見えて、再演に耐えうる普遍性が感じられる不思議な作品だ。北村想の『寿歌』に似た味わいがある。過去の話のようで、近未来を暗示しているようでもある。上演時間は80分で決して長くはないが、起承転結の「起」と「承」のあたりに冗長な印象があり、もう少しどこかをどうにかすれば、もっと軽やかで悲しく、おそろしい舞台になるのではないか。

 さて発汗トリコロールは、劇作家と演出家を貪欲に探しているとのこと。どんな作品、演出であっても受けて立つ覚悟があり、作品や演出家に対して柔軟で謙虚な姿勢とともに、多少のことがあっても自分たち流にしてしまう豪胆で強靭な力があるカンパニーとみた。自分はずばり、三澤さき、安田徳、横手慎太郎の3人がつくる、北村想の『寿歌』をぜひみたいと願っている。

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