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*木下順二作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 26日終了
劇団の初演は1962年の宇野重吉演出、同じく宇野演出で66年に再演、2000年には米倉斉加年の演出で三演を重ね、このたび24年ぶりに丹野郁弓が演出を担っての上演となった。押しも押されぬ劇団民藝の財産演目であり、半世紀を超えて取り組み続ける舞台に出会えたことは、観客として幸福であると思う。自分は今回が初めての『オットー~』となった。
自分の手元には岩波文庫の『オットーと呼ばれる日本人』がある。2013年上演の『神と人とのあいだ 第二部 夏・南方のローマンス』、翌年上演の『白い夜の宴』観劇の前後に購入したものと思われる。今回の『オットー~』再演を前に改めてページをめくってみると、ある台詞にアンダーラインが引かれていることに気づいた。
第三幕1場、男(オットー)とジョーと呼ばれる日本人(沖縄人の画家)の会話である。
1940年代の初頭、日米開戦前の東京。ジョンスンと呼ばれるドイツ人の部屋での会話である。ジョーは「日本の民衆がだらしないのにはあきれるよ」と嘆き、「一度徹底的に戦争に敗けるくらいの体験を持たんことにはどうにもんらんのじゃないかな」と、まことに辛辣なことをさらりと言う。この数年後、日本はほんとうに徹底的に敗けてしまうことを予言とも期待ともしている台詞で、「日本の民衆がだらしない」の一言もぐっさり刺さる。それにしても自分はいつ、どんなきっかけで10年も前にこの台詞にたどり着いたのだろうか?
『オットーと呼ばれる日本人』は、2回の休憩を挟んで上演が3時間40分という大作である。恐れていたほどではなかったが、自分にとっては「長時間があっという間」ではなく、集中が途切れたところもある。これは議論劇なのだから、観劇中はとにかく台詞を聴き取り、会話を理解せねばと前のめりであったが、戯曲を改めて読み返し、俳優の台詞を思い出してみると、ふと本作は「詩劇」でもあるのでは?と感じはじめた。基本的にリアリズム劇なのだが、たとえば第二幕の最後の場でジョンスンが愛人のゾフィーに向かって言いながら、過去を述懐し、やがてタイプライターを打ち始める長台詞や、エピローグのオットーの独白などである。
台詞から情報を聴き取って理解し、人物の性格を読み、物語の流れを把握するだけでなく、木下戯曲の詩的な響きに身を委ねることができたなら、本作の味わいはもっと深まるのではないか。願わくば自分が生きているうちに、何とかもう一度観劇の機会が訪れることを。
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