因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団昴 ザ・サード・ステージ公演 vol.34 『THE GREEKS 10本のギリシャ劇によるひとつの物語』より第二部

2016-07-31 | 舞台

*エウリピデス、ホメロス、アイスキュロス、ソフォクレス原作 ジョン・バートン、ケネス・カヴァンダー編・英訳 吉田美枝翻訳 上村聡史演出 公式サイトはこちら Pit昴 8月7日で終了

 『グリークス』は2000年秋、シアターコクーンで上演された蜷川幸雄演出の舞台が強烈な印象で心に残っている。ギリシャの武将アガメムノンに平幹二朗、妻クリュタイムメストラを白石加代子の大看板に加え、ギリシャに滅ぼされるトロイアの女王ヘカベが渡辺美佐子、アンドロマケ/麻実れいと、主役級の俳優が大勢顔を揃えた。さらに『エレクトラ』ではタイトルロールのエレクトラを寺島しのぶ、その弟オレステスを歌舞伎俳優であり、寺島の実弟尾上菊之助が演じるのも話題となった。また今や舞台ばかりかテレビドラマでも引っ張りだこの吉田鋼太郎がアイギストス役で蜷川演出の舞台に初出演した。大枚をはたいて通し上演のチケットを買い、10本目が終わったときのカーテンコールではからだが震え、生きてこの舞台を体験できたことの幸せを味わったのだった。これほどためらいなく、スタンディングオベーションをしたのはこの舞台と・・・あとは何だったろうか。

 実力があり、かつ映像などで知名度の高い人気俳優たちがこれでもかというほど並び、通し上演を終えた達成感に輝くような笑顔を見せ、共演者どうし健闘を讃えあう様相はまさに圧巻であった。俳優、スタッフが「総力を結集する」とは、こういうことなのか。劇場ぜんたいが興奮のるつぼ。蜷川幸雄だからこそ成し得た舞台であり、ほかでは類を見ないものであろう。

 今回は老舗の新劇劇団である昴が、演出に文学座の上村聡史を迎え、小さな空間であるPit昴で一挙上演を行った。公演期間中は2日の休演日をはさみながら、第一部、第二部、第三部と1回ずつの日が9日、10作品を一日で上演する日が6日、しかも8月の5,6,7日は3日間連続の通し上演というハードなものである。

 客席は舞台を正面からみるオーソドックスな作りで、横に長い。舞台には半透明の幕が下ろされており、その向こうに観客には見せない別空間がある構図だ。足場が組まれ、俳優は左右に梯子を上って上の部分でも演技をする。俳優は客席ぎりぎりまで使って演技をしており、客席の感覚としては、自分に見える奥行きが極端に狭く、さらに足場の上の部分で演技をする場面では圧迫感があり、息苦しい印象であった。

 『エレクトラ』中盤で、死んだと知らされた弟のオレステスが登場した場面で、自分は大変驚いた。オレステスを演じた矢﨑和哉はぽっちゃりというより肥満体、メタボ体型と言ってもよいくらいであり、伸びかけのぼさぼさ髪にパーマをかけたのか、これでジャージの上下を着れば現代ドラマに登場する二―トの引きこもり、かばんをななめがけすれば秋葉原のパソコンショップにいそうな「オタク」の風情である。当日リーフレット掲載の矢﨑は、たしかにふっくらした顔立ちだが、健康な若者の風貌である。とすると今回のオレステスは、ルックスからして観客の意表を突く、いや度肝を抜くといってもよいほどであった。オレステスが死んだと聞かされて悲嘆に暮れるエレクトラのところに最初は別人のように現れ、やがて真実を告げ、一気に仇討をせんと盛り上がる。舞台下手へ歩きながら、オレステスは突然つまづく。まったく予期しないアクションであり、矢﨑がほんとうにつまづいたのかと思うほどだったが、そのあとにも同様のアクションがあり、どうやら今回のオレステスは必死なあまりすべってしまうキャラに造形されていることがわかってきた。

 結果として、『エレクトラ』という舞台にしてはありえないくらい客席からは笑いが起こったのである。帰宅したアイギストスがエレクトラの頭をポカリと叩くところなど、俳優二人の動作は「ばかもん、こいつ」、「いてっ」という台詞があってもおかしくない。悪く言えば下世話、よく言えばコミカルなものであった。身勝手なことを言い続けるクリュライムメストラも、大真面目にすればするほど滑稽になり、本音丸出しの家族たちによるコメディの様相すら呈していたのである。しかし母とアイギストスを殺害したオレステスが裸の上半身に血糊をべったりとつけているところは目のやり場に困るほどであった。

 これらの演出が作品に対して的確であるのか。新しい人物造形によって、作品ぜんたいもまた新しいものとなったのかはわからない。劇団昴の総力戦とも言える今回の公演。第二部の手ごたえは決してあいまいなものではなく、むしろ力強く明確なものであった。しかし第一部と第三部の観劇へのアクションがどうしても起こせなかった。また「通し上演のチケットを予約しておけばよかった」という後悔も、残念ながら持てなかったのである。蜷川演出版との比較が目的ではなく、しかし、「もっとすごいもの、新鮮な舞台を見たい」と求める気持ちが、無意識にあったことは否めない。今回の舞台に対して、どう考えればよいのだろうか。迷いの多いまま稿を終わるのは不本意であり、「流してしまいたくない」と強く願うものである。

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