昨年の11月から参加している「ドラマを読む会」では、今年の1月でJ.M.シングの『西の国の人気者』を終了し、2月から同じシングの『海へ乗り行く者たち』を読みはじめた。わずか11ページの短編である。先月は大阪行きでおやすみしたため、中盤から参加して終幕の少し前まで読んだ。
小さな田舎町に住む家族の家が舞台である。母親のモーリャ、息子のバートレイ、娘はふたり、姉キャスリーンに妹ノーラ。キャサリーンだけ「年の頃二十歳」と記してあるが、そのほかの人物についてはとくに記載がなく、想像しながら読むことになる。
一家には腕のいい漁師でマイケルという名の息子がいたのだが、9日前から海難事故で行方知れずになっている。母親は息子の無事を祈り続けているが、実は娘たちは教会の司祭からマイケルに関する重大なものをあずかっているのだった。
読みすすむうちに、一家の息子たちがこれまで4人も海で命を落としていることが明かされる。海は生きる糧を得させてくれるが、容赦なく命を奪いもする。マイケルは行方がわからず、バークレイもまた海に向かおうとしている。
姉妹が母親の目に触れないように注意をはらいながら、司祭からあずかった包みを開けると、そこにはシャツの切れはしと靴下が入っていた。湾にあがった水死体が身に着けていたものだ。姉妹はそれらがマイケルのものかどうかを確認しはじめる。
11ページの短編だ。一杯道具ので登場人物も少ない。マイケルが海で命を落としたのかどうかがわかる。それだけの話である。
しかし着古したシャツの切れはしをうちに残っている衣服と生地を比べたり、編みかたの特徴で自分がマイケルに編んでやった靴下と同じであることを確認する場面は痛ましい。
母親には内緒にしていようと決めたのに、息子の幻影をみたのか正気を失った様子にキャスリーンは突如「穏やかな口調で」(ト書きより)マイケルの遺体が北の方で発見され、埋葬をしてもらったと真実を告げるのである。妹のノーラももう取り繕うとはしない。はっきりした台詞はなく、ト書きにも記されていない感情の動きが姉妹のあいだに生まれ、混乱する母親を抱きしめるように真実を告げる。
実は昨夜予習のつもりで黙読したのだが、いっこうに頭に入らなかった(泣)。しかし今日実際に声を出して読み、原文を確認したり台詞のひとつひとつを考えるうちに、次第に劇世界が浮かび上がってきた。戯曲は声に出して、あるいは動きながら読まれることによって、呼吸をはじめる。そのことを改めて実感した。
この会では、自分の年齢でも「若いかた」になる(笑)。いつも会費あつめのお世話をしてくださる方は心臓の手術、遠方から参加されている方は転倒して8針縫う怪我と、日々のあれこれは否応なく誰にでも訪れ、それでもずっと会が続いていて、自分もその交わりに加えていただいていることはほんとうに幸福だ。
来月はおやすみの方も回復され、ともにシングの作品を読むことができますように。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます