因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

NHKアーカイブス「“女の一生”いまも~杉村春子と文学座のロングラン公演」

2020-04-16 | 舞台番外編

 1945年の初演以来、多くの観客を魅了してやまない『女の一生』は、その後平淑恵、荘田由紀、2016年には山本郁子が主役の布引けい役を受け継いで歩みを続けている。この舞台を生涯の当たり役とした杉村春子(1906~1997))という女優はどんな生き方をしてきたのか。番組は(2016年2月7日放送)杉村春子と60年以上の親交があったという黒柳徹子をゲストに迎え、1968年「芸術劇場」で放送された舞台『女の一生』のダイジェスト版に始まった。

 当時62歳の杉村を軸に、堤家の当主しず/北城真記子、長男慎太郎/加藤嘉、次男栄二/北村和夫、叔父章介/三津田健の配役である。ダイジェスト版とはいえ、30分少々に収まった『女の一生』はさすがにもの足りなかったのだが、この番組のみどころは後半にあった。2007年放送のハイビジョン特集「女優杉村春子への手紙~1500通につづられた心の軌跡」である。杉村没後10年を記念したドキュメンタリーだ。『女の一生』に共感し、杉村の人柄に魅せられた方々から寄せられた手紙は1500通を超えるという。番組は手紙の差出人を訪ね、生前の親交について聴く。

 博多で代々続く老舗呉服店の名物女将小川ヤエさんは、先代の女将(つまり姑)に働きぶりを見込まれてその息子の嫁になったというから、布引けいの人生そのままである。元文学座の女優だった荻生田千津子さんは、杉村の付き人を4年間務めた経験がある。事故で車椅子生活となったが、杉村の言葉を支えに民話の語り手として復帰、民話の創作も行っている。仙台市在住の唯野和子さんは、中近東ツアーに参加した際、杉村と飛行機で隣り合わせたのが最初の出会いであった。当時杉村は劇団の分裂や夫との死別など辛い時期にあったが、旅先の風景や同じツアーの人々との触れ合いを通して次第に解放されていったという。以後『華岡青洲の妻』、『怪談牡丹燈籠』、『ふるあめりかに袖は濡らさじ』と、新しい作品で円熟の花を咲かせていくことになる。

 中国への旅、とくにシルクロードの砂漠の何もない風景に心解かれ、仕事のしがらみのない人々との交流を大切にした杉村春子の知られざる素顔は興味深く、同時に大女優ゆえの孤独も窺われた。

 杉村は非常に筆まめであったという。その手元に1500通を超える手紙が残っているということは、手紙を送られた杉村もまた、それだけたくさんの手紙をしたためたということである。前述の方々は杉村からの手紙を大切にされており、手書きの文字は、名優中村伸郎が随筆で杉村の達筆を「水茎のあと」と称えたのも頷ける。<見覚えのある達筆の賀状かな>。中村伸郎は前述の劇団の分裂で文学座を去った。杉村と袂を分かった間柄である。改訂を重ねて「女の一生」が続演されつづけていることに対して、静かな筆致ながら、随筆にはっきりと、批判的な意見を記している。『女の一生』と杉村春子については称賛一辺倒ではなく、このような経緯や状況があることを忘れてはならないだろう。

 番組ぜんたいを倉野章子、杉村の手紙の朗読は新橋耐子、小川ヤエさんを八木昌子、荻生田千津子さんを小野洋子、唯野和子さんをつかもと景子と、文学座の実力派女優が顔を、いや声を揃え、美しい日本語で映像を支える。ここにも杉村春子の芸道が継承されていることがわかる。

 杉村春子の舞台を観たのはほんの数回であるが、どうしても「避けて通れない」と同時に、「いつかきちんと向き合いたい」存在である。たくさんの手紙に託された女性たちの思いと、それに応えた杉村の生き方を描いたこの番組から得たことは深く、大きい。

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