因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

龍馬伝第6回『松陰はどこだ?』

2010-02-11 | テレビドラマ

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 道場を飛び出した龍馬は行き場もなく、身を持て余す。心配してやってきた千葉佐那(貫地谷しほり)にも、乱れる心のうちをぶつけるばかり。ふと桂小五郎(谷原章介)が口にしていた「松陰先生」のことを思い出す。黒船が象徴する外国の襲来をずっと以前から考えていたというその人に会いたい、先生なら自分の進む道を教えてくださるのではないか?
 そんな折、桂のもとに「黒船に密航し、外国に渡る」という松陰の手紙が届く。龍馬と桂は松陰を探しに駆け出す。

 77年大河ドラマ『花神』で、篠田三郎が演じた吉田松陰先生が自分にとって唯一の松陰である。いっしょにみた家族や親戚とも共有する大切な宝物のごとき存在だ。ほんとうに清らかでまっすぐで、弟子たちが松陰を一心に慕う気持ちが子どもにもよくわかった。特に斬首刑に処されるとき、カメラは松陰の両の眼をアップにした。何と澄み切った美しい瞳だったことか。今でも忘れられない。

 さて今回は大変大きな目玉の持ち主生瀬勝久が松陰を演じる。龍馬が桂と下田の浜辺に着いたとき、松陰はまさに小舟をこぎ出す寸前であった。この場での生瀬の迫力はすさまじい。大噴火した活火山のごとく、一点の迷いもなく後悔も言い訳もせず、揺れ動く龍馬を文字どおり張り倒し、喝破する。「きみは何者じゃ?何のために、この天のもとにおる?」「考えるな、自分の心を見よ。答はそこにあるはずじゃ。」(台詞は記憶によるもの)

 番組の公式サイトによると、この場面は台本9ページ分を台詞のNGなしで一気に撮影したのだという。確かにこちらまでぐいぐいと引っ張られてしまうような緊張感と力強さがあった。自分の進む道は書物にも書かれておらず、どんな偉い先生に尋ねても答はもらえない。自分で考えぬき、最後には考えることもなくしてひたすら自分の心をみつめることを龍馬は思い知らされる。若く柔らかい龍馬の心に強烈な印象を与えて、松陰は疾風のごとく去ってゆく。幕末という時代が生んだ出会いの奇跡として、心に残るシーンであった。けれども。

 吉田松陰が何も配慮も計画もなく、ただやみくもに「外国をみたい」という気持ちだけで暴走し、黒船にはあっけなく断られ、その上自首してお縄になったという印象がなきにしもあらず。松陰先生にはもう少しお静かに、思慮深い造形で熱い志を語っていただきたく・・・。ともかく篠田三郎の吉田松陰像はゆるぎなく、余人をもって代えがたし。「この人物はあの俳優さんでなければ」という思い出があるのは幸せだ。しかしもしかしたら違う造形の松陰にいつか会えるのではないか。今回のサブタイトルのように「松陰はどこだ?」と探し求める気持ちもあるのである。

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