因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

真夏の會公演『エダニク』

2011-08-25 | 舞台

*横山拓也作・演出 公式サイトはこちら 王子小劇場 28日で終了
 作者の横山拓也は、本作において日本劇作家協会2010年新人戯曲賞の最優秀賞を受賞した。自分はブロンズ新社発行の「優秀新人戯曲集2010」を読み、屠場という特殊な職場を舞台に繰り広げられる騒動のなかに、職人のプライドや熱意、仕事を与える側と請け負う側の力関係が滲みでる様相にすっかり虜になった。何度読み返しても飽きない(因幡屋通信35号2010年5月発行に戯曲評掲載)。これが上演されたら、どれほどおもしろいものになるのだろうか。抑えても抑えても期待は膨らむばかり。東京公演の仮チラシをみたとき、「これで夢がかなう」と小躍りしたい気分になった。

 戯曲(ホン)から入った場合、とくに『エダニク』のようなピカ一の作品を先に読んでしまったときは、本番の上演に対して過度な期待を抱かないよう、よくよく気をつけなければならない。また戯曲を繰り返し読むうちに、自分のイメージが固まって「脳内劇場」が出来あがってしまうと、俳優の演技を台詞の言い方からテンポ、間の取り方にいたるまで脳内劇場との比較に終始して、舞台を楽しめないこともありうる。弾む心を抑えつつ、それでもわくわくと劇場に向かった。

 結論から言うと、あまりな表現になるが「舞台を先に見ておけばよかった」というのが正直な気持ちである。前述の新人戯曲賞の審査員マキノノゾミは本作を評して、「満点だ。これ以上何を望むというのかと思った」と激賞している。同感だ。しかし舞台をみにくる観客は、どうしても戯曲を読んだ以上の手ごたえを望むのである。初演と同じキャストの再演は、おそらく満を持してのものであろう。具体的にどの点が決定的に違うというものはなく、客席の反応も上々で、『エダニク』が優れた作品であることは間違いない。いまとなってはどうしようもないが、舞台を先にみていれば、自分のイメージに左右されずに目の前の舞台をもっと前のめりで楽しみ、そのあとで読む戯曲は、舞台の印象を反芻しながら思い出し笑い爆発になっただろうに。

 いや『エダニク』の良さは、読むだけで生き生きしたイメージが沸き起こってくるところにある。それを先に読んでしまったのなら、逆に本家本元の上演イメージに縛られず、劇場もキャストも自分の思いのまま、自由に動かす楽しみに発展させても構わないのではないか。

 今回の公演チラシに劇作家の北村想が「(本作は)構造としては原発の作業場と同相だ」と記している。また福島第一原発事故による放射能汚染で東北各地の肉牛に出荷制限が出たことで、食肉に関しての意識は戯曲を読んだ一年前に比べて大きく変わった。
 芝居をより楽しむには想像力が必要だ。『エダニク』はまだまだおもしろくなる、その可能性をもった作品であることをいよいよ強く確信した。同時に自分の感覚をもっと研ぎ澄まして想像力を鍛え、柔軟に戯曲を読み続けたいと思う。

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