去年の11月22日木曜日に、高倉健さんは目と鼻の先の早稲田大学にいたんですねえ。会えた学生たちが、うらやましい!
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特集ワイド:文化勲章受章・高倉健さんから若者へ 「想い」重ねて映画になる 人生、何を求めたかが一番大事
毎日新聞 2013年11月05日 東京夕刊
高倉健さんが2013年度の文化勲章を受章した。おめでとうございます。そうつぶやいた途端、「映画俳優・高倉健」を無性に書きたくなった。以下、健さんと呼ばせていただき、ある一日のことを書き留めておきたい。【専門編集委員・近藤勝重】
季節は晩秋だった。早稲田大学構内の一角は、イチョウ並木の黄葉で辺り一面、黄金色に染め上げられていた。
健さんはブルゾン姿で教室にぶらりと現れた。同行者もなく、一人であった。昨年11月22日午後のことである。
いきさつは省くが、健さんとは古くから手紙のやりとりがあり、10年の年初、新刊の拙書「早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣(ひけつ)」を贈らせてもらった。早大大学院政治学研究科ジャーナリズムコースでの「文章表現」の講義内容を記したものだ。
後日届いた礼状には、過分な感想と共に、「自分は早大生ではありませんが、叶(かな)うならば」と断って、一度授業を受けたいと思った旨、書かれていた。私は恐縮して受け止めていた。
それから約2年半後の昨年夏、6年ぶりの映画「あなたへ」の公開を前にしたインタビューの際、健さんに教室の学生数を尋ねられた。「15人です」と答えると、「一番後ろの席の16人目の生徒で必ず参ります」とおっしゃる。そして秋の学期に入ったころ、直接連絡があり、予定のその日、健さんは大学の裏手にある小さな門の前にハイヤーを止め、にっこり笑って現れた。
希望どおり一番後ろの窓際の席に座ってもらった。学生たちは平静に私の講義を聴いていたが、内心はどうであったか。講義が終わるのを待ちかねたように全員が立ち上がるや、ささっと机を整理して、一番前に健さんと私の席を用意した。あとは質問攻めである。時間にして2時間近く。健さんは終始明るく、時に腕組みして考え込んだり、冗談を言ったりしつつ答えていた。
その時の印象に残る話は、文化勲章の受章コメントと多々重なる。「映画俳優・高倉健」が何よりこだわってきたのは、「どんな映画を撮るのかではなく、何のためにその映画を撮るのか」である。それは、例えば受章コメントの映画の力についての言葉「“生きる悲しみ”を希望や勇気に変えることができる」や、俳優としての心構えに触れた言葉「この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたい」などに端的に表れている。
学生たちにも健さんは種田山頭火の句「何を求める風の中ゆく」を引いて、こう語っている。「山頭火はダウンコートを持っていたわけじゃないと思いますから、つらかったと思いますよ。でも、何かを求めて行ったんですよね。何を求めたかということ、それが一番大事なんですね。これからみなさんが求めるものは何なのか。お金なのか。新聞社に入って主幹になることなのか。何のために主幹になるのか。きっとみなさんが一番悩むところだと思いますよね」
健さんは決して無口ではない。といって、おしゃべりでもない。つい言葉を長く連ねた時は、「生意気なこと言いましたか」「偉そうなこと言ってませんか」と聞いてくる。自分は映画俳優であって、文化人ではない。その自覚があるからだろう、口にする多くは、一人の俳優として自らの胸に問うての言葉のように思われる。
一般に「ありがとう」「すみません」などが頻度の高い健さん語と受け取られているが、私が挙げるなら、「想(おも)い」「感動」、それに「辛抱ばい」の3語である。
「辛抱ばい」は健さんが「法律そのものです」とおっしゃる母親の口癖だったようだ。受章コメントでもその一言は心に響く一語になっている。「想い」は、俳優生活50年のフォトエッセー集のタイトルが「想」であったことでもわかるように、極めて頻度の高い健さん語だ。この日の映画論も、「想い」と共に語られた。
「映画は作家や監督やいろんな人の想いが積み重なってできあがるんですね。お金で人が集まっても、想いがこもっていないと映画はできないんじゃないですか」
続けて「僕は一生懸命に生きている人しか演じられません。そんな役をみんなも考えてくださいよ。ビートたけしが今一番狙っているのは、みなさんの世代のお客さんです」と言って笑った。
さらに「ローマの休日」を話題にして、王女のことを公にしなかったジャーナリストに触れ、「自分が心に感じたものを大切にして……すごいなあ」と語り、何度も見たというアカデミー賞作品「ディア・ハンター」には、ロバート・デ・ニーロの名を挙げ、「見てほしいですねえ。あの悲しみ……」と感慨深そうに語った。健さんにとって映画は、「想い」であり、「感動」なのである。
そんな話のあとで健さんが口にした言葉が、強く印象に残っている。ふと、つぶやくようにこう言ったのである。「俳優はいくらインタビューを受けてしゃれたことを言っても、やっぱり映画でものを言うしかないですね」
教室の外に出ると、日はビルの向こうにあり、そぞろ寒さが感じられた。建物の裏道から小さな門のある所まで、数人の学生と一緒に健さんを送った。歩きながら、構内のイチョウ並木を見てほしかったんですが、と言うと、健さんは思い出すような口調になった。
「神宮外苑のイチョウ並木もいいですねえ。葉が積もってじゅうたんのようになるんですね」
ここで少し間があった。
「僕の隣にいた女の子が突然靴を脱いで裸足で駆けて行ったんです。ああすてきな人だなあって思いましたねえ。……のちの嫁さんですけど。イチョウ並木というと、思い出しますねえ」
そして気持ちを切り替えるように私たちを見つめ、すっと伸びた背を折って言った。
「とっても楽しい経験でした。ありがとうございました」
健さんが学生たちと交わした話はノートにして何ページにもわたる。とても書き切れる分量ではない。ただ全て記したからといって「映画俳優・高倉健」が描出できるとも思えない。日本映画界最後のカリスマが想う世界には、当然秘めた想いもあるだろう。
書いても書いても、書き切れない人である。さらに取材の機会があれば、と思っている。
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歳を重ねても、好奇心旺盛な健さんの態度は見習わないといけません。そんな健さんといつか遭遇することを夢見ながら、一所懸命毎日を生きるようにします。