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神谷バーで、デンキブランを飲みたくなった

2015年07月13日 03時45分05秒 | 時事放談: 国内編

デンキブランが飲みたくなりました。

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今夜、電車に揺られてデンキブラン 東京・街場の酒たち
朝日新聞 2015年7月12日21時05分

 日本最古の洋風酒場といわれる「神谷バー」(東京・浅草)。店の代名詞「デンキブラン」が誕生して130余年になる。3杯飲むと腰が抜ける。そんな伝説すら生まれた名物カクテルだ。デンキブランだけではない。さまざまなスタイルの飲酒文化が東京では受け継がれ、競い合っている。

 平日午前11時。開店まで30分あるのに神谷バーの前には行列ができていた。自前の椅子に座り、先頭に並んでいたのは横田孝行さん(78)。足立区から電車に乗ってほぼ毎日通ってくる。「デンキブランには懐かしい昭和の原風景を感じます。変わらない何かがこの酒にはあります」

 1階は150席。外国人観光客が入ってきた。英語で書かれたメニュー表を店員が渡す。ビールをチェイサーにデンキブランをちびちび楽しむ定番の飲み方を、常連客が身ぶり手ぶりをまじえて教えていた。

 浅草がある台東区。2008年に年間観光客数が約4千万人になったのを機に年々増加し、12年は約4400万人(外国人約430万人)。神谷バーにも1日40~50人の外国人が訪れるという。

 「デンキブラン」の製造に神谷バーが成功したのは開業2年後の1882年。初代神谷傳(でん)兵衛が現在の場所(浅草1丁目1番1号)で売り始めたという。

 「電氣」という言葉がモダンな響きを持っていた時代である。成分はブランデーを主体にワインやジン、キュラソーなどアルコール度数は45度(現在は30度と40度)もあり、びりりとしびれるような強さだったという。製造法や配合の割合はいまも秘伝である。

 「レトロな雰囲気に浸りながら飲むデンキブランは格別です」と5代目社長の神谷直彌さん(50)。店舗は鉄骨コンクリート造りで地上5階、地下1階建て。関東大震災や空襲にも耐えた外観はいまも変わらない。2011年、国の登録有形文化財になった。

■「安く、気軽に」生んだ酒

 「東京にはきわめてローカルな町空間が点在し、そこにはその土地ならではの酒文化があります」

 東京の居酒屋文化を研究しているマイク・モラスキー早大教授はそう語る。体験記「呑(の)めば、都」(筑摩書房)によると、特に東部の葛飾区は、独自の飲酒スタイルが受け継がれてきた場所だという。

 たとえば大衆酒場の定番「焼酎ハイボール」(通称チューハイ)。戦後進駐軍が飲んでいたハイボールがルーツという。高価なウイスキーは当時手が届きにくく、安価な焼酎を炭酸で割って飲んだ。飲みやすくするためにレモンや梅風味のエキスが開発された。

 氷はほとんど入れないのが流儀。「ボール」という符牒(ふちょう)で呼ばれることが多い。「葛飾は町工場が点在し、労働者も地方から出てきた若い人が多かった。ビールに比べて安く飲めたので人気が広まったのでは」と葛飾区学芸員の谷口栄さん(54)は話す。

 チューハイのライバルといえば、ホッピーだろう。甲類焼酎と割って飲む麦芽発酵飲料。赤坂の飲料会社が、進駐軍が放出したビールの空き瓶に詰め、戦後まもなく売り出した。

 蒲田(大田区)など東京南部を中心に根強い人気があるのは炭酸飲料ハイサワーだ。「我が輩が考え出したサワー」という意味が込められ、1980年に商品化した。製造元の本社は目黒区にある。

 どれも甲類焼酎と割って飲むのが定番。「本格」と称される芋や麦などの乙類ではない。「西日本の人からすると邪道かもしれないが、手早く気軽に、しかも安く酔えるというのが東京スタイル。デンキブランと割って楽しんでいる人もいます」。東京の街の歴史や風土に詳しい編集者の壬生篤さん(59)は語る。(編集委員・小泉信一)

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1982年、大学2年のときです。

バイト先の先輩たちに連れられていった千駄ヶ谷の居酒屋で、デンキブランを初めて飲みました。小さなグラスに入った琥珀色のデンキブラン。90mlも入っていたのでしょうか。1杯目、甘くて美味しくて、するりとのどを通ります。当然、すぐに2杯目を頼みます。それも、美味しいので、あっという間に飲んでしまいました。

このまま3杯目を頼もうかと思っていたときです。突然、意識がなくなってしまったのです。そして、気づいたのは、その数時間後。はいていたチノパンが泥で汚れています。後で聞いたら、何でも居酒屋で床に転げ落ちてしまったとか。

地獄が始まったのは、それからです。何と36時間にわたって吐き続け、最後は真っ黒の胆汁のようなものまで吐くことになってしまったのです。完璧な急性アルコール中毒症状です。苦しくて、苦しくて、死ぬ思いをしました。お酒のせいでこんなつらい思いをしたのは、それが最初で最後です。

そのために、デンキブランはそれ以降33年、今日に至るまで絶対に飲んではいけない酒として頭の中にインプットされ、浅草に行っても、神谷バーだけは敬して遠ざけていたのでした。

おそらく、バカな青臭いガキの時代ですから、デンキブランを一気飲みしたのだと思います。ちょびちょびと味わいながら飲んでいたら、あんなとんでもないことは起きなかったはずです。酒は、当時から弱いほうではありませんでしたから。

ゆえに、今度は少しは成長した大人として神谷バーに出かけ、ゆっくりとデンキブランを楽しめば、嫌な思いはしないことでしょう。しかも、調べてみると、タバコ嫌いの貧乏英語塾長にはうれしいことに、2階のレストランカミヤは全面禁煙というではないですか。行かない手はありません。

メニューをチェックすると、デンキブランが270円で、電氣ブラン<オールド>が370円。破格の安さです。洋食料理の値段も、手ごろ。グルテンフリー・ダイエットをしている人間でも食べられそうなものがいくつかあります。

浅草までジョギングして、蛇骨湯で汗を流したあとに、神谷バーでデンキブラン。考えただけで、楽しそう。この夏の楽しみが増えました。


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