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『アサッテ君』40年の歴史に幕を下ろす

2015年01月01日 06時58分03秒 | 時事放談: 国内編

元日に「終わる」話を書くのは、通常ならばよろしくないと思うのですが、これは別もの。脱帽するしかない終幕です。

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アサッテ君:40年「よくやってきた」 最終回、東海林さん感慨
毎日新聞 2014年12月31日 東京朝刊

 一般全国紙の連載漫画で最長不倒となる1万3749回を数えた今回で、東海林(しょうじ)さだおさん(77)の「アサッテ君」がフィナーレを迎えた。東海林さんは40年余り続けた連載を「よくやってきたな」と今改めて振り返る。

 毎日新聞の他に週刊誌3誌、月刊誌1誌に連載を持ち、飛び込みの仕事を入れて月に約50本の締め切りを抱える。1日のスケジュールは5分刻みで考える生活だったという。

 朝少し口に入れるだけで、「昼食をとる時間もなく、食べようという気にもなれず40年やってきました」と明かす。それだけストレスがかかっていたわけだ。夕方6時に仕事を終え、ようやく食事を兼ねた晩酌が始まる。

 「この生活はいずれ破綻するなと、ずーっと思っていたけど、もってしまいました」と笑う。連載中、病気で休載したことはない

 「本当に身動きがとれなかった。来年からやっと人間らしい生活になるのかな……。どういう生活になるのか想像もつきませんね」。とは言うものの、実は“仕事人間”の東海林さん。「前からやりたいことがあって時間的に無理だと思っていたんですが、2年計画で手をつけ始めました。年が年なので間に合うかどうか」

 2年ほど前に腰を痛め遠ざかっていた趣味の野球も「来年はやれそう」と顔をほころばせる。ポジションもショートだったが「セカンドあたりで。草野球ではセカンドかライトが重要でないポジションで……」とボソボソ。東海林節は健在だ。【内藤麻里子】

「アサッテ君」が最終回 全国紙の連載漫画で最長
朝日新聞 2014年12月31日23時07分

 毎日新聞で40年間続いてきた、東海林さだおさん(77)による連載漫画「アサッテ君」が31日、最終回を迎えた。1万3749回だった。毎日新聞社によると、毎日、朝日、読売、産経の全国紙の連載漫画で最長だったという。1974年6月16日に連載を開始した。

■サトウサンペイさん「お疲れさま」

 東海林さんに、朝日新聞で「フジ三太郎」を描いた新聞連載の先輩、サトウサンペイさん(85)がねぎらいの言葉を寄せた。

 「フジ三太郎」は1965年4月1日から91年9月30日までの26年半、続いた。「アサッテ君」と連載期間が重なっていた時期があるが、サトウさんは「自分の仕事でいっぱいで、人の連載を読む余裕はなかった」と振り返る。当時、原稿はオートバイで取りに来た。エンジン音などで到着が分かり、漫画が出来ていないと胃が痛くなり、出来ればほっとすることの繰り返しの日々だったという。

 サトウさんは1週間ほど前にあった漫画家の会合の席で東海林さんが「連載を終える」と話すのを聞き、驚いた。

 「まずはお疲れさまと言いたい。40年の連載は世界的に見ても大変なこと。ギネスに載るんじゃないか。これだけ続けられたのは彼のすごさだと思う」

 また、サトウさんは漫画家の先輩たちに「新聞連載が描けるのは60歳くらいまで」と言われ、実際に62歳でフジ三太郎を終えたが東海林さんはすでに77歳。「僕も80歳までは作品を描いた。彼ならまだまだずぶとくやるんじゃない?」とエールを送った。(山田佳奈)

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40年の連載をするために書き溜めたアイデア帳が653冊もあるのだとか。人知れぬ地道な努力が、この過酷なスケジュールの中、あのとぼけたユーモアを長年にわたって東海林さんが生み出せた理由なのでしょう。

続ききられた東海林さんは、本当の意味での大成功者。僭越ながら、当英語塾INDECのロールモデルに認定させていただきます。これからのご活躍を祈念してやみません。


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