因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ハイリンドvol.11『牡丹灯篭』

2011-07-02 | 舞台

*三遊亭円朝 作 西沢栄治(JAM SESSION)構成・演出 公式サイトはこちら 日暮里d-倉庫 10日まで (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10) 
 初演は2006年の8月、下北沢の「劇」小劇場、残暑の疲れを吹き飛ばすような舞台に圧倒された。何とイキのいい舞台だろう。戯曲を重んじ、演出家を信頼し、舞台ぜんたいのバランスを大切にする姿勢が好ましく、「お芝居はこうでなくっちゃ!」と嬉しくなった。これは『牡丹灯篭』にかぎらずハイリンドの舞台からほとんど毎回得られる確かな手ごたえであり、みるたびにこの劇団をまるで自分の親しい友だちであるかのように自慢したくなるのである。

 今回は劇場が日暮里のd-倉庫になり、ハイリンド所属メンバー以外の配役も変わった。天井に高さがあり、舞台、客席にもゆとりのあるd-倉庫、「劇」小劇場に比べると圧迫感がなく、舞台の熱風が気持ちよく吹き抜けていく。

 初演は2時間15分くらいであったと記憶するが、今回は2時間ちょうどになった。初演の「ハイリンド潤色」が今回は「西沢栄治構成」となっており、実はどの場面が変わったかがわからないのだが、初演の熱気はそのままに、オリジナルメンバーはいよいよ手堅く、新しいメンバーも得て精度を高めた印象である。初演の印象を記した2006年秋発行の因幡屋通信24号を読み返して、再演の舞台が初演の好印象に寸分たがわないことに改めて驚いた。本作は観客からの再演希望が最も高い演目であるとのこと。「もう一度みたい」と願う客席の思いを受けとめ、「もっとおもしろい舞台を」という意気込みが伝わる。

 公演チラシに「命懸けの逢瀬。命懸けの忠義。命懸けの裏切り」とある。血を分けた肉親への深い愛情が仇討ちへの忍耐を養わせ、ときにそれを上回るほどの情と信頼が生まれる忠義もある。相手を愛するあまり、幽霊になって恨み殺したり、労苦をともにした夫婦が金を得たばかりに壊れてしまう。現代に比べて生き死にが軽いのか重いのか。この世の不条理や人間の業が壮絶に絡み合う様相は陰惨というか滑稽というか醜悪というか。どろどろの愛憎劇であるにも関わらず、終演後に清々しい心持ちにさせてくれるのが、ハイリンドの個性、演出家の手腕であろう。

 こんなに楽しく観劇したというのに、実は微妙に憂鬱なのだ。それは「再演について、このように考える」という新しい視点、切り口が見つけられないためである。これは再演に新味が感じられなかったということではまったくなく、あくまで自分の問題だ。さてどうしたものか。ハイリンドは連れがあると話が弾んでいっそう楽しい。今回はこれがハイリンド初観劇の友人を誘い、期待通り楽しんでくれて自分も楽しさが増した。ハイリンドは多くの人に安心して勧められる劇団なのである。その安定感と新鮮味を前回とは違った視点、表現で記すことができたら。悩ましくも幸せな課題である。

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