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昨日の深夜一番ショックを受けたニュースです。すごく悲しく寂しくなりました。
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ミナミゾウアザラシのみなぞう急死 新江ノ島水族館 (朝日新聞) - goo ニュース
2005年10月 4日 (火) 23:49
新江ノ島水族館(神奈川県藤沢市)の人気者だったミナミゾウアザラシのみなぞう(美男象、オス)が4日午後5時過ぎ、急死した。えさが入ったバケツを抱え、「アッカンベー」とピンクの舌をのぞかせるポーズで入場者を喜ばせてきた。
体長4.5メートル、体重約2トン。11歳で、人間の年齢だと30歳代後半の男盛りだった。3日夜から体調が悪くなり、4日朝になってもえさを食べないため、この日のショーを中止。閉園後、獣医師が検査をしようとした矢先に嘔吐(おうと)し、そのまま息を引き取ったという。死因は不明で、同水族館は5日にも解剖して調べる。
95年3月に旧江の島水族館にやってきたみなぞうは、国内で飼育されている唯一のオスだった。
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以前、『死亡記事の読む』という本を紹介したブログを書いたことがあります。色々な人の死に様をマスコミがどのように扱うかという論考でした。今回、その時に学んだ読み方が活きてきそうです。
まず、この朝日の記事がウェブ上に掲載されたスピードの速さに驚かされます。みなぞうクンが死んだのが昨日の午後5時過ぎ。そして掲載が午後11時49分。たった6時間でものにしています。Googleでチェックしても、一番早い掲載です。朝日の記者にはみなぞうクンに対して何か特別な思い入れがあったのでしょうか?
ところで、ゴウ先生が「みなぞうクン」と書いているのにお気づきでしょうか。実は、我が家の慣習としてそのミナミゾウアザラシのことを「みなぞうクン」と呼んでいたためのことなのです。
我が家には中学1年、小学5年、小学1年の子供がおります。まだ小学1年の子が生まれる前、おそらく8年ほど前、旧江ノ島水族館に初めて子供たちを連れていきました。
その時子供たちがいたくこのミナミゾウアザラシを気に入って、「みなぞうクン、みなぞうクン」と彼がいるプールの周りにいつまでもしがみついていたのでした。それ以来、我が家では彼は「みなぞうクン」になってしまったのです。
そして、4、5年前の春再び訪れた時、何かの工事のためにみなぞうクンが手に触れられる距離のところに置かれていました。
当時古い江ノ島水族館は人気がなく、我が家以外にはだれもみなぞうクンの周りにはいません。そのためなのか、飼育係の方が子供たちに直接餌を渡すことを許してくれました。目の前数十センチの所で見る巨大なミナミゾウアザラシは圧巻でした。みなぞうクンと一緒に写った子供たちの無邪気な笑顔が、我が家のアルバムをいまでも飾っています。
ゴウ先生はあの旧江ノ島水族館のひなびた感じが大好きでした。いつ行ってもガラーンとしていてすべて独り占め状態。とても贅沢な気持ちがしたものです。
ですから、その思い出を壊したくなくて、新しくなった水族館にはまだ行っていません。しかし、こうして家族のアイドルだったみなぞうクンが死んだのを知ると、なぜ行ってあげなかったのだろうと思ってしまいます。
せめて、死亡記事くらい丁寧に読まねばならないと思わされました。そうしてみると、みなぞうクンに関して新しいことを勉強できました。
1.「美男象」という漢字名をもっていたことはまったく知りませんでした。でも、この「美男」という当て字はいかがなものでしょう。みなぞうクンは決して美男子ではないがゆえに、「皆」ぞうであった気がするのですが。
2.「11歳で」あったということは、みなぞうクンを一番好きであった我が家の娘と同じ年だということなのです。思わず、何かの縁を感じてしまいました。
3.「95年3月に旧江の島水族館にやってきた」ということは、ゴウ先生家族がアメリカから引き揚げてきて半年すぎた頃に来日していることになります。みなぞうクンの歴史が我が家の歴史に重なるはずです。
共同通信(国内最大のアザラシ死ぬ 新江ノ島水族館のみなぞう (共同通信) - goo ニュース)によると、今日からプールの前に献花台が用意されるそうです。しかし、みなぞうクンがいない江ノ島水族館にはまた当分行くことはないでしょう。そうしているうちに子供たちが大人になってしまい、ますます足が遠のくのかもしれません。ふと、寂しさが胸をよぎります。
合掌。
