*山本タカ総合演出 公式サイトはこちら 明大前 KID AILACK ART HALL 19日まで(1,2,3,4,5,6,7)
劇団所属の俳優4人が自分自身をプロデュースし、古今東西の名作1篇を選んで劇作、演出、主演をこなす。主宰の山本タカが総合演出をつとめるというのも、今回の試みいや企みの危険度、怪しさをいっそう際立たせ、期待を抱かせる。ひとり芝居ではなく、4人の俳優は全編に登場する。ラインナップは上演順に以下のとおり。しめくくりに山本タカ自身による『銀河鉄道の夜』があることは当日知った。ただし山本は出演しない。
★グリム兄弟『白雪姫』×穂高みさき
★芥川龍之介『藪の中』×石綿大夢
★宮沢賢治『よだかの星』×草野峻平
★坂口安吾『白痴』×後藤祐哉
★宮沢賢治『銀河鉄道の夜』×山本タカ
夜の明大前駅周辺は思ったより闇が深く、キッドアイラックアートホールも黒のイメージだ。ひとりふたりと訪れる観客はことば少ない。開演前のアナウンスもまったくなく、静かに上演が始まった。
たしかに小さな劇場であるが、そのわりに天井が高いためだろう、客席にいても圧迫感がなく、広がりが感じられる空間だ。コエキモ所属の4人の俳優はいつもながら声がよく通り、身体の動きもしなやかだ。どこまでが俳優自身の演出で、どこからが総合演出山本タカの手が加わったものかは「ご想像におまかせ」といったところであろう。
独白や群読の使い分けもみごとであり、俳優陣の息がよく合っている。観客がコエキモに期待することはさまざまであろうから、①これまでコエキモが行ってきた舞台つくりを踏まえたもの、いかにもコエキモらしいものを浴びるように楽しみたい人もあれば、②せっかく4人がプロデュースする企画なのだから、それぞれの個性を活かした斬新な舞台を期待する向きもあろう。
ぜんたいとしては、①と②どちらかが圧倒的に強いのではなく、バランスのとれた舞台であった。まったく予備知識なしに舞台をみたとして、プロデュースしたのが誰か、わからないくらいである。日ごろからメンバーが主宰の山本の作風をよく理解して共有し、劇団として歩むことを試行錯誤していることのあらわれと想像する。それは変化を拒絶したり、主宰を絶対的な頂点と位置づける力関係を感じさせるものでもない。所属俳優がつぎつぎに退団した結果主宰者の個人ユニットになり、公演ごとに出演者を募ることによって以前より柔軟な活動をしている劇団もあるから、かならずしも「劇団の存続」が必要であるわけではないのだが、劇作家、演出家、俳優、スタッフがよい交わりを得て互いに切磋琢磨しながら舞台を生み出してゆくのは、みるものとしてとても幸せなことなのだ。
以下舞台の印象を短く書きだしておきます。
★白雪姫
意地悪な王妃さまと可愛らしく健気な白雪姫。おなじみの童話だが、「自分より美しいものは認めない」というエゴが連鎖してゆくさまを不気味にみせる。能面の使い方がおもしろい。彼女たちを美にかりたてるのは彼女たち自身ではなく、それを従順とみせてあざ笑いながら高みの見物をしている周囲の男たちではないか。
★藪の中
これはあと10分、せめて5分長い尺でみたい。本公演の題材にもじゅうぶんなりうるものではないか。
★よだかの星
鳥を摸した身体表現、フラメンコ風の音楽や手拍子が効果的だ。鳥を演じる3人の男優と、学校の女教師らしき語りを担う女優とのバランス、見せ方にもうひと工夫か。
★白痴
じつは原作を読んでいないため、俳優がその作品をどう読み、俳優である自身をどうみつめているかという本公演の要をつかむところに至らなかった。これは自分の怠惰である。申しわけない。空襲で逃げ惑うときにダンス風の動きになるところは、どうであろう、一考の余地があるのでは。
★銀河鉄道の夜
本作を後半に絞り込んで舞台化した。鳥捕りやシスターも原作のキャラクターそのままではなく、世の中の闇や毒を含んだ存在に描かれていて、宮沢賢治に傾倒している愛読者にはものたりなかったり、受け入れるにむずかしいものになるかもしれない。
ともすれば宮沢賢治への敬愛が強いあまりに空まわりしてひとりよがりになったり、抒情に流れてしまうことが少なからずある作品であるが、山本タカは作品に対する独自の距離感をもっており、これも1篇の独立した舞台作品になる可能性をもっている。山本タカはもっと書けるはずだ。
終演の際も「アンケートにご協力を」等々のアナウンスなく、これがすっきりして大変好ましい印象であった。静かにはじまって熱く燃え上がり、幕が下りればその余韻を抱えたまま帰路につく。いいものだな。
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