*チャールズ・ディケンズ原作 ジル・サントリエロ脚本・作詞作曲 フランクワイルドホーン追加作曲 鵜山仁翻訳・演出 公式サイトはこちら 帝国劇場 26日まで
まったくの偶然で観劇がかなった本作はディケンズの名作小説が原作である。2007年にミュージカル化されてアメリカで初演、2012年に韓国上演ののち今年の夏、日本でのお披露目となった。パンフレット掲載のジル・サントリエロの挨拶文によれば、彼女が小説を読んでミュージカルにしようと思い立ったのは16歳のときだという。生まれ年が記載されていないのでそれが何年前のことかはわからないが、「夢見がちな年頃」(パンフより)に抱いた思いを実現させるまでにどれほどの労苦があったことか、そして夢がかなったときの喜びがいかほどであったか。察するにあまりある。
18世紀のパリとロンドン、ふたつの都で繰り広げられる男女の恋、家族の愛、革命の意志の物語は、ディケンズの本に志を得た少女がかなえた素敵な夢の舞台である。
井上芳雄、浦井健治はじめ、橋本さとし、今井清隆、福井貴一、宮川浩、岡幸二郎といった帝劇ミュージカルの常連の布陣はさすがの安定感である。帝劇はおそらく今回がはじめてのようだが、元劇団四季の濱田めぐみがすばらしい歌唱力で客席を圧倒する。とくに両親との不仲などで屈折し、皮肉屋でいつも酒びたりの弁護士シドニー・カートンを演じた井上芳雄は、細身のからだつきや幼さの残る顔立ちもあって、まだまだ「ミュージカル界の王子さま」のイメージが強いけれども、今回はやさぐれた中年男の体臭を感じさせるほど役にはまっており、貫禄すら感じさせた。堂々たる主演である。
さて先月に開幕して以来、シドニーとチャールズ(浦井健治)ふたりに愛されるヒロインのルーシー役すみれの歌唱について、直接間接にそうとうな酷評を耳にしていた。ある程度覚悟して観劇にのぞんたのだが、歌よりも台詞が聴きとりにくいことに驚いた。「母から聞いて」の「ははから」が、「ああから」に聞こえるのである。「は」のH音の発音はむずかしいそうなのだがそれだけでなく、せっかくの長身なのに姿勢が悪く、歩き方もぎくしゃくして動きが不自然だ。さながらプロの俳優のなかにひとりだけ研究生がまじっている風情である。
プロのミュージカル俳優として大舞台に立つだけのじゅうぶんなトレーニングが間に合わなかったのではなかろうか。
この日は終演後に出演者(井上、浦井、濱田、すみれ)によるトークがあり、ハワイで幼いころを過ごしたすみれは「わたしは日本語がまだちゃんとできないから」としきりに恐縮しており、それでも「帝劇の舞台に出られてほんとうに嬉しい」と感極まって涙ぐんだ。自分の力がいたらないことを自覚し、これから必死の努力をする決意が感じられるが、周囲が大目にみてくれるのは今回の『二都物語』までだと肝に銘じておいたほうがよかろう。今回でも「金を返せ」と怒るお客さまは少なくないはず。
すぐれたミュージカルの条件として、たとえば『レ・ミゼラブル』の「民衆の歌」のように観客の心を一度でつかむような印象の強い歌があることが挙げられるが、それは必ずしも絶対的なものではないのではなかろうか。
『二都物語』にはたしかにそのような歌はない。観劇からあと一曲も覚えておらず、とうぜん歌えない。しかしだからといって楽しめなかったとは決して思わない。ミュージカルの大道をゆく作品とは別の場所に成立する舞台ではないか。
シドニーはひそかにルーシーを愛しながら友であるチャールズの幸せを祈って身を引くばかりか、パリで逮捕され処刑がきまったチャールズを救いだして身代りになる。惚れた女にひとことも言わず、友情と愛のためにみずからの人生を捧げるのだ。『無法松の一生』や『勧進帳』(色恋は皆無だが)、『レ・ミゼラブル』のエポニーヌのごとく、日本人の心をゆさぶり泣かせ、「あんたこそ男のなかの男だ」という、極めて浪花節的な要素が魅力的なのである。
井上芳雄は2000年夏の『エリザベート』の皇太子ルドルフ役で彗星のようにデヴュー以来、もう十年以上ずっと一線のミュージカル俳優として舞台に立ちつづけて いることは驚嘆に値する。青年といわれる時期から中年にさしかかる微妙な年齢を迎えようとしているが、井上芳雄はどんなミュージカル俳優になるのか。でき うるかぎり、そのすがたを見つづけることが自分の願いである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます