*MSPインディーズ・シェイクスピアキャラバン エスパスビブリオ提携公演 唐十郎「シェイクスピア幻想」『劇的痙攣』(岩波書店)所収より 公式サイトはこちら 24日のみ 西村俊彦・丸山港都・笹本志穂(劇団民藝)・道塚なな(音楽)出演 井上優(明治大学文学部准教授)企画
唐十郎がシェイクスピア作品に触発され、編み出した短編連作集の朗読公演である。2016年秋、2017年冬に続く完結編だ。目で読む書物から俳優の声とからだによって立ち上がり、空間と時間共有の場である劇場で観客のもとに届くとき、言い知れぬ魅力を発揮する。これまでは100人は収容できる大きめのホールでの公演であったが、今回はブックカフェのフリースペースである。春浅い土曜の御茶ノ水の昼下がり、ほぼ満席の盛況だ。
『リチャード三世』この章のみ2017年に続く再演である。背骨が曲がり、王位からも遠いリチャード三世(西村俊彦)が、新宿の鯨カツ定食屋のあるじをしているという物語で、『鯨リチャード』の原作風の一編でもある。長い菜箸を弄びながら、「彼こそがリチャードだ」と思い込む青年(丸山港都)に、やさしく「お食べ」と鯨カツを差し出す。時折、ほんまもののシェイクスピア劇よろしく、この場では不必要なほどの声量と滑舌で「馬をくれ」と絶叫する場もあり、客席の反応も上々の滑り出しだ。
『プロペラ親父の二百十日』原作は『テンペスト』である。嵐を「二百十日」という古い言い回しに、魔術の使える学者プロスペローを「プロペラ親父」としたところに唐十郎独特のおかしみとペーソスがある。嫁に見捨てられ、孫娘(笹本志穂)に会えない老人が、愛用のプロペラ模型機を手に復讐に立ち上がる。道塚ななのつまびくギターがもの悲しく、老人は石橋蓮司がいいか、キレて暴れる場面は泉谷しげるかなと妄想が膨らむ。
『頬腹先生』『ヘンリー四世』や『ウィンザーの陽気な女房たち』でおなじみのフォルスタッフがあろうことか現代の日本にやってきて、パジャマのままで授業をする数学教師になったという設定の物語。先生(西村)のアパートを訪ねてくる生徒(丸山港都)とのやりとりがおもしろい。舞台通り、先生が吉田鋼太郎では決まりすぎか。
『君はギャニミード』原作は『お気に召すまま』である。寄る辺のないロザリンド(笹本)とオーランド(丸山)の恋物語だ。シェイクスピア作品に多い、男装や女装で相手をだましてさんざんに翻弄し、その分観客をたっぷりと楽しませて最後は大団円の物語だ。だます側の手練手管が巧みであるほど、だまされる側の純情が際立つもので、オーランド役の丸山が「死んじゃう」と涙ぐんだり、相合傘にロザリンドと書いたりなど、本シリーズで唯一原作の設定をほとんどそのまま踏襲しながら、もっとも現代風の味わいを醸し出した。全体的にも客席の反応が非常に良く、このへんてこりんな世界を楽しむ空気が溢れ、気持ちの良い公演となった。
西村俊彦は俳優業だけでなく、さまざまな映像のナレーションや朗読講座の講師を務め、昨年は第9回青空文庫朗読大会において最優秀賞である金賞を受賞した実績を持つ。丸山港都は串田和美のもとで研鑽を積み、公演の大小問わず幅広く活動している。笹本志穂は劇団民藝に所属し、多くの先達の仕事に触れる現場を体験しながら、来月は同じくMSPインディーズの朗読劇の企画・出演が控えている。音楽の道塚ななは、ギターとピアノの弾き語りのシンガーソングライターで、吉祥寺や下北沢のライヴハウスを中心に活動する。
活動の場はさまざまあるなかで、今回の朗読公演シリーズのように経験値と個性を活かし、のびのびと演じる機会が継続されれば、演じ手だけでなく客席にとっても刺激的で豊かな体験となる。「完結編」と言わず、何らかの形でぜひ継続されたいと願うものである。
それにしても唐十郎の編み出す劇世界は、設定こそ荒唐無稽で、とてつもなく芝居がかっているのだが、俳優の語りや台詞を聴いているうちに、自分もいつのまにか何の違和感もなく、その場に足を踏み込んでいることに気づく。実を言うと、自分は唐十郎の小説や戯曲を読むのがまだまだ苦手なのだが、読みながら人物の声を聞き、動かし、想像することは実に楽しい。その妄想のなかに浮かんでくるのは前述のように石橋蓮司や泉谷しげる、吉田鋼太郎だが、最後はしっかりと唐十郎が現れるのである。
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