朱の会は、俳優の神由紀子が主宰する演劇ユニット。3月末に控える第3回公演に向けた稽古場を訪問した。稽古前は消毒用アルコールでテーブルや椅子を入念に拭き、次々訪れる座組の皆さんも、まずは両手を消毒してからの稽古開始、休憩中の換気も怠りない。ここへ来て中止や延期の公演続々のさなか、創作現場の方々の心中はいかばかりかと想像するが、予防のためにできる限りの注意をし、とにかく作品に向き合い、よりよい舞台になることを心がけておられるとお見受けした。
演目は小説、随筆、童話など合わせて6編、いずれも短編だが、味わい深く芳醇な内容を持った名作が揃う。
「しあわせの王子」にはたくさんの翻訳があるが、朱の会ではいもとようこ訳版(金の星社)を用いる。自分は曽野綾子訳(バジリコ)が好きなのだが、「無憂宮」(むゆうきゅう)など聞いただけでは想像しづらい言葉もあり、いもと訳は素直に心に入ってくる。幸田文の随筆がこれまた大変な名文で、これほど深い洞察と鋭い視点、温かな眼差しでものごとに向き合い、むずかしい言葉を全く使わずに表現できるのか。夏目漱石の「猫の墓」に対して、構成・演出の神由紀子から、「昔をしみじみ思い出すのではなく、その日の日記を読み返しているように」との指摘があった。なるほどなと頭ではわかる。さてそれをどう読めばよいか。朗読者の技術と姿勢が問われる。
「セロ弾きのゴーシュ」は台本を持たず、ストレートプレイに近い形式になるらしい…まだ試行錯誤続いている様子だが、楽しい一幕になるだろう。
ほかに複数の俳優が地の文と台詞を読み継ぐ藤沢周平の「三年目」と山本周五郎の「鼓くらべ」は、朱の会の目指す方向、「これが朱の会のウリだ!」ということを明確に示すステージになると思われる。前回公演では最終演目の「じねんじょ」がそれであり、今回はそこから更に進化した印象がある。
コロナウィルス感染状況は予断を許さない。朱の会の公演が実現するか否かの見極めは非常にむずかしいところで(公式サイト)、すべては主催者が決断することだ。しかし出来得る限りの対策、配慮をして(これは観客も)、数々の作品が俳優方の声で読まれ、劇世界が構築される豊かな時間を体験することを強く願っている。
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