先ほど投稿した直後、偶然、弁天さまの数字、17人が読まれました (^_^)
当ブログでの過去記述です。 すべてが実話で、脚色一切ありません。
(瀬織津姫の御神画とか、濃い目のお顔立ちで出されているのを時折みかけますが、ぜんぜん濃いお顔立ちじゃなかったですよ。「涼しい」お顔立ちの美人女神で、ほんわりした雰囲気です)
ウカノミタマ女神・・・ - タツノヒノエ
先ほど投稿した直後、偶然、弁天さまの数字、17人が読まれました (^_^)
当ブログでの過去記述です。 すべてが実話で、脚色一切ありません。
本日、神画のプロに製作依頼していた「御神画」が届きましたので、
当ブログの主役でありメインの実話、詳細を記します。(すべて実話です)
・・・その日、2018年5月、成田山大阪別院の護摩祈祷に参列するために、車を走らせていました。
成田山大阪別院では、一日5座の護摩祈祷が修 (しゅ) され、私は11時半、三座目の御護摩を目指していました。
ただ、その日は、様々な障りがあり、本来、10時半には到着するはずが、11時10分頃にやっと到着。
身体的・精神的に疲れ果てていた私は、
(私の日頃の不信心に、お不動さまが怒ってらっしゃるのだ。もう、今日を最後に直接参拝は止め、今後は、現金書留で護摩祈祷をお願いしよう・・・)
そう思いながら、元気なく受付に行きました。
受付では、職員の某氏が応対。いつもより明るく元気に応対してくれます。
「・・・これ、御本尊さまと、職員さん達、そして、こちらは、稲荷さまか大黒さまに」と言い、買ってきた「和菓子」を手渡します。十分に買ってきたハズだったのですが、職員さんが70名いるとはつゆ知らず、菓子折が不足してしまいました。
「こちらは、稲荷さまですか? 大黒さまですか?」「決めかねないので、お任せします」「稲荷さまですか?大黒さまですか? 稲荷さまでいいですか?」「・・・お任せします」
・・・私は受付を済ませ、古札納札に行き、そして本堂前で「線香」を立てて本堂受付に。受付の印が押してある護摩祈祷申込書を手渡して、護摩木置き場に、あらかじめ書いてきた祈願護摩木を置きました。
すると、受付の某氏が来ていて、「この護摩木、今日、焚いていただきますね」と、私の護摩木だけを持って行ってくれました。
御礼を言い、隣の御守り売り場で御守りを買い、本堂後ろの「稲荷大明神 (ダキニ天尊) 」と、並びの「大黒天堂」に参拝しました。
普段は、「大師堂」「稲荷大明神」「大黒天堂」「奥之院」「本堂裏の大日如来」「本堂斜め前の大日如来」を拝んで本堂に入るのですが、その日は時間ギリギリだったので、「稲荷さま」「大黒さま」のみ参拝し、本堂に。
私は、御本尊・不動明王を向かって右下から、「ぼーっ」と眺め、
(数々の不信心申し訳ありません・・・今後は、直接参拝は控え、現金書留で護摩祈祷申し込みます。どうぞ、ご容赦ください) と、意気消沈しながら眺めていました。
すると・・・御本尊さまの御顔から、「見目麗しい、年のころ20歳くらいの女神」が、「すっ」と顕れたのです。
「凛 (りん) とした」透明感あふれる一重切れ長の美しい瞳は、日本人の源流を思わせる。
その清浄で優しいオーラは、一目で「神」とわかりました。
小顔で細面。鼻筋が通り、細くて綺麗な首筋は、「八頭身美人」を思わせる。
口元には優しい微笑み。
長い黒髪を上でくくり、後ろに流されているような髪型でした。額の上には、小さな「冠具」が見えました。古代の大王 (おおきみ) の妃か、女王だった「神」だとわかりました。きれいな御顔の左右には、きれいに束ねられた「髪の束」が品よく垂れていました。高野山南院の、浪切不動明王御影の、御顔左に垂れている「弁髪 (べんぱつ) 」に似た感じです。普通の不動明王の弁髪は、「三つ編みおさげ髪」のようですが、この浪切不動尊御影は、途中「ふわっ」としています。この弁髪がもっと綺麗に「ふんわり」した感じでした。
「天上界」にリンスがあるのかは知りませんが、艶のあるきれいな黒髪でした。
清潔感があり、ものすごい美貌で、「涼やかな」お顔立ちです。美人なのですが、「ほんわり」とした優しい雰囲気でした。
私の目を、慈愛に満ちた優しい瞳で、「まっすぐ」見つめておられました。口元には優しい微笑み。
(あなたは、間違ってませんよ) そう仰られた気がしますが、お声は発せられませんでした。
(たった今、そばでアマガエルが、きゃっきゃっきゃっきゃっきゃっと鳴きました)
(・・・初めて見る御顔だ・・・。ああ・・・お不動様は、やはり女神と習合されていたのか・・・)
そう思った瞬間、女神は「すっ」と、お不動さまの中に消えられ、
今度は、18歳くらいの「男神」が顕れました。※
※ 学研の「仏尊の辞典」(壮大なる仏教宇宙の仏たち)、224P、高野明神と本地仏に、「一宮さま (丹生都比女神 にうつひめかみ) の本地仏は、諸説ある中、「大日如来または胎蔵界大日如来、釈迦如来、不動明王」と記述あり。一宮さまは、二宮さま=高野明神の「母」または「妻」と記述あり。 ※
やはり、一重切れ長のきれいな瞳。口元は微笑み。お顔立ちは、やや似ておられる。少年のようなオーラをまとい、やや中性的な見た目の美男子の神。
「・・・・・・・・・・」
女神と同じように、私の目を「まっすぐ」見つめておられ、
「すっ」と、お不動さまの中に消えられた瞬間、お堂の端から、初めて見る職員さんが近づいてこられ、
「〇〇さん (私のこと) 、いつもお世話になっております」と、話しかけられました。
その瞬間、(ああ・・また、お参りに来てもいいんだ・・・) と、悟ったのです。
女神は10秒くらい、男神は8秒くらい、顕れておられたと思います。
短い時間でしたが、とても神秘的な空気に包まれた時間でした。この時の私は50代中盤でしたが、神々を拝謁している時は、まるで精神状態が「童子」のようでした。童子の私が、20歳の女神、18歳の男神を見つめている感じです。
そして私は、御姿が見えなくなった女神・男神が、どこへ行ったのだろうと、強いオーラが感じられる方向に歩いていき、
御本尊様の、向かって左側におられる「せいたか童子」像の傍に行き、ご尊像を「じーっ」と見つめてみました。
「キ ・・・ ン」と、心地よい音が聞こえた気がして、(実際には無音です)
「男神は、ここ (せいたか童子像) に、おられる」と感じました。強い強い「気」が発せられてました。
ご本尊・不動明王様より強い「気」です。
そして、向かって右側の「こんがら童子像」の傍にも行き、「じーっ」と見つめてみましたが、
「せいたか童子像」のように、お顔の表情が、「はっきりとは見えません」。
「女神は、こちら (こんがら童子像) に、おられる」気がしました。優しいオーラが感じられました。
そして、お護摩が始まりました。
いつもより、ものすごく力強いパワーを感じ、疲労困憊だった私は、一気に元気になったのを覚えています。
(注・・・「不動明王 十九観」・・・左の弁髪は、「すべての衆生を、わが一子と見る」現れです)
後に、まるで「誘われる (いざなわれる) 」ように、女神と男神のことが次々とわかっていきました。
女神は、「ウカノミタマ女神 (ミカシキヤヒメ) 」。明るいオーラでした。涼やかなお顔立ちで、絶世の美女ですが、ほんわりとした優しい雰囲気です。
男神は、「ニギハヤヒノミコト」。少年のようなオーラをまとい、内に強い気を含む美男子の神でした。
共に、国津神、天津神両方の説がありますが、私には、北部九州の「天津神」のお顔立ちに見えました。
女神・・・「ミカシキヤヒメ」=「ウカノミタマ女神」「丹生都姫」「三穂津姫」「玉依姫」「コノハナサクヤヒメ」「イチキシマヒメ」「櫛玉姫」「豊受大神」と同一神と思われます。「瀬織津姫」も同一神だと思います。「ミヅハノメノカミ (ミツハノメ) 」は、同一もしくは、母娘の御関係かはわかりませんが、たいへん近い御関係ではないかと思います。
男神「ニギハヤヒノミコト」です。ただ、ごく最近知り、このブログでも記述したように、「ニギハヤヒノミコト」・・・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)は、
親子三神で、「ニギハヤヒノミコト」と言う説もあるそうなので、どのニギハヤヒノミコトなのかは、わかりません。
私は、妻神「ミカシキヤヒメ (ウカノミタマ女神) 」より、「ニギハヤヒノミコト」の方が、ずいぶん年上と言う説がある中、実際に私の前に顕れられた神々は、
ミカシキヤヒメさまが20歳くらい、ニギハヤヒノミコトが18歳くらいと、女神の方が男神より、少しだけ年上に見えたのは事実です。
上の、※ の記述を参考にしてください。
また、参考資料として、ネットで読んだのですが、ニギハヤヒノミコトが亡くなられた後、妻神「ミカシキヤヒメ」の夢に出られて、「これからは、ウマシマチを私と思って仕えて欲しい」と霊験を告げられたとか・・・。
ニギハヤヒノミコト・・・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の、御神名は、「アマテル」と、長男「クニクル (クニテル) 」次男「タケテル」の三神が融合した神であると言う説をネットで知りました。(御神画制作してくれた御神画プロの方は、「アマテル」「クニテル」「タケテル」のことを知ってました)
前述した通り、女神男神共に、「肩から上しか」見えなかったので、「肩から下は」、想像です。女神に冠具がついていたのは事実ですが、勾玉など、肩から下は見えませんでした。
男神は、よく似ています。
女神は、なかなか似ています。も少し小顔細面で、瞳が、御神画以上に「凛とした透明感ある瞳」です。微笑みはよく似ています。
少し、この神々を拝謁したレポートを続けて、四国88ヶ所遍路に戻りたいと思っています。
「石切劔箭神社 (いしきりつるぎやじんじゃ) 」崇敬会員。
「伊勢神宮」崇敬会員。「下鴨神社」崇敬会員。「轟神社」 (徳島県海部郡海陽町) 氏子。「物部神社 (島根県大田市)川合町川合 」氏子。「丹生川上神社中社 (奈良県) 」氏子。
「高野山参与会員」「成田山新勝寺信徒」「成田山大阪別院信徒」「東大寺友の会会員」「根来寺友の会会員」「蔵王堂友の会会員」「興福寺友の会会員」「根来寺友の会会員」「東寺友の会会員」「高尾山薬王院信徒」・・・タツノヒノエ。
菩提寺は、高野山及び、高野山真言宗です。
ではまた。
・・・・・