*別役実作 藤原新平演出 公式サイトはこちら 文学座新モリヤビル 11日で終了
公演チラシによれば演出の藤原は「末期演出家」、出演する金内喜久夫、本山可久子はいずれも「後期高齢者」で、3人の年齢の合計は245歳とのこと。ここに作者の別役実が加わるとさらにすごいことになって、老練の俳優の名演技もさることながら、この猛暑のなかだいじょうぶかしらという心配もあり。
舞台中央に木製の電信柱、そのわきにポリバケツがひとつ。
おなじみの別役劇の風景だ。
そこにいかにもホームレス風の老女が歌を歌いながらやってきて、ポリバケツに話しかけ、場所を譲らせて段ボールを敷く。あとから男もやってきてそこに座ろうとする。
上演時間は45分、年老いた男女の会話がひたすらつづく。ふたりはたぶん夫婦だったのだろうが、老いてホスピスに入ったものの、そこを抜けだしてきたらしい。塩辛をつまみにお茶をのみ、とりとめのないようで次第に真実へ迫ってくる別役劇会話の魅力に、超ベテラン俳優のむだのない枯淡の演技に惚れぼれするばかりであった。
終演後の交流会(すぐ終わった)で藤原さんによれば、本作は33年前に劇団昴の内田稔、新村礼子夫妻のために書き下ろされたもので、ああ、あのおふたりにもぴったりだと嬉しくなった。
忘れてはならないのが、もうひとりの登場人物ならぬポリバケツである。冒頭から女は当然のようにバケツに話しかけ、男は「こいつはどうせバケツなんだから」と毒づきながらどうようのことをする。全面的にバケツを擬人化しているわけではなく、ものなのに人のように扱ったり、ものはものですと方向を正そうとしたりという流れがおもしろい。
広島に「清掃員画家ガタロさん」と呼ばれる男性がいる。基町ショッピングセンターの通路とトイレを毎日ひとりで掃除して30年、ガタロさんは仕事の相棒と呼ぶ棒ずりやぞうきんを絵に描く。愛用の棒ずりは古いものを修繕して使いつづけており、「僕がいらだってガーッと使こうてもね、黙って立っとるでしょ。そのたたずまい。何も文句言わんわけですよ」と語る(8月10日放送 NHK「ETV特集」より)。
ガタロさんのような愛情はないにしても、本作の男女のポリバケツに対するふるまいは「小憎らしいが居てほしいやつ」とでもいう親しみがあって、べたついたところのない別役劇の隠れた真骨頂のように感じられるのである。
自分が別役劇に親しんだのは80年代から90年代はじめにかけてである。なかでも中村伸郎による数かずの舞台は忘れられない。その印象が大切なばかりに、最近の別役劇から心が遠ざかっていたのはたしかである。
今夜の『この道はいつか来た道』は、むかしの懐かしさを呼び起こすとともに、何十年たってもなお新鮮なものを求めることができる、もっと先、もっと奥があることに気づかされるものであった。藤原さんは「この公演が終わったら、わたしは(安心して)熱中症になります」と言っておられたが、どうかもう少しがんばって「苦労のしがいがある」(藤原さんのことば)別役劇を演出してくださいますよう。
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