*鄭義信作・演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 20日まで
2008年初演の本作はソウルでも上演され、熱狂的な支持を得て、その年の多くの演劇賞を受けた作品が3年の月日を経て再演の運びになった。自分は初演を見逃したため、今度こそはと意気込んで観劇に臨んだ。
3年という時間は微妙である。ついこのあいだのようでもあるが、ではこの年にどんな演劇体験をしたかと思い起こそうとしても、すぐにすらすらと言葉が出てこないのである。よくも悪くも観劇本数が多く、次々にみては忘れという消費に流れる傾向にあるのではないかと思う。本数をこなす必要はない。自分がみたいと思うものをみにいく、みにいったからには一生懸命みる。そこで得たものを何とかして言葉にする。基本的なことを改めて考えた。
これだけ絶賛を浴びた作品をみるときは、こちらも相当の期待とともに、「この舞台はきっと大丈夫」という安心感を抱く。開演前、明かりのはいった舞台には「焼肉 ホルモン」の大きな看板の掲げられた店内で、すでに出来あがっている常連客たちがにぎやかに飲み食いをしている。アコーディオンで懐かしい40年代の歌謡曲やアリランが奏でられ、3年ぶりにホームグラウンドに帰ってきた人々と、それを迎え入れる客席が温かな空気を作り出す。
自分は最前列での観劇となった。客席と舞台はあまり高低の差がないが圧迫感はない。舞台両袖に出る日本語の字幕をみあげるのに多少骨が折れるくらいか。
すぐ目の前で繰り広げられるのは、在日コリアンの家族やドラゴンという名の焼肉屋に集う常連客たちによるくんずほぐれつのすさまじい愛憎劇である。双方が子連れの再婚どうしである店主夫妻には、合わせて4人の子どもがいる。少しずつ血がつながっていたりいなかったりと互いの関係は複雑なのだが、ぎくしゃくした違和感はなく、言われなければ関係の複雑さはわからず、この家族はずっと前から自然に家族だったと思えるのである。在日として辛酸をなめてきた両親が心を尽くして家族に愛情を注いできたからであろう。いくら働いても貧しく、日本でも祖国でも受け入れられない「在日」という存在を真正面から描いた渾身の力作であると思う。
しかし正直なところ、本作がそれほどの称賛を得たことがいまひとつ実感できないのである。
喜怒哀楽が激しくぶつかりあう様相には圧倒されるし、それとは対照的に終始何かに堪えているかのような寡黙な父親(申哲振)の佇まいや、その父親が桜の舞い落ちるなか、妻と家財道具を乗せたリアカーを勢いよく走らせていく終幕には、確かにぐっとさせられた。自分は親と子どもが云々という物語には極めて弱い。本作にはそんな要素がたっぷりとあって、とくに後半は客席あちこちからすすり泣きがもれはじめていたが、逆に「や、ここでそう泣いてもよいのだろうか、もしかしたらもっと違う意図が」などと考えているうちに、アボジはオモニを乗せたリアカーを乗せて行ってしまい、物語は終わった。乗り遅れたような残念な気持ち。
観劇した日はスタンディングオベーションにはならなかったけれども、客席の拍手は大変熱いものであり、カーテンコールに勢ぞろいした俳優がこれほど満たされた表情をみせることはあまりなく、多くの方々がこの作品に関わって上演が実現したことを共に喜びたいと思う。ただし自分にとっての落としどころ、それがみつけられなかった。
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