当時のことを思い出します。田中氏批判の記事が、ずいぶん報道されました。それでも、9年も経つと、堂々と歴史を捻じ曲げようとするのですね、田中氏は。産経の阿比留記者のコラムで再確認しましょう。
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だから田中均氏は信じられない 「怪しいやつ」と呼ばれた外交官(産経新聞) - goo ニュース
2013年6月27日(木)12:00
前回、安倍晋三首相による「フェイスブック」での田中均・元外務審議官の対北朝鮮外交への批判とその波紋を取り上げた。その後、田中氏が24日の講演でこれに反論したことについて、拉致被害者の有本恵子さんの父、明弘さんからこんな電話をもらった。
「メディアが田中氏に語らせるのが悔しい。外交官が自分でちょんぼしておいて反省せず、首相に文句を言う。田中氏は被害者家族と顔を合わせもしない」
また、民主党の細野豪志幹事長や自民党の小泉進次郎青年局長が首相に自制を求めたことをこう嘆いた。
「細野氏が言うのは野党だからまだいいねん。だけど、小泉氏が同じことを言うのはいかん。当時のことを何もわかっていない」
拉致被害者家族の田中氏への不信感は根強い。背景には、田中氏自身の過去の言動の積み重なりがある。平成14年9月17日、当時の小泉純一郎首相の初訪朝前後を振り返ると-。
田中氏は北朝鮮が伝えてきた不自然な拉致被害者8人の「死亡年月日情報」について、報道されるまで被害者家族に伝えなかった。17日午前中には情報を得たのに、小泉首相にも平壌宣言署名直前の午後5時ごろまで報告しなかった。
10月に米大統領特使として来日したケリー国務次官補が福田康夫官房長官と安倍副長官を夕食会に招いた際には、勝手に「両氏とも忙しい」と断り自 分が面会した。15年5月の日米首脳会談の際は、両首脳が北朝鮮に「対話と圧力」で臨むことで一致したのに、記者団への説明用資料から独断で「圧力」を削 除した。
米国務省幹部からは「サスピシャス・ガイ(怪しいやつ)」と呼ばれ、拉致被害者の家族会と救う会が北朝鮮担当から外すよう求める声明を出したこともある。
「もう田中氏を相手にしてもしようがない」
安倍首相は周囲にこう漏らす。ただ、田中氏の24日の講演での首相への反論も論点のすり替えが目立つ。
例えば14年に帰国した拉致被害者について、田中氏が北朝鮮に戻すべきだと主張したとの首相の指摘を否定し、戻さないと決めた最終判断には「誰も 反対していない」と強調した。とはいえ、田中氏が首相官邸内での議論の過程で「いったん北に戻すべきだ」と訴えていたとの当事者、関係者の証言には事欠か ない。
また、田中氏は首相の「日朝交渉記録を一部残していない」との批判に関しては「記録をつけない交渉なんてあり得ない」「記録が作られていないこと はない」と反論した。だが、首相は「作られていない」などとは言っていない。なぜか今、一部の資料がない問題を問うているのだ。
この件は菅義偉官房長官が25日の記者会見で「記録は一部残っていないのか」と問われ、こう明言した。
「それは当然だ。そういう見解だ」
結局、メディアや与野党の政治家も加わった今回の論争を通じて浮かび上がったのは、拉致問題に向き合うそれぞれの姿勢ではなかったか。(政治部編集委員 阿比留瑠比)
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日本の政治家(ハトヤマユキオなどの元政治家も含めて)や役人(田中氏のような元役人も含めて)は、どうして過去のことを自分の都合のよいように書き換えるのでしょう。自己保身のためなのか、どこからかハニートラップにでもかかったのか。北朝鮮問題だけでなく、慰安婦問題でも、尖閣問題でも、そうです。政治家や役人が歴史の改ざんをしなければ、問題は大きくならなかったのにと思うことは一再ならずあります。
こんな愚か者どもに振り回されないように、国民はしっかりと歴史を覚えておくようにしましょう。さもないと、とんでもない歴史を押し付けられることになります。