*平田オリザ脚本・演出 公式サイトはこちら 神奈川芸術劇場大スタジオ 19日のみ
青年団+大阪大学+ロボット演劇プロジェクト 平田オリザ・石黒浩研究室・㈱イーガー共同製作
昨年あいちトリエンナーレでの『森の奥』の上演が話題になり、新聞等の記事もいくつかみかけたがまったく食指が動かなかった。芝居に対する自分の欠点は「食わず嫌い」「決めつける」等々たくさんあって、こと平田オリザ氏のお仕事に関してはあまり素直になれず、かといってその理由をきちんと論考、執筆できないものかしさが常につきまとうのであった。今回は思いがけず知り合いからお声がけをいただいたのをきっかけに足を運んだ。歌舞伎公演ならいざ知らず、午前11時開演の現代劇はこれがはじめてではないか。
1本めはアンドロイド演劇『さようなら』。2本はロボット演劇『働く私』。文字通り前者にはアンドロイドが、後者にはロボットが、それぞれ人間の俳優と共演する。
アンドロイド演劇『さようなら』。舞台には黒服の女性が2人。しかし上手は金髪の人間の女性で、下手がアンドロイドである。すぐに見分けがつくが、肌の質感や眉の細かい動きなど、びっくりするくらい精巧である。金髪の女性は病なのだろうか、もうあまり長く生きられないらしく、父親が買ってくれたアンドロイドを話し相手に過ごしている。アンドロイドは詩を読み、彼女と話す。約15分の短い時間。アンドロイドには「機械的」と「人間的」の両面を微妙な混ざり具合で持っていて、微苦笑を誘う。
ロボット演劇『働く私』。夫婦だけで暮らす家に、2体のロボットがいる。夫は無職、鬱のひきこもり風で、ロボットたちが妻の家事を手伝っている。絶妙な焼き具合のピッツアを作る腕前を持ちながら、買い物に誘うともじもじしている。ハード面で無理があるらしい。こちらのロボットも人間に対して気遣いをしようと努力しているところが描かれていて、笑える場面が随所にある。この夫婦の事情は詳しくわからないものの、30分を飽きさせない。
結論から言うと、自分はどちらの舞台も楽しめた。演劇は生身の人間にしかできないものだと声高に主張せずとも、演劇にはさまざまな可能性があって、これもじゅうぶん「あり」だと思う。本作が舞台作品として成立したのは、アンドロイドとロボットが登場する設定が厳然として舞台に提示されており、そこに観客が困惑や疑問など自分の考えをさしはさむ余地がほとんどなかったためではないか。アンドロイドが登場する作品として記憶に新しいのが『F』(宮森さつき作 木崎友紀子演出)で、人間が演じるアンドロイドと死に向かう女性が過ごす四季の移ろいが瑞々しく描かれているものであった。今回は2本とも、何やらうら淋しいというか、もの悲しい印象が残り、しかしその感情はいずれもマイナスではなかった。こんなに精巧なアンドロイドやロボットができるという技術面にはそれほど驚かず(理系に疎い人間なので、どれだけすごいか理解できないのだ)、新しい演劇だと衝撃を受けたわけでもなく、あくまでも演劇のひとつの可能性であると捉える。それ以上でも以下でもない。
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