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「記念日現象」のつらさをわかってくれたら、ありがたい

2018年03月12日 07時03分48秒 | 時事放談: 国内編

わかります、その辛さ。

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記念日現象をご存じですか 3月11日を前に

記念日現象をご存じですか 3月11日を前に

雨の中「1・17」の文字を囲み、黙とうをささげる参加者ら=2018年1月17日午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地

(神戸新聞)

 記念日現象という言葉をご存じでしょうか。生命が脅かされるような災害や大切な人との死別など、その人にとって非常につらい出来事が起こった日が近づくと、しばしば苦痛や悲しみなどの追憶が呼び覚まされ、心身に不調をきたすことを指します。1月17日の神戸では、今年もそんな人がいました。3月11日を前に、神戸市東灘区の精神科医、松井律子さんに話を聞きました。

 ー記念日現象とは

 非常につらい出来事が否応なく思い出され、強い不安に襲われたり、眠れなくなったり、落ち込んだりすることは以前から言われていました。「フラッシュバック」とも呼ばれます。それが出来事の起きた日が近づいてくると生じるのが記念日現象です。普通は心に起きる変化だけをさして言いますが、体の不調としても現れます。

 ーどんな症状が

 めまい、ふらつき、頭痛、食欲がないなどさまざまです。内科を受診して「特に悪いところはありませんね」と説明を受け、悩む患者さんもいます。すべての人に現れるわけではありません。出来事から何年も経過するうちに心の反応を抑え込んでしまった人や心だけでは受け止められなくなった人に起きることが多いです。

 ー今年の1月も、でしょうか

 ある女性が来られました。「1月になると、体がふわふわする」「ご飯を食べられないから体重が減る」と。その方は子どもさんを震災で亡くしていました。ご主人とはその後死別。近所では住民が入れ替わり、震災のことをよく知らない人もいて、あの日の記憶を共有できない。彼女は「(皆が大変だった)震災当初のころがましだった」「今は私だけがしんどい」とこぼしていました。

 ー時間が経過しても減らない

 人生が一変してしまった人は今も苦しんでいます。「地震があったけど、今は…」と振り返ることができる人は、人生という物語の中に阪神・淡路大震災を織り込み済みにできますが、それができない人も相当いるのではないでしょうか。患者さんの中に、マラソンが得意だった息子を震災で亡くしたお母さんがいました。マラソンで活躍した震災前の思い出を口にしてくれるようになり、通院の足も遠のきました。楽しかった記憶を語れるようになったので、落ち着いたのかなと思っています。一方、つらかった震災当時の記憶がどうしても出て来るという人はしんどい気持ちを心の奥に収めきれていないのだと感じます。

 ある男性は震災当日に恋人の安否確認に行き、そのまま自宅に1カ月戻りませんでした。不仲だった夫婦関係が壊れ、離婚しました。数年して経営していた会社も経営が悪化し、今は住み込みで遠方の会社で働く毎日です。震災で夫婦関係の実態が表面化し、人生が一変したケースです。この人は、震災前を振り返るとつらすぎるので思い出さないと決めています。それでも1月17日が近づくと報道で嫌でも思い出す。「記憶を消してしまいたいけどできない。誰にも恥ずかしくて言えない」と肩を落とします。恋人や家族と過ごした思い出を語ったことはまだありません。

 ー大震災から20年以上が過ぎて

 クリニックがある東灘区では、震災から3、4年の間は1月17日が近づくと街全体が喪に服したような雰囲気でした。20年が過ぎ、今はそこまでではない。阪神・淡路大震災を「歴史」ととらえている人もいる。報道される「阪神・淡路」のニュースは、震災が歴史になりつつあることを感じさせます。そうした変化とその人の現況が同期しない人もいる。高齢だったり、生活が再建できていなかったりして弱者の立場にある人たちは「私はどうなるの」と置き去りされた気持ちでいるのではないでしょうか。

 ー周囲に苦しんでいる人がいたら

 先の女性も誰かに対して怒っているわけではありません。「運命やと思うてる」とも言われました。「あの年も寒かったけど、ちょっとぬくなってきたな」「春やし、花も咲くし、生きていかな」と言ってくれました。解決できないと皆さんわかっているのです。ただ「しんどい」と口に出したい、聞いてほしいのだと思います。

 ー言葉にして軽くできるものがある、と

 体の不調を消すことはできなくても、原因がわかるだけでも、焦りは減らせる。心の不調には気づきやすいけれど、体に出る変化のことは案外知られていません。体の不調が生じた人に私は「あれだけの出来事があったのだから」「いつもいつも元気でなくてもいいんだよ」と話しかけています。医療者でない人も、「つらいね」「そうやったんや」と相槌を打つ言葉でもいい。聞いてあげてください。
 
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2011年3月11日のことは、忘れられません。その金曜日、東京・高田馬場でも、地面が波打ち、電線が激しく上下に揺れたものです。立っているのがやっとでした。
 
その夕方、帰宅困難者たちが明治通りをぞろぞろと新宿から池袋方面へ歩いているのも覚えています。その夜、馴染みのいまはない桜湯という銭湯へ行ったら、普段は来ないような人たちが、ガスと水道が止まったために、来ていました。銭湯の偉大さを感じた瞬間です。幸い、家族・親戚に被害はなかったのですが、地震の恐ろしさを痛感したものです。
 
個人的には、7月17日という、いつも凹んでしまう「記念日」があります。というか、7月自体がつらい「記念月」です。1日が父の命日で、8日がははの命日。31日間すべて嫌な想い出が詰まっていて、8月になるとほっとします。
 
このつらい記念日現象で苦しむ人が少しでも減って(自分自身も含めて)、人生が少しでも幸せになることを祈るしかありません。

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