*菊池寛作『父帰る』 田中千夭夫『おふくろ』 江守徹演出 公式サイトはこちら 信濃町・文学座アトリエ 4月2日まで
「日本語をみつめ直すことで現代劇の原点をもう一度見据え、家族をみつめ直すことで日本人の心のありようとみつめる家庭劇二題」(公演チラシより)
「どうしたら台詞だけを際立たせ、観客の想像力を刺激する舞台になるだろうか?そして尚且つ古典の名作戯曲としてではなく、現代人として描きたいとしたら?」(文学座通信より 演出の江守徹の文章)
上演の意図、演出家の目指すところが、ここまで鮮やかに示されている舞台に出会えることはめったにない。舞台は壁も床も真っ黒で、登場人物も黒を基調とした現代的な服装、家具調度類も最小限のこしらえだ。
舞台美術はじめ、服装や髪形、小道具に至るまで綿密な時代考証のもとにしっかりと綿密に作られる作品を、敢えてすっきりとシンプルなものにした場合、そこに作り手のエゴが感じられることは少なくない。みるがわとしても、「この抽象的な舞台美術には何の意図が?」「全員が黒服なのはなぜ?」と、意味や意図を探ることに神経が行ってしまい、いちばん肝心なもの、台詞を聞き逃してしまいがちだ。
今回は作品と演出意図のバランスがみごとで、それに応えた俳優も古典作品に手なれた安定感だけでなく、新鮮な印象があって楽しむことができた。常日頃から日本語の美しい台詞を的確に客席へ届けるという意識をもち、鍛錬を続けていらしたことの証左であろう。
とくに今回は『父帰る』、『おふくろ』のりょうほうに息子役で出演した植田真介が、堅実ななかに、まさに現代に生きる青年の息づかいを感じさせて好ましい。
また忘れてはならないのは、これもりょうほうの母親役を演じた南一恵だ。『父帰る』では辛抱強く、放蕩な夫を家族に迎え入れるために息子に頭を下げるほど愛情深いすがたを、『おふくろ』では気をもんでばかりで子どもたちを辟易させるすがたを、まるでひとつながりの物語のように自然にみせていたことだ。
大雑把な言い方をすれば、2本とも大変短いうえに、どこに作品の肝があるのかつかみにくい作品だ。『父帰る』は題名そのとおりの内容であるし、『おふくろ』もそのものずばりである。しかしどちらにも深い余韻が感じられて、自分は好きである。
地味な企画だ。出演する俳優さん方も、失礼ながらいわゆる「スター性」や「華」のあるタイプではない。しかし舞台をみながら、「自分は非常に贅沢な演劇体験をしている」という実感をもった。ふと立ち寄った小さな庵で、丹精込めた料理と行き届いたもてなしを受けた幸福感と言おうか。しっかりと心身の滋養になり、からだじゅうの細胞が生き生きしてくるのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます