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尊王攘夷に燃える武市半平太(大森南朋)は、多くの下士を集めて「土佐勤王党」を結成する。龍馬は迷いを消せないまま仲間に加わり、平井収二郎(宮迫博之)や岡田以蔵(佐藤健)は喜ぶが、龍馬は心から納得できないでいる。武市に批判的な沢村惣之丞(要潤)から、長州藩の久坂玄瑞(やべりょうすけ)のことを聞いた龍馬はさっそく長州に赴く。会いたい人にはみずから足を運んで会う。龍馬の流儀が示される回である。
やる気まんまんなのに、具体的に何をするかがまったくわからないのが土佐勤王党である。武市にしてもあれだけ人望があり、文武両道に優れた人であるにも関わらず、吉田東洋(田中泯)にひとこと返されただけで顔色が変わり、まともに反論ひとつできない。この馬脚のあらわし具合の描写を物たりなく思う。同士たちの面前で東洋に罵倒され、足蹴にされた怒りでうなされる武市の枕元に、彼の心のうちを代弁するもうひとりの武市が現れる手法も自分としてはあまり好みではない。もどかしい。武市さんともあろう人が、と思ってしまうのである。
田中泯の吉田東洋は相変わらず震え上がるほど恐ろしく、言動も居丈高で「この人に嫌われたら最後」と思わせる。なぜ武市の評価がこれほど低く、「大嫌いじゃ」とまで否定するのか、その一方で後藤象二郎(青木崇高)が嫉妬するほど龍馬を気に入っているのか。好き嫌いが激しい人でもあったのだろうが、言うことをよく聞いてみると筋が通っている。武市の思い込みの強すぎること、状況を冷静に見極める判断力に欠けていることを見抜いているのである。
龍馬が久坂と話す場面、久坂が自分のことを「ぼく」と言うのに対して、即座に「ぼく」と反応してしまう龍馬がおかしかった。久坂のややキレ気味の造形はさておき、「尊王攘夷」が実際どういうことなのかについての彼の解説は武市さんよりわかりやすかった。当時「攘夷」を叫んでいなければ武士にあらずと言わんばかりの状況で、「実はよくわかっていない」武士も多かったのではないかと思う。そしてこれまで幕末維新ものの時代劇をよくみていたわりに、自分もよくわかっていないのである。誰かわかるように教えてくれ。その気持ちに今回の龍馬は応えてくれた。さらにこの日龍馬は久坂から初めて「脱藩」という選択肢もあることを知らされるのである。
将来は道場を開きたいと素朴に夢を語る「ノンポリ」だった龍馬が、次回はいよいよ土佐を去る決意をする。
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