*フロリアン・ゼレール作 鵜山仁翻訳 西川信廣演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターウェスト 3月5日まで
ゼレールは1979年パリ生まれ。2002年にデヴュー作である小説で大きな賞を受賞したのを皮切りに、話題作を次々に発表。ほぼ同時期に劇作家としてもめきめきと頭角を現した新進気鋭である。日本では2016年、俳優の中村まり子の翻訳で『誰も喋ってはならぬ』が加藤健一事務所で初演の運びとなり、文学座の渡辺徹が客演した。ゼリールの魅力や特徴については、文学座通信掲載の中村まり子の寄稿に詳しい。本作は文学座創立80周年の掉尾を飾る舞台として、ボルドー組(渡辺徹、古坂るみ子、斎藤志郎、郡山冬果)、シャンパーニュ組(鍛冶直人、浅海彩子、細貝光司、渋谷はるか)の交互上演を行う。初日のシャンパーニュ組を観劇した。
女房に浮気がばれたと慌てる亭主が、実は女房も浮気をしており、しかもその相手が自分の親友であった。捉えようによってはご都合主義というか、ありきたりのドタバタコメディである。めまぐるしく変わる状況にあたふたし、膨大でしかも微妙なニュアンスを含んだ台詞の応酬を楽しみ、大いに笑う。それもミシェルやアリスが登場するパリのホテルやレストランなら、修羅場といっても何となく洒落ているし、安心感がある。つまり「不倫コメディあるある」なのである。
そのいかにもありそうな芝居が、最後の数分になって実に複雑で味わい深い余韻をもたらす。夫(鍛冶)に浮気をされたロランスは終始冷静で知的である。演じる浅海彩子をはじめて拝見したのは昨年の『中橋公館』での長女役であった。地味で堅実な妻ぶり母親ぶりがぴったりで、正直なところ今回のような翻訳劇の出演はしっくりこない予想をもったのだが、こちらの思い込みであった。「わたしが浮気なんかすると思う?」つまり、浮気はしていないという台詞をぶれずに言える役柄であり、俳優なのだ。それが最後に予想もしていなかった成り行きにことばを失って立ち尽くし、ひそかに涙ぐむのである。
二組の夫婦はそれなりに円満であり、決して憎みあってはいない。しかし互いに出来心のつまみ食いや、向田邦子風に言えば、「よそ見」の好きな男女である。ほんものの、ほんとうの愛情、愛し合う交わりはどこにあるのかと思ったとき、もしかしたら浅海彩子の演じるロランスの心の奥底にだけ、ひっそりと息づいているのではないかと思わされるのである。「わたしが浮気なんかすると思う?」もしかしたら、この台詞も真実であり、彼女は彼とは何もない。ただ心のなかだけで愛しく思っていたのでは?と究極の片思い、プラトニックな愛の存在を知らされたようで、最後の数分に観客の心は俄かに揺れ動きはじめるのだ。
「なあんだ、この女房やっぱり浮気してたんじゃないか」と、客席を爆笑に導く造形もじゅうぶん可能であろう。夫は妻の涙の意味を知らず、安心して抱きしめる。「おめでたい亭主め」と苦笑しつつ、「ほんとうは奴も疑っているのでは?」と裏を読むこともできる。しかし最後くらいは素直になりたい。ロランスの涙の意味を知っているのは客席のわたしだけ。笑ったりしたら彼女に悪い…。観劇から時間が経つほどに、ひっそりとした思いになる舞台であった。
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