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*公式サイトはこちら 大阪・国立文楽劇場 8月31日、9月1日 浅草公会堂 9月4日、5日
公式サイトや歌舞伎俳優名鑑記載のプロフィールを読んでみると、歌舞伎俳優・尾上右近の歩みには、さまざまな葛藤や苦悩があることが想像される。清元宗家七代目・清元延寿太夫の次男として生まれ、曾祖父は六代目尾上菊五郎、母方の祖父は俳優の鶴田浩二という血筋から、すでに一種の「二刀流
」の芸風を予感させる。曾祖父六代目菊五郎の「鏡獅子」に憧れて歌舞伎俳優を志した。当代菊五郎のもとで修業に励み、本名の岡村研佑の名で2000年に初舞台を踏んで以来、立役と同時に女形もつとめて2005年、二代目尾上右近を襲名、さらに2018年には七代目清元栄寿太夫を襲名している。ここもやはり「二刀流」なのだ。
歌舞伎公演はもちろんのこと、昨年夏の『刀剣乱舞』などの新作、現代劇やミュージカルまでさまざまな舞台に出演し、さらにテレビドラマや映画、女性用ウィッグのCMやバラエティー番組など、顔や声を聴く機会が増えた。常に全力投球で芸道に邁進しつつ、素顔で出演するものは自然体で飾り気なく、快活で伸び伸びと、しなやかで柔軟な人と思われる。
その一方で、舞踊の大曲「連獅子」に対する複雑な思いには胸をつかれるものがあった(「CREA」インタヴュー)。右近はこれまで團十郎、猿之助、菊之助、松也の親獅子で、仔獅子を勤めたことがあるが(いずれも未見)、父親が歌舞伎俳優でないために共演はできない。尾上松緑と尾上左近、中村勘九郎と勘太郎、長三郎、尾上菊之助と丑之助。いずれも親子共演である。菊之助と丑之助親子の舞台を観て、「眞秀はいつ、親獅子は誰が?叔父さん(菊之助)が付き合ってくれると思うが、たとえば中村鷹之資はどうだろうか」等々、同道の知己と夢中で語り合った。その眞秀が右近と同じく、「連獅子」に対して、かくも複雑な思いを抱いていたとは…。眞秀には未知数の魅力があり、各種報道が煽っているところは多々あるが、母親の情熱が重圧にならぬよう、王道を行く従弟の丑之助(恵まれているが、それだけ背負うものが重い)とも違う自由な立ち位置で、伸び伸びと楽しんでほしいと願っている。
「摂州合邦辻」は、記憶にある限り今回が初めての観劇である。血の繋がらない継子の俊徳に恋をした玉手御前。前半は悪女の深情けのごとく、俊徳への執着をあらわにするが実は…と明かされた真実から、わが身を犠牲にしてまで子に尽くす激烈な母性愛を表現するという大変むずかしい役である。原作の設定では玉手はまだはたちそこそこの若い女性だが、その深い思案と壮絶な自己犠牲の精神を演じ切るには熟練の芸が求められる。玉手御前に限らないが、若さや瑞々しさ、それを失ってのちに得られる技や役への理解等々、演じる俳優によって見せどころが変容するところも魅力のひとつであろう。
今回の自主公演には同時解説イヤホンガイドが設置されておらず、義太夫を聴き取れない自分にはハードルの高い観劇となったことが残念であった。これから機会があれば、できるだけこの演目を観劇し、右近初役の玉手を思い出して、再度の登場に備えたい。
「連獅子」が終わると、通常の歌舞伎公演では行われないカーテンコールがあった。主演の右近はじめ、浄土の僧役の中村橋之助は、すぐ翌週に行われる自分たち三兄弟による自主公演「神谷町小歌舞伎」の宣伝を法華の僧役の中村鶴松もともに行い、客席を盛り上げる。それから右近と眞秀は着替えて化粧を落し、会場の物販コーナーに立つなど、文字通りの大奮闘である。
若手俳優が自ら企画し、さまざまな演目や役に挑む自主公演は、自由に伸び伸びとやれる半面、チケット販売や物販まで必死でやらねばならぬものなのだろう。観客はいつもの歌舞伎公演よりも俳優を身近に感じ、その一生懸命のすがたから、強い情熱と得も言われぬ清々しさを受け取って、「この次はどんな舞台が?」と期待を繋ぐ。早くも次回の研の會が楽しみでならない。
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