gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

神戸空襲を忘れないいのちと平和の碑除幕式

2013-08-24 18:35:17 | イベント

神戸空襲の犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑が、神戸市中央区楠町の地下鉄大倉山駅直近の大倉山公園に完成し、8月15日に除幕式が行われました。空襲の体験者や遺族ら約800人が参列し、平和への誓いを新たにしました。
 慰霊碑は高さ約2メートル、幅約1・6メートル。御影石の表面に「神戸空襲を忘れない‐いのちと平和の碑」と書かれ、裏面に1752人の名前を刻んであります。

この日はこれらの犠牲者が被災された年から68年を経た終戦の日でした。

その長年月の間に、市民団体「神戸空襲を記録する会」が1978年から神戸空襲死没者氏名の登録を呼びかけ名簿作成を始めてから此の方、幾多の変遷と紆余曲折を経たうえ、ごく近年になって活気づき神戸市との提携や神戸空襲の碑建設協力金の募金も進み除幕式を迎えることとなりました。

 除幕式では、同会代表の中田政子さん(67)があいさつ。「戦争を繰り返してはならないという、たくさんの人の願いが集まってできた。碑に刻まれた名前の向こうに一人一人の生きた命があったことを想像してほしい」と呼び掛けました。
 6月5日の大空襲を経験した矢田立郞神戸市長も「あの日、神戸は火の海になり、私の目の前で子どもを背負った母親が焼夷弾の直撃を受けた。悲しい歴史を忘れてはいけない」と語り掛けました。

実は私の家内の実母も昭和20年6月5日の空襲により50歳の若さで犠牲となりました。したがって空襲死没者の登録受け付けの開始に合わせて手続きをしてこの慰霊碑にその名を刻んでもらい、高齢を押して参列し手で触って確認してまいりました。

神戸空襲を忘れないいのちと平和の碑
Img_0026
                          
                         碑文
アジア・太平洋戦争の末期、太平洋の島に基地を設置したアメリカ軍は、B29爆撃機による航空部隊を編成し、1945(昭和20)年2月4日、3月17日、5月11日、6月5日、8月6日など、神戸の市街地や工場に対し、空から大規模な爆撃をくり返しました。
その多くは、街を焼き尽くすために、焼夷弾を用いたものでした。また神戸港の沖への機雷や模擬原爆の投下もおこないました。
このように、神戸市民のいのちとくらしが無差別に破壊されたのです。たび重なる空襲によって、神戸の街は一面焼け野原となり、8000人をこえる市民が亡くなられたといわれています。また、神戸は多くの人びとが行き来し、さまざまな出身地の人びとが住む街であり、戦争の末期には徴用された労働者やアメリカなどの連合国軍の捕虜もいました。
 「神戸空襲を記録する会」は、神戸空襲の事実を心に刻み、次世代の人びとに伝える取り組みを進めてきました。ここに私たちは、世界平和を願い、空襲死没者の名簿を収集し、お名前を記した碑を建立いたしました。
                        2013年8月15日

                       神戸空襲を記録する会

除幕式会場風景
Img_0014
Img_0015
Img_0017
中田政子代表のあいさつ
Img_0018
除幕の瞬間
Img_0019
Img_0022
矢田神戸市長のあいさつ
Img_0025
神戸YMCA名誉顧問今井鎭雄氏のあいさつ
Img_0027
神戸空襲を記録する会の杉田哲氏の閉式の辞
Img_0029
碑の裏側に刻まれた1752人の名前
Photo
碑に刻まれた母の名前
Photo_2