これまでの記事(1,2、3、4、5,6,7,8,9,10)
平井加尾(広末涼子)との将来を断たれた龍馬は失意の日々を送る。武市半平太(大森南朋)を中心とする下士たち尊王攘夷派の士気は高まるばかり。武市は仲間に加わるように説くが、下士たちを煽り立てる武市の姿勢に疑問をいだく龍馬はどうしてもその気になれない。そんな折、上士に弟を惨殺された下士がその上士を斬り殺す事件が起こり、下士と上士のあいだに一気触発の緊張が走る。
「背筋がぞくっとした」というが、自分の場合は両腕にくるらしい。二の腕あたりが泡立つような嫌な感覚だ。これは悪寒に近い。
幼いころから遊び、学んだ友はかけがえのない存在だ。それだけに考え方、生き方の違いから互いの心が離れ、袂を分かつのは辛いことだと思う。武市道場の狂気じみた勢いに取り囲まれてしまうと、自分のほんとうの気持ちはどうなのかを深く考えることもせずに流れに乗ってしまう者もいただろう。ここで正直に疑問を口にしたり、反対意見を言ったら最後、自分は下士の仲間からも弾きだされ、存在を否定されるかもしれない。上士よりもこちらのほうがむしろ恐ろしく、圧迫感、強制力がある。
福山雅治の龍馬という人は、こちらが呆然とするくらい恐がらずに自分の考えを話し、ひとりで、それも丸腰で上士のもとに出かけてゆき、話しあいをしてくれるよう頼む。この勇気はどこから生まれるのか、下士、上士双方に対して自分の立ち位置がぶれないのはなぜなのか。文武どちらも龍馬より武市のほうが勝っているだろう。しかし龍馬ができること(してしまえること、というのか)を、武市はどうしてもできないのである。
3月13日朝日新聞土曜版「磯田道史のこの人、その言葉」に、熊本藩士横井小楠の言葉が紹介されていた。「学問を致すに、知ると合点との異なる処、ござ候」。明治維新は坂本龍馬の考えを西郷隆盛が実行したのではなく、むしろ水戸藩士の藤田東湖と、この横井の思想が基本にあるという。日本中の武士が刀を振り回して攘夷を叫んでいたときに、横井はスエズ運河の経済効果を説いていたのだそうだ。磯田氏は、「龍馬ブームに惑わされて本筋の歴史理解を忘れてはならない、と思う」と結んでいる。翌日の日曜版には、作家の高村薫氏による『清水次郎長 幕末維新と博徒の世界』(高橋敏著 岩波新書)の書評が掲載されていた。題名のとおり、あの清水の次郎長が幕末をどのように生き抜いていったかが記された作品なのだが、高村氏は本書によって「幕末維新とは、大義や志より、ともかく濁流を乗り切った者が歴史をつくることの見本のような時代だったのではないか」という思いを強くしたという。
その人の成し遂げたことによって時代が変わることがある一方で、時代がその人を変えてしまう場合もありうる。自分の場合、龍馬ブームに惑わされるよりさきに、福山ブームに骨抜きにされないように自戒する必要があり、前述の新聞記事2枚の切り抜きを眺めながら思案に暮れているのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます