*谷山浩子原案・音楽 工藤千夏作 武田弘一郎演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 24日まで(1,2,3,4)
稽古場訪問の印象が強いこともあって、本番の舞台は「あの子たちにまた会えた」という再会の喜びとともに、微妙に書きにくいところもありますね(苦笑)。でもがんばりましょう。
太平洋戦争末期の1944年冬、ミッション系の女学院の音楽室に女生徒が次々にやってくる。好きな映画俳優、おいしいお菓子、恋への憧れ、昔も今と変わらない女の子のおしゃべりのなかに、老女ハツエ(日色ともゑ)がいる。やがて空襲警報が鳴り、防空壕へ避難しようとする彼女たちに、老女は「防空壕に入っちゃだめ!」と叫ぶ。
同級生も先生方も亡くなったなかで、ひとり生き残ったしまった「あのときの女生徒」が、60年以上の年月を経てなお心に刺さった棘のような悲しみに向き合い、旅立つまでの物語である。
ぜんたいのテンポがこちらが予想していたよりずっと速い。台詞のやりとり、人物の動き、劇中で歌われる「真夜中の太陽」のテンポにいたるまで、体感速度というのか、それに合わせるのに若干の意識が必要であった。上演時間は開演前に告げられた1時間25分きっちりであるから、初日の緊張のために短くなったわけではなく、演出家の求めた速さに忠実な結果であろう。大きな妨げになるほどではないものの、終始しっくりしなかった。
じつは稽古場を訪問させていただいたとき、自分は女生徒たちが歌う「真夜中の太陽」や、84歳になったハツエと当時のままの同級生たちがかわすやりとりを聞きながら涙が出てしかたがなかったのである。稽古でこうなのだから本番ではさぞかしと覚悟もし、期待していったのだが、台詞や歌を聞く→心がそれを受けとめる→何かしらの感情がわく→笑ったり泣いたりするという一連の動きに結びつくのに、自分の呼吸やリズムと舞台のそれが合わなかった。
こまばアゴラ劇場などキャパシティの小さな劇場においては、こちらの慣れもあってほとんど違和感なく聞いている「同時多発会話」だが、今回の紀伊國屋サザンシアターは少し広すぎるのではないか。自分は上演台本を読み、お稽古をみているのでどうにか複数の会話を聴き分けることができたけれども、初見の方にはむずかしいと想像する。
しっかりと大切に聴きたい台詞や目に焼きつけたい場面が、どんどん進行してゆく印象であったのは残念だ。
終幕の歌はもっと声をしっかり出したほうがいい。
しかしピアノ伴奏をするアツコ役の女優さんが終盤において暗譜で弾いておられのに驚いた!「やっと完成したのよ」と初披露する前半の場面では楽譜があって自然だが、あの終幕においてはないほうがすっきりする。どれほど練習を積まれたことだろう。ご立派です。
カーテンコールではなかなか拍手が鳴りやまず、出演者がもう一度舞台に登場した。ダブルコールである。これは大変珍しいことではなかろうか。作り手の懸命な姿勢が客席に伝わったのだ。また終演後のエレベーターでは、熊本から上京して公演のことを知り、思い立って見に来たという女性が「何だか涙が出ちゃって」と恥ずかしそうに微笑んでおられ、こちらまで清々しい気持ちで帰路につけた。11人もの若手女優を起用した公演は、劇団にとっても冒険の要素が多かったと察するが、その舞台が今夜の客席に受け入れられたことの証左であろう。
演出の武田弘一郎によれば、若手女優たちとともに「学校ごっこ」と称したワークショップを重ねたそうである。それぞれが戦争体験をもつ親類や先輩たちから話を聞き、歴史資料館、映画鑑賞をして、「そうやって『戦争中の暮らし』という史実を、その身で追体験していくなかで生まれてくる何かを取っ掛かりにしていくこと以外に、この芝居の世界に入っていく方法が考え付かなかった。それは私が、私も知らない『戦争』というものに近づいていく手段でもあった」(公演パンフレットより)。
本作を作る過程において若手女優たちが体験し学んだことは、『真夜中の太陽』において当時の女生徒をリアルに演じるための準備にとどまらない。4月に上演を控えている『夏・南方のローマンス』はもちろん、『泰山木の木の下で』はじめ、『アンネの日記』、『白バラの祈り』など、戦争が人々にどれほどの苦しみを与えるか、しかしそのなかで生きていく人々のすがたを描いたたくさんの財産演目がある。それらを上演しつづけてゆくのは、民藝という劇団で演劇を志した者の大切なつとめだ。そして客席もまた、心して舞台に向き合い、みる立場から伝え、継承してゆく責任がある。
『真夜中の太陽』は小さな作品である。大上段にふりかぶったテーマや何かを告発したり、訴えたりする強い方向性をもたないものだ。しかし劇団の歴史に確かな足跡を残すものになるのではないか。願わくは、今夜女生徒を演じた若い方々が成長してハツエや山岸先生を演じ、まだ顔も知らない新しい女生徒たちと支え合って、再演を迎える日が訪れることを。
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