因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団青年座第208回公演『崩れゆくセールスマン』

2013-06-20 | 舞台

*野木萌葱作 黒岩亮演出 公式サイトはこちら 青年座劇場 23日で終了
 パラドックス定数を主宰する野木萌葱が青年座に新作を書きおろした。パラ定の観劇記事はこちらで、(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17)当方の入れ込みよう、入れあげようはもう・・・。現実に起こった事件をモチーフにした作品は、史実を丹念に読み解きながら、そこに劇作家が大胆な発想、ときに妄想をからませて、小さな劇空間がときにふくらみ、ときにねじれながら観客を迷わせ、思いもよらないところへ連れてゆく。
 この感覚を一度味わうと、まさにやみつきになる。年に2~3回の公演をコンスタントに行い、その都度エネルギッシュに新作を披露する勢いに加え、『東京裁判』のように再演を繰り返す演目のいずれも、数年前から自分の観劇スケジュールに欠かせないものとなっている。

 その野木が外部の劇団に、それも老舗の新劇系劇団の青年座に戯曲を書きおろした。
 幅広い年齢層の俳優が男性も女性も在席する青年座が、野木作品をどのように上演するのか。

 前回がいつだったか思い出せないほど久しぶりの青年座劇場は、パラドックス定数の客層とは大きく異なり、年配の方々が多くを占めるものであった。演技エリアと同じ高さの椅子席が数列、そこからわりあい傾斜のきつい階段席が通路ぎりぎりまで作られている。ほぼぎっしりの満席だ。

 本作は1985年に起こった豊田商事による詐欺事件をモチーフにしている。金現物まがい商法による大型詐欺事件は、永野一男会長が取材に訪れたマスコミ関係者約30人の面前で、自宅に侵入した二人組の男に刺殺されるという衝撃的な結末を迎える。
 ひとり暮らしのお年寄りが狙われ、まずは無差別に電話セールスをし、手ごたえのあった家をたずねる。いったん家にあがると、仏壇に線香をあげたり買い物など身の回りの世話をして家族のようにふるまい、相手を安心させ人情にうったえて契約にもちこむ。

 だます側の戦略や思惑が緻密に描かれるいっぽうで、本作はだまされる側の心の奥底に目を向けさせる。さまざまな詐欺事件を見聞きするたびに、わたしたちは「なぜこのような口車にかんたんに乗せられてしまったのか」と不思議に思い、その感覚は往々にして「だますほうも悪いが、だまされるほうも悪い」という決めつけにつながる。

 そうではなくて、「わかっていてだまされる」人がいる。その心象に焦点をあてたのが『崩れゆくセールスマン』である。

 公演パンフレット記載の演出家の挨拶には、「青年座でやるわけですから、同じ野木作品であっても『パラドックス定数』とはおそらく違うテイストの作品になります」とある。当然だ。それをみたくて足を運んだのだから。
 しかし残念ながら、そのちがいを楽しむところには至れなかったのが率直なところであった。
 違うテイストは、開演前に場内に音楽が流れていたり、劇中でも音楽が使われていること、老若男女の俳優が出演することなど、あらゆるところに現れている。それが「野木作品に、新境地あり」とプラスに受けとめられなかったのは、俳優の演技が役柄と設定にふさわしく、しっかり稽古を積んだ熱演型であったためではないだろうか。

 むろんパラ定でも、舞台の眼鏡スーツ男子たちは激しい演技をみせ、みるものを惹きつける。青年座の熱演は、なぜだろう、みながらだんだん引いてしまうのである。
 野木作品で女性が登場するものをみたのはこれがはじめてだが、好成績の女性セールスマンと社長の愛人である秘書など、設定や造形がいささかありきたりなところが散見しており、率直にいって、予備知識なしに本作を観劇したなら、野木萌葱の作品であるとは思いにくいほどである。
 目の前の部屋が老女の済む団地の応接間になったり、詐欺会社の社長室になったりする。演技エリア前面の通路を巧みにつかってはいるものの、靴の脱ぎ履きの動作をみせるときにいかにも不自然であったり、細かいところが目についてしまったのが残念である。

 野木作品の特徴のひとつは、上演台本のト書きである。たんに人物の動きや場の説明ではなく、人物の心の声や作者自身の声がひっそりと息づいているかのように微妙な表現があって、終演後の帰路で台本を読みながら、劇世界に野木その人が存在しているごとく思われるのである。パラ定の公演では、上演の前説と終演後の挨拶を野木本人がみごとにつとめている。必要事項をもれなくユーモラスに伝え、あわただしい観劇前の心を整え、終演後の余韻をこわすことなく、アンケートやリピート観劇を呼びかけ、観客は拍手をもってそれに応えるのである。
『崩れゆくセールスマン』には、野木さんはどこにいるのだろうか。その不安が終始つきまとった。むろん青年座の公演であるから野木さんが出てくることはなく、何よりパラ定と青年座の比較に終始して、「こちらのほうが好き」となるのはあまり楽しい見かたではない。

 素直な気持ちで新しい場所での上演を楽しみ、パラ定の魅力を再認識する。それができなかったことが非常に残念だ。わかっていて騙される老女役の山本与志恵のふところの深い造形、セールスマンを演じた石母田史朗が鋭利な刃物のような敏腕ぶりが鈍りはじめるところを興味深くみた。このふたりの関係が今後どうなるのか。      

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