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東京大空襲から63年、被害者証言ビデオは死蔵のまま

2008年03月10日 09時18分54秒 | 時事放談: 国内編
馬鹿げた話です。即刻公開すべきです!

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きょう東京大空襲63年 証言映像10年“死蔵” 330人分を都が撮影330人分を都が撮影
2008年3月10日 朝刊

 東京都が東京大空襲などの戦争体験談を撮影した計三百三十人分の証言ビデオが、活用されないまま倉庫で眠り続けている。撮影から約十年。証言者が亡くなりつつある中、公開のめどはまったく立っていない。「これでは死蔵だ。何とか活用できないのか」との関係者の声が高まっている。十日は、東京大空襲から六十三年。 

 証言ビデオは、東京都が空襲犠牲者追悼や都民の戦争体験継承のため建設を計画した「東京都平和祈念館」で公開しようと、一九九六-九九年度に撮影された。

 祈念館は二〇〇一年に墨田区内にオープン予定だったが、日本の加害の歴史など展示内容をめぐり関係者の意見が対立。一部都議の反発から都議会に出された「展示内容について都議会の合意を得た上で建設すること」という付帯決議がネックとなり、建設計画は九九年から凍結。ビデオも宙に浮いてしまった。

 二年半かけて二百八十人分の撮影をした映画監督の渋谷昶子(のぶこ)さん(76)は「身を切るような思いで証言してくれた方々の思いを無駄にしないでほしい」と話す。証言者の自宅や仕事場に赴いて一人二-三時間話を聞き、一時間以内に編集する作業を繰り返した。

 熱風で橋からバラバラと落ちる人々。焦土に転がる炭のような遺体の群れ、猛烈なにおい-。「ものすごい迫力。一日に三人も話を聞くと、衝撃でぐったりした」

 証言者には「リンゴの唄」で知られる歌手の並木路子さん(故人)も。身近な人を助けられなかった罪悪感から長年口を閉ざしてきた人も多かったが、証言を終えると皆一様に安堵(あんど)の表情になったという。

 証言ビデオは劣化を防ぐためDVDに複製し、都が同時に収集した資料約三千五百点とともに、港区の東京都庭園美術館の倉庫に保管。「祈念館で公開するという条件で集めた証言ビデオなので、それ以外の目的には使えない」(都の担当者)として、民間団体や学校、図書館などへの貸し出しはしていない。

 証言者の一人、墨田区の奥津清子さん(85)は「全然使っていないなんて知らなかった。学校で見せたりできないのか」と驚く。港区の西岡衛さん(82)も「私も含めて空襲を知る世代がいなくなってしまうからと証言に協力したのに…」と話す。

 自身も証言者として協力した作家早乙女勝元さん(75)は「祈念館での公開にこだわらず、ほかにも活用する手だてはあるはず。証言を後世に伝えてほしいという思いを無駄にするのは許されない」と話している。

 (社会部・出田阿生)

 <戦争体験記録> 他の自治体の例では、広島平和記念資料館が1986年から毎年被爆の証言VTRを収集。これまでに930本、約1000人分を収録し、学校や民間に貸し出すほか、ネット上でも200人分の証言を公開している。長崎では、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が、2003年から被爆証言の録画を開始。民間から寄贈された1120人分の証言(音声・映像)と合わせて、館内ですべて公開している。広島の資料館担当者は「東京都の話は聞いているが残念だと思う」と話している。

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民間人の大量殺戮を狙った東京大空襲の加害者は、あくまで米軍。戦争犯罪を問われてしかるべき愚行であり、何も知らずに地獄の中を逃げ惑った人たちのことを考えれば、怒りしかわいてきません。

にもかかわらず、一般公開を許さない都議会、どうなっているのでしょう。ここまで自虐的でよいのでしょうか。

一日も早い公開を実現すべきです。『靖国』などという中国人監督の怪しげな映画が公開できるのに、ヘンな国です、日本は。石原都知事は何をしているのでしょう・・・。

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