*関根信一(劇団フライングステージ)作 野坂実演出 公式サイトはこちら Heiz銀座 20日まで
関根信一が2007年にPal,s Sharerに書き下ろした作品を、今回クロカミショウネンが番外シリーズとして取り上げた。会場はほんとうに銀座のど真ん中のビルである。題名のとおり、ある小学校の2年1組の保護者会が行われ、観客もその参加者として会場に通される。保護者会なのだからチケットもない。中はまさしく教室になっており、壁には子どもたちのお習字が展示され、水槽には金魚が泳いでいる。中央に机が集められ、保護者達が三々五々集まってくる。教室の壁に沿って客席の椅子が並べられ、観客は教師や保護者たちと同じ高さ、明るさのなかで過ごすことになる。
新学期に入ってからの子どもたちの様子を学校、家庭双方から情報を交換すること、来る運動会の保護者参加競技参加者を決めるのが今日の議題である。子どもの数だけ親がいて、それぞれに事情があり、言いたくないこともあるし、聞きたくないこともある反面、どうしても言いたいこともあるし、聞いてほしいこともある。かといって特に難しい問題や複雑な事情はなく、想像の範囲内であり、まとまりかけた話をひとりの母親がひっくり返すかと身構えたが、穏やかに終了した。伝わってくるのは、みなかつては子どもであり、それが子どもを持つことによって親になっていくということだ。あたりまえのことだが心に染みいるものがあった。
ワダタワーと加藤裕が、これまでクロカミショウネンやフライングステージの舞台とは別人のように誠実で優しい先生を自然に演じており、それに対して保護者側の俳優の演技が少し強過ぎるように感じた。天井が低く、狭い会場(教室か)である。照明もそのままで逃げ場のない観客としては、すぐ目の前で喧々諤々の議論が行われる熱気をそのまま受け止めるのは正直きついものがある。もう少し抑制した声量と演技でも大丈夫なのではないか。
それから本作にはゲイテイストがまったくなかった。もしかしたらどこかの台詞や場面に秘かに示されているのかもしれないが、自分にはわからなかった。母親のひとりが担任教師のワダタワーに、「子どものいない人にはわからない」と怒りの矛先を向けたとき、自分はワダが「僕はゲイなので子どもはいないのだ」と告白するのではないかと想像、いや、きっとそういう展開になるだろうと決めつけていて、そうではない流れになってある意味安心もし、自分の勇み足を反省したのであった。
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