*カルロ・ゴルドーニ原作 田之倉稔訳 加藤直台本・演出 萩京子作曲 公式サイトはこちら 世田谷パブリックシアター 10日で終了(1,2,3,4,5,6,7)
おどけ者で機転のきく召使いのアルレッキーノが、どさくさにまぎれてふたりの主人に仕えることになってしまい、おなかがすいて早く食事にありつきたいわ、可愛い下女のズメラルディーナは気になるわ、お金は欲しいわで繰り広げるてんやわんやである。シェイクスピア喜劇『まちがいつづき』と『十二夜』を足して二で割ったような物語だ。いや時代的にはゴルドーニが先で、シェイクスピアやモリエールに多大な影響を与えたわけだが。
アルレッキーノと観客にはすべてがわかっており、動揺し混乱する登場人物たちを楽しむ趣向で、今夜の客席はことさらにお年寄りから中年、若者、さらに子ども連れも多く見られてにぎやかだ。こんにゃく座歌役者の歌唱と演技はいつもながら抜群の安定感でゆるぎなく、前述の舞台美術はじめ、舞台衣装や小道具もたくさんあって、丁寧で誠実なつくりである。
劇場の中央に丸い舞台が作られ、頭上には月が輝く。二重につくられたカーテンを巧くつかって、丸舞台の上がいろいろな場所になる。前半部分で集中ができなかったため、登場人物の関係や話の流れなど聞き落としたところもあるが、それほど大きな妨げにはならなかった。とはいえ、三階席はほかのフロアにくらべて熱気が昇ってくるのかほかほかと気持ちよく、それが眠気を誘ったのか、いつもなら強くひきこまれるこんにゃく座の舞台なのに残念である。
良く言えば何らかの謎や問いかけが舞台から発せられており、何とか食らいついてそれを知ろう、つかみとろうという気合いを持たずとも、たぶん楽しめそうだという安心感、悪く言えば怠惰な姿勢が自分に生まれたのであろう。
シェイクスピアの『まちがいつつき』や『十二夜』を何度でもみたいと劇場に足を運ぶのは、双子の取り違えが生む大騒動が、それほど酷い結末にはならず最後はハッピーエンドであることをよく知っていることと、大団円で舞台と客席に満ちる幸福感を味わいたいためだ。べつべつの年月を経て、ふたごのきょうだいが再会し、互いに伴侶を得て幸福をつかんだ。わかっていてもここでぐっとさせられるのだ。
それになじんだ者としては、今回のゴルドーニは少々ものたりない印象であった。しかもこれほどつくりこんだ舞台がたった3日の上演とは!あまりにもったいない。大掛かりな舞台美術ゆえ、パブリックシアターサイズでの上演は必然だったのかもしれないが、登場人物の息づかいがもっと近く感じられるシアタートラムや俳優座劇場での上演もぜひにと願っている。
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