*瀬戸口郁(かおる)作 西川信廣演出 公式サイトはこちら 紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA 27日まで
俳句と短歌を通して日本語の革新に挑み、重い病に苦しみながらも大いに食べ、34歳の若さで世を去った子規と、家族、弟子や友人たちが繰り広げる「のびやかな青春群像活劇!」(公演チラシより)。2017年の今年は正岡子規、夏目漱石の生誕150年であり、今年創立80周年を迎えた文学座の記念の年でもある。初日のロビーには子規のふるさと四国・松山の名産品の物販がにぎやかに行われており、文学散歩や観光案内のパンフレットなどもたくさん配布され、観劇前の気分を大いに盛り上げる。
しかしながら肝心の舞台についてはしっくりしないところが多い。芝居のタイトルは作品の顔であり、観客を迎え入れる玄関の看板であるが、『食いしん坊万歳!』というタイトルからは、どうしても某テレビ局の食べ歩き番組を想起してしまう。劇中、ハーモニカかアコーディオンであろうか、非常にノスタルジックな音楽が随所に流れ、それが子規喀血の緊迫した場面ではギターであろうか、気恥ずかしくなるほどドラマティックなメロディになり、正直ところ困惑した。
また俳優のほとんどが大声を張る演技をしており、「のびやかな青春群像活劇!」と謳う舞台らしく、エネルギッシュではあるが、この劇場のサイズであれば、もう少し抑制してもじゅうぶんに伝わる。とくに子規役の佐川和正は、昨年秋の『弁明』での演技がとても印象深く、彼ならもっと繊細で微妙な子規像の造形が可能ではないだろうか。
作り手は正岡子規の何を、どのように描きたかったのかという根本的なことが感じ取れなかった。重病の脊椎カリエスを患いながら、大食漢の美食家であったことが意味するもの、命への切ないまでの執着や、俳諧を極め切れないまま若くして世を去る悲しみ、母や妹の律、弟子たちに対して、決して聖人君子ではなかった素顔等々、子規を描く切り口はさまざまにあるはずだ。
劇作家瀬戸口郁と演出の西川信廣のコンビは、本作で15本めになるとのこと。お互いをよく知り、プロデュース公演ではない、自分たちのホームグラウンドでの公演である。若手から中堅、ベテランまで幅広い年齢層とキャリアの俳優がいて、ともに作り上げる舞台だ。みる側としても、どうしても欲が出るのである。
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