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カラシニコフ開発60周年

2007年07月08日 10時57分33秒 | 時事放談: 海外編
開発者がまだ生きていたとは思いませんでした。

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カラシニコフ小銃、開発60周年で展示会…露大統領が称賛(読売新聞) - goo ニュース

2007年7月7日(土)20:01

 【モスクワ=瀬口利一】世界で最も流通する殺傷兵器に数えられる旧ソ連製カラシニコフ自動小銃AK47の開発60周年にちなんだ展示会が6日、モスクワのロシア軍中央博物館で開かれ、プーチン大統領は設計者のミハイル・カラシニコフ氏(87)を、「わが国の発明力と才能のシンボル」とたたえた。

 カラシニコフ銃は、第2次大戦中に試作され、1947年に完成。耐久性に優れ、操作しやすいことなどから旧ソ連圏や内戦地域に大量輸出された。現在も7000万丁以上が出回り、十数か国でライセンス生産されている。

 カラシニコフ氏は、「戦争がなければ、農機具を作っていた。(兵器を開発したのは)対独戦のためだ」と記者団に語った。

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かなり素っ気ない読売の記事に対して、朝日の記事はかなり詳細なものです。紹介しましょう。

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カラシニコフ銃誕生60年、設計者が会見 (朝日新聞)
2007年07月07日13時19分

 ロシアのカラシニコフ自動小銃(AK)が誕生して60年を迎え、設計者のミハイル・カラシニコフ氏(87)が6日、モスクワで記者会見した。世界中の紛争に使われて膨大な犠牲者を生んでいるAKだが、「和平で合意できず、暴力で問題の解決を図る政治家たちの責任だ」と強調した。

 第2次大戦でソ連軍の戦車兵としてドイツ軍の自動銃の威力に衝撃を受け、1947年にAKを開発した。会見した軍中央博物館にはその第1号が飾られ、「もとは、つらい農作業を楽にする機械をつくりたかった。ドイツ軍のために銃の設計者となり、一生で150種類も開発した」と感慨深げだった。

 シベリアのアルタイ地方の農家に生まれ、今はAKの工場のあるウラル山脈に近いイジェフスクで孫と静かに暮らす。

 「西側にいたら大富豪になったのでは」との質問には、「人生にはドルとは別の価値がある。故郷には私の銅像が立ち、新婚のカップルが幸せを祈りにくる。西側の武器設計者には、ないことだろう」と表情を崩した。

 それでも世界で大量にAKが無許可でつくられ、犯罪集団や反政府勢力に使われている現状は問題と認め、「AKの偽物がなくなるよう、戦うべきだ」と述べた。

 イタル・タス通信によると、耐久性と使いやすさに優れたAKは改造型も含めて世界で7000万丁を数え、55カ国の軍が使っている。ロシアの武器輸出会社は、世界の武器市場に流通するAKの9割がライセンスなしに違法につくられ、ロシアの損失は年間20億ドルにのぼるとしている。

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アメリカのライフルの名機を発明したウィンチェスターは、それにより莫大な財産を作ったといわれています。カラシニコフ氏も当然大もうけしたと思っていましたが、それもスターリン政権下のソ連でははかない夢だったようです。

ともあれ、今日も世界のどこかでこの瞬間カラシニコフから弾丸が飛び出していると考えると、やるせない気になってきます。

詳しくは、ウィキペディアの「AK-47」の項目をご覧ください。

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