因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『梅津さんの穴を埋める』 

2005-06-13 | 舞台
 *土屋理敬作・演出
  5月18~29日 ステージ円
演劇集団円の次世代の作家シリーズの第三弾。5月の舞台の最後にふさわしい充実した体験ができた。
幕が開くといきなり妙な情景が飛び込んでくる。ある家のダイニングキッチンらしい。下手には冷蔵庫が倒れており、テーブルは前のめりに大きく傾いているて、人々が不自然な体勢で固まっている。母が一人暮らす築三十年の梅津家。リフォームの相談のために三人の子どもたちプラス末っ子の彼氏が戻ってきているのだが、根太が腐り、冷蔵庫が倒れた拍子に床に穴があき、久しぶりに集まった家族は椅子に腰掛けたまま床からからだが抜けなくなってしまったのだという。 
 ケータイ電話には手が届かず、大声で助けを呼ぼうにもおもてに人通りはない。
 現実にこういう事態があるかどうかはさておき、特殊な状況におかれた人々が織りなす一種のシチュエーションドラマといえるだろう。
 身動きできない家族の会話の中から次々に明らかになる梅津家の事情というのがなかなかすごいのである。
 その1 一家の父は半年前に家出して行方知れず。半年といえばまだまだ最近の出来事ではないか。
 その2 母(山乃廣美)は二十年前、家族を捨てて駆け落ちしようとしたことがある。
 その3 長男(大竹周作)は最近教師をクビになり、現在無職。
 その4 長女(米山奈穂)は社内不倫の末パニック障害になり、休職中。
 宅配便の青年(佐藤せつじ)も床に落ちてしまい、頼みは毎日散歩に来る犬のゴローだけである。
 が、宅配便の青年が「今日駅前でお宅のご主人を見かけた」というではないか。
 父、帰るのか?
 その2が当時小学生だった長男の人生に思いもよらない影を落としていたことがわかり、そのためにどれだけ苦しんで
きたかを彼が訴える場面はこちらの胸がきりきりと痛むほどであった。
 母を責めても不在の父に怒りをぶつけても、もはや誰が悪いのでもないのだ。よかれと思ってしたこと、相手のためを思って黙っていたことがまったく逆効果だったり、無意味だったりすることはある。
 深刻な話をしているが全員が床にはまったままという状況がどこか間抜けでおかしくもあり、救いにもなっている。
 家族以外の登場人物、リフォーム業者(上杉陽一)や末っ子の彼氏(佐々木睦)、前述の宅配青年の配置が絶妙で、家族だけだったら煮詰まってしまいそうな話に風を通す役割を果たしている。
 欲を言えば状況の設定にやや無理があるのでは?穴に落ちて誰も怪我をしていないことは少し不自然であるし、たとえばトイレに行きたくなるとどうするかという危機のほうが現実的である。
 しかしそのあたりを補ってあまりあるのは、作者の人を見る目の鋭さと優しさであろう。
 生きている限り辛いことや嫌なことはある。それでもやっぱり生きていくしかないじゃないか。
 生きていこうよ。
 そんな気持ちになってくるのである。

 観劇日は千秋楽で、客席には温かい空気が満ちていた。
 4月にみた青木豪作・演出の『東風』のときにも感じたが、同じ劇団の仲間だった人がそこを去り新しい場所で活躍し、時を経てかつての劇団に戯曲を書き下ろし演出するとは、何と素敵なことだろう。
 「おかえり」「ただいま」。この公演が終わればまたそれぞれの場所に戻っていく。
 「行っておいで」「行ってきます」
 プロデュース公演とはひと味違う、同志感覚、家族的雰囲気がより強く感じられるステージだった。

 終幕、家族たちは賭けをする。先に助けにくるのが父かゴローか。
 父は見事なまでに信用されておらず、ほとんどがゴローだという。それも2000円である。
 ならばわたしはお父さんが先のほうに3000円だ。
 ほんとは皆お父さんに帰ってきてほしいのだ。
 帰ってこい、梅津さんのお父さん!(5月29日観劇)
  
 
 

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