*伊坂幸太郎 原作 瀬戸山美咲 脚色・演出 公式サイトはこちら 吉祥寺スターパインズカフェ 3日で終了
小説の舞台化にはさまざまな方法がある。きっちりと、ある意味「ベタ」な手法で文学の世界を舞台に乗せる。無理も生じるが、それだけ原作を重視し、忠実でありたいという作り手の気持ちは伝わる。また小説を「読む」行為じたいを舞台でみせ、リーディング、朗読劇的に構成する方法もある。たとえば桑原裕子が構成・演出するKAKUTAの「朗読の夜」は、小説を読むこと、舞台をみることの両方の楽しみが味わうことができる(1,2,3)。
小説世界の何を、いかに舞台に可視化させるか。それが脚色(あるいは構成)、演出する人の腕のみせどころになる。
スターパインズカフェは基本的にライブハウスである。開演の1時間も前にオープンするのも、客席で軽く飲んだりしながらリラックスして待つためであろう。
自分はこういう場所にほとんどなじみがなく、ステージにはドラムセットやギターなどが置かれているのをみて、「バンドの生演奏付きの芝居だろうか」と予想した。
本公演は「東京ハートブレイカーズⅥ フィッシュストーリー-Fish Story-」である。東京ハートブレイカーズというバンドがあって、彼らのライブ演奏のみならず彼ら自身も『フィッシュストーリー』の登場人物として舞台を構成する。時制の異なるシーンがかわるたびにバンドの演奏があり、その歌は舞台の重要な要素となる・・・というとらえ方で合っているだろうか。この構成が理解できるまで少々混乱、困惑した。また理解できたあとも、それを受け入れて楽しむには自分がこういう場所にほとんど馴じみがないこと、東京ハートブレイカーズについて寡聞であることが影響し、演劇好きというよりバンドのファンが多くを占めていたと思われる客席のなかで自分は大変場違いな存在に感じられ、複雑な居心地の2時間であった。
自分で戯曲を書き、演出することとはまた違う面で、原作があるものを舞台に構成するむずかしさがある。それに瀬戸山美咲がどう取り組むのかをみたかったのだ。舞台の熱気を客席は素直に受けとめて、たいへんいい雰囲気だ。作り手も本作を大いに楽しんで力いっぱい取り組んだことがわかる。しかしバンドの演奏と芝居の部分のつながりにもう少し有機性がほしいし、個々の人物の造形が戯画化されてドタバタ風になっており、確かに客席は沸いていたけれども(その反応は、いわゆる小劇場の客席に比べると非常に良心的であった)、笑いをとるよりもその人物の心象をもっと深く知りたいと思う。
伊坂幸太郎の小説は、時制や場所が互いに少しずつリンクしながら次第につながっていく巧みな構成を持つものが多く、本作もまさにそうである。舞台にのせるには多くの困難があるだろうが、その困難を逆手にとった大胆な構成・演出もまた可能ではないだろうか。
原作があるからそう簡単に台詞や人物を変えたり加えたりはできないであろうが、瀬戸山美咲は劇作家としてもっと書ける人であり、繊細な演出ができる人であることを確信している自分からすると、今回の舞台に対して疑問や困惑を抑えることができなかった。
しかしあれから伊坂幸太郎の小説を少しずつ読むようになった。これを舞台にするならどの劇場でどの俳優さんが、どんな音楽で登場するだろうかと想像しながら。
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