*非戦を選ぶ演劇人の会 構成台本 鵜山仁 演出 永井愛・丸尾聡 演出補 公式サイトはこちら 全労災ホール/スペースゼロ 28日で終了(1)
第一部は朗読劇『核・ヒバク・人間』。タイトルのとおり、「非戦」というよりも東日本大震災と福島第一原発事故による「脱原発」をより強く訴えるものだ。6人の劇作家(相馬杜宇、石原燃、篠原久美子、清水弥生、野中友博、丸尾聡)が「フクシマ」「原発と地域振興」「安全神話」「脱原発社会への提言」などのパートを分担し、ひとつの台本にまとめあげたもの。出演者は40人を越えるが、リーディングに的を絞り、小道具や照明や音響などを抑えた演出が効果をあげ、メッセージがよりシンプルに伝わってくるステージであった。
第二部には福島県・飯舘村の酪農家 長谷川健一さんがゲスト出演された。聞き手は劇作家の篠原久美子と俳優の円城寺あや。はじめに「故郷を追われる村人たち-福島・飯舘村-」と題した映像をみる(監督・撮影・編集 土井敏邦)。およそ16分の短いものだが、福島第一原発事故から数か月間の村の様子が淡々と描かれている。そのナレーションを俳優の市毛良枝が担当したのだが・・・ナレーションといっても、画面に出ている字幕と同じ内容を読むだけなのだ。しかもナレーションと映像が次のものに切り替わるタイミングがちぐはぐで追いつかなかったり駆け足になったりで、みている方がハラハラさせられた。生で聴く市毛良枝さんの声は大変美しかった。映像は思い入れや感情を極力排した作りであり、ここに適切な内容を語る肉声のナレーションが入れば、もっと心に響いたであろうに。非常に残念だ。
続いて長谷川さんへのインタヴューが始まった。長谷川さんご本人が大変な迫力の持ち主で、日焼けしたがっしりした体躯に、一度聞いたら忘れられない声、しかも数百人の観客を前にしてまったく動じることなく堂々と話してくださる。第一部で長谷川さんを演じた高橋長英の質実な演技は大変好ましかったが、長谷川さんご本人がリーディングに出演されたらどんなものになるだろうかと想像してしまうくらいであった。
東京電力やその御用学者、政府に翻弄されながら、村を守りたい、子どもたちを守りたいとまさに孤軍奮闘の日々を語ることばのひとつひとつ。怒りは大岩のごとく、しかし水のように柔軟で柔らかな朝日を感じさせるときもある。飯舘村の村長に対して「あいつは頭がいい。だけど決断力がない!」と断罪するが、敵対や闘争の刺々しさはなく、まして利権を争う醜悪な面は微塵もない。「それでも皆で力を合わせてやっていくんだ」という気概と温かさが感じられる。三代めの首相が決まってなお派閥争いに右往左往する政治家たちよ、長谷川さんの声を心して聞け。
このように第二部は、ほぼ長谷川健一さんのオンステージ状態になり、聞き手のおふたかたは長谷川さんに圧倒され、傾聴するばかり。これにはがっかりした。たしかに被災地の現実は言葉を失わせ、創作意欲を打ち砕く。しかし演劇の作り手として、しかも現実の問題に対して演劇人として行動することを掲げているのだから、長谷川さんともっと互角のやりとりを聞きたかった。
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