『夏目漱石を読むという虚栄』の予告
3/3 検閲より校閲
『夏目漱石を読むという虚栄』は、まだ完成していない。予定としては四部構成になる。第一部は、「『こころ』の普通のとは違う「意味」」だ。第二部は「恐ろしく恐ろしげな「意味」」と題し、夏目の他の文章を読んで、『こころ』に出てくる意味不明の言葉の意味を推理する。あるいは、その訓練をする。答えはない。答えがないことを示すのが目的だ。空しい仕事。第三部では「明治の精神」や「道」(下十九)について考える。そして、『こころ』のような意味不明のものを日本人が尊ぶ理由について考えてみる。曖昧な日本文化への批判。これが『夏目漱石を読むという虚栄』の真の目的だ。第四部は「検閲より校閲」と題し、重箱の隅をつつく。
この仕事をどう終わればいいか、見当は付いている。しかし、いつ終わるか、見当もつかない。そのことに気づいて、微かだが、驚いた。そして、第一部だけでも公表しようと決心した。
すると、数日後、こんな夢を見た。
○
薄暗い教室。物音はしない。生徒たちは三十人程度か。空席もある。彼らは机にテキストを広げ、顔を伏せている。テキストは『こころ』だろう。中年らしい男の教師が板書をしていた。私は「意味不明」と叫ぶ。気がつくと、黒板の文字の大半が消されている。狡い。残されているのは(20)や(26)などの括弧で括られた数字で、節の番号のようだ。年齢のようでもある。
「見せ消ちにすべきだった」と、私は抗議する。教師は、体をくねくねさせる。私の声に反応したのではない。チャップリンのように、顔を白黒に塗り分けている。みっともない。
いつからか、私は黒板の左端に立っている。日直だろうか。生徒らに背を向け、左手に何かを握り締めている。黒板消しのようだが、違う。縦半分が灰青色のポケット・ティシュペーパーの袋のようだ。使いかけ。それを縦に二つ折りにし、握り込む。これを隠したいのだろうか。これが何の役に立つのだろう。
教師はいない。私は机の間を歩きながら、「君たちは「先生」が好きなのかもしれないけど……」と言いつつ、徐々に気が抜ける。生徒らは動かない。彫像のようだ。ほとんど、あるいは全員が男子。詰襟の学生服の襟や袖口、皺の尾根などが、ぎらぎらと輝く。アルミ光沢。安っぽい輝き。
私ときたら、いつもこうだった。相手の選び方を間違う。卑下しすぎるせいだ。自分の想像する相手の考えに合わせて話を始める。わかりやすいように噛み砕いて説明してやろうと四苦八苦する。例え話が作り話になる。嘘も方便。語句さえ急造し、自分でも何を言っているのか、わからなくなる。そもそも何が言いたかったのか、そのことさえ忘れてしまう。お節介の気分が憎しみに変わる。いや、もともと憎かったのだ。教えたいというのは変えたいということで、変えたいというのは壊したいということで、壊したいというのは殺したいということだ。ああ、こいつらを消したい。なめてはいけない。子供でも、こいつらは敵なのだ。今は敵でなくても、きっと敵になる。相手が悪い。呑み込みが悪い。見込みがない。脈がない? 死体のようだ。こっちのことを馬鹿にしきっている。腹は立たない。腹を立ててやるだけの価値もない。殺してやる価値もない。もう、飽き飽きだ。うんざりする。むなしい。薄笑い。
勝手に死にやがれ。
さて、何かを言おうとしたのだが、その気が失せてしまった。ある言葉を忘れたみたいだ。簡単な言葉のはずだが、思い出せない。思い出そうという気にもなれない。
おや、これは夢だな。では、覚めれば思い出せるか。
(2019・0428)
○
身を剥がすようにして目覚め、夢の中で言いたかったことを思い出そうとした。だが、思い出せない。代りに、思い出したくないことを思い出してしまった。『こころ』批判を始めてから何度か思い出し、書いては消していたことだ。
○
君看雙眼色
不語似無憂
宴席で、老人がこんなものを示し、「わかるか」と来た。「揮毫を求められると、これを書くことにしている」と脂下がる。「わかる」と答えたら尊大だろう。「わからない」と答えたら馬鹿にされそうだ。「俺の目を見ろ 何にも言うな」(『兄弟仁義』)と歌えば激怒するか。「眼は未開の状態にある」と書き添えた。フランス語で書けたら洒落てたろう。野狐禅は「またわけのわからんことを」と怒りながら笑いながら、きょろきょろ。
この野狐禅を、わざとらしく「先生」と呼んで慕う青年がいた。彼は『こころ』の熱狂的なファンで、風の便りによれば早死にしたそうだ。彼の兄は二十歳になるかならないかで自殺したそうだ。ある朝、兄がなかなか起きて来ないので、部屋を覗いた。灰色の窓ガラスを背景にして、黒い物体が下がっている。動かない。「そんな所で何をしているのか」と聞こうとして、すぐに何もしていないとわかった。自殺の動機は不明。自分は兄に捨てられたのだ。初めは、そう思った。やがて、兄を助けられなかったのだと、自分を責めるようになる。『こころ』を読んで、兄をKに重ねた。また、「先生」みたいな年長者を求めるようになった。そんな彼からしつこく文豪伝説を聞かされ、私はうんざりしていた。あるとき、たまりかね、「夏目漱石は精神病だったのだよ」と言ってやった。読んだばかりのパトグラフィー関連の本の受け売りだ。彼の顔が強張った。しかし、すぐに気味の悪い笑みを浮かべた、わざとらしく。
「そんなことぐらい、誰でも知っている。我々は先生の暗い部分を隠蔽するために連帯しているのだ。そんなことも知らないのか」
○
むかしむかし、あるところに、一匹の……
もとい。
むかし、ベトナム戦争というのがあって、それが終ったか終ろうかしていた頃、つまり、世界の終りが始まった頃、あるところ、日本の典型的な地方都市、城があって寺社があって路面電車が走る繁華街の端っこの鉛筆ビルの地階に、ザボというジャズ喫茶があった。日差しのきつい通りを、一匹の私が歩いている。丸善で高い本を立ち読みし、申しわけのように文庫本などを買って、ザボに向かう。ジャズが好きだったわけではない。途中、脇道に入るとブルーノートというのがあったが、そこへは滅多に行かない。フリー・ジャズをかけないからか。三階にあって、上るのがつらかったからか。そうかもしれない。
上るのはつらい。下るのは楽、底が見えなくても。
肩に浅く刺さった陽光の矢がぷつぷつと抜け落ちるのを感じながら、狭く薄汚れた階段を下りる。
扉が開き、扉が閉じる。
暗い洞窟の奥から吹きつける不協和音。ザラザラッ、ザッ、ザラ。それを浴びて、やっと、やっと……
入ってすぐ右が男女兼用の和式便所。三面の壁は落書きだらけだ。
その一つ。
「反戦自衛官よ、連体せよ!」
「連体」に矢が刺さっている。矢は撓い、山なり。矢筈に一文が下がる。
「連休の間違い?」
○
思い出した。
読者よ、校閲せよ!
武器は矢印。呪文はイミフ。
*go to
ミットソン:『いろはきいろ』#051~088
志村太郎『『こころ』の読めない部分』(文芸社)
志村太郎『『こころ』の意味は朦朧として』(文芸社)
(終)