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ミナミゾウアザラシのみなぞう急死 新江ノ島水族館 (朝日新聞) - goo ニュース
2005年10月 4日 (火) 23:49
新江ノ島水族館(神奈川県藤沢市)の人気者だったミナミゾウアザラシのみなぞう(美男象、オス)が4日午後5時過ぎ、急死した。えさが入ったバケツを抱え、「アッカンベー」とピンクの舌をのぞかせるポーズで入場者を喜ばせてきた。
体長4.5メートル、体重約2トン。11歳で、人間の年齢だと30歳代後半の男盛りだった。3日夜から体調が悪くなり、4日朝になってもえさを食べないため、この日のショーを中止。閉園後、獣医師が検査をしようとした矢先に嘔吐(おうと)し、そのまま息を引き取ったという。死因は不明で、同水族館は5日にも解剖して調べる。
95年3月に旧江の島水族館にやってきたみなぞうは、国内で飼育されている唯一のオスだった。
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以前、『死亡記事の読む』という本を紹介したブログを書いたことがあります。色々な人の死に様をマスコミがどのように扱うかという論考でした。今回、その時に学んだ読み方が活きてきそうです。
まず、この朝日の記事がウェブ上に掲載されたスピードの速さに驚かされます。みなぞうクンが死んだのが昨日の午後5時過ぎ。そして掲載が午後11時49分。たった6時間でものにしています。Googleでチェックしても、一番早い掲載です。朝日の記者にはみなぞうクンに対して何か特別な思い入れがあったのでしょうか?
ところで、ゴウ先生が「みなぞうクン」と書いているのにお気づきでしょうか。実は、我が家の慣習としてそのミナミゾウアザラシのことを「みなぞうクン」と呼んでいたためのことなのです。
我が家には中学1年、小学5年、小学1年の子供がおります。まだ小学1年の子が生まれる前、おそらく8年ほど前、旧江ノ島水族館に初めて子供たちを連れていきました。
その時子供たちがいたくこのミナミゾウアザラシを気に入って、「みなぞうクン、みなぞうクン」と彼がいるプールの周りにいつまでもしがみついていたのでした。それ以来、我が家では彼は「みなぞうクン」になってしまったのです。
そして、4、5年前の春再び訪れた時、何かの工事のためにみなぞうクンが手に触れられる距離のところに置かれていました。
当時古い江ノ島水族館は人気がなく、我が家以外にはだれもみなぞうクンの周りにはいません。そのためなのか、飼育係の方が子供たちに直接餌を渡すことを許してくれました。目の前数十センチの所で見る巨大なミナミゾウアザラシは圧巻でした。みなぞうクンと一緒に写った子供たちの無邪気な笑顔が、我が家のアルバムをいまでも飾っています。
ゴウ先生はあの旧江ノ島水族館のひなびた感じが大好きでした。いつ行ってもガラーンとしていてすべて独り占め状態。とても贅沢な気持ちがしたものです。
ですから、その思い出を壊したくなくて、新しくなった水族館にはまだ行っていません。しかし、こうして家族のアイドルだったみなぞうクンが死んだのを知ると、なぜ行ってあげなかったのだろうと思ってしまいます。
せめて、死亡記事くらい丁寧に読まねばならないと思わされました。そうしてみると、みなぞうクンに関して新しいことを勉強できました。
1.「美男象」という漢字名をもっていたことはまったく知りませんでした。でも、この「美男」という当て字はいかがなものでしょう。みなぞうクンは決して美男子ではないがゆえに、「皆」ぞうであった気がするのですが。
2.「11歳で」あったということは、みなぞうクンを一番好きであった我が家の娘と同じ年だということなのです。思わず、何かの縁を感じてしまいました。
3.「95年3月に旧江の島水族館にやってきた」ということは、ゴウ先生家族がアメリカから引き揚げてきて半年すぎた頃に来日していることになります。みなぞうクンの歴史が我が家の歴史に重なるはずです。
共同通信(国内最大のアザラシ死ぬ 新江ノ島水族館のみなぞう (共同通信) - goo ニュース)によると、今日からプールの前に献花台が用意されるそうです。しかし、みなぞうクンがいない江ノ島水族館にはまた当分行くことはないでしょう。そうしているうちに子供たちが大人になってしまい、ますます足が遠のくのかもしれません。ふと、寂しさが胸をよぎります。
合掌。
多分・・・他の動物だったら、こんな感情は生まれないんだろうと思います。デカクて愛嬌があって、子供にもわかりやすい存在でしたよね。
私も昔の水族館、好きでした。館と館との間が離れていて、いつ行っても空いていたし、ノンビリと過ごせる場所でした。入園料もそれなりに安かったし。。。