夏目漱石を読むという虚栄
第一部 『こころ』の普通のとは違う「意味」
第三章 窮屈な「貧弱な思想家」
<算数の時間は、ひきざんのれんしゅうでした。
28-5= 37-15= 56-18=
王さまは、もんだいを見て、泣きだしたくなりました。
(あさのしょくじ)-(めだまやき)=(はらへった)
もんだいがそう見えてくるのです。
(寺村輝夫『はらぺこ王さまふとりすぎ』)>
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3110 『だくだく』
3111 『粗忽長屋』
意味不明の言説に関する意味不明の解釈を足して引いても掛けても割り切れはしない。
<しかししばらくしている中(うち)に、私の心がその物凄い閃め(ママ)きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるものの如くに思われ出して来たのです。
こうして『こころ』の内面は「外」から襲ってくる力に屈服する。『こころ』とは、こころの敗北、近代日本の内面の崩壊の痛ましい記念碑であった。
(中条省平『反=近代文学史』「第一章 夏目漱石———敗北する内面」)>
最初の引用は『こころ』からだが、例によって意味不明。「閃めき」を発する本体は「恐ろしい影」(下五十四)と呼ばれている。「影」は意味不明。
「外から来ないでも」とSは語るのだから、「「外」から襲ってくる力に屈服する」という中条の解釈は間違いだろう。ただし、本文が意味不明だから、間違いと断定することはできない。本稿1153を参照。
「こころの敗北」の「こころ」は、どうして平仮名かな。前の方に書いてあるのかもしれないが、こんな悪文を読み返す気にはなれない。「近代日本の内面」も「痛ましい記念碑」も意味不明。〈「近代日本の」~「崩壊の」~「記念碑」〉がどこかに実在するのかな。
『酢豆腐』だろう。
<大正期に入ってからの漱石は、『行人(こうじん)』『こころ』『道草』『明暗』と、近代的自我や明治の精神への懐疑(かいぎ)と苦悩をさらに踏み込んで描こうとしていきます。大正五年(一九一六)に四十九歳で亡くなり、最後の『明暗』が未完となって、漱石の人生探求は道半ばで終わりました。しかし明治とともに歩んだその人生において、「いかに生くべきか」を徹底して掘り下げ、見事な文体によって表現した漱石の文学は、そのまま現代社会の私たちにも様々な示唆(しさ)を与えてくれます。
(森本哲郎『漱石の小説は「自分探し」の文学だ。』)>
「近代的自我」は意味不明。「明治の精神」の出典が不明。〈「近代的自我や明治の精神への」~「苦悩」〉は意味不明。「踏み込んで」は意味不明。
「人生探求」は意味不明。「道」は意味不明。「道半ば」と言えるのなら、森本は「道」の始まりと終わりを知悉しているのだろう。彼は「漱石」を凌駕したわけだ。
「明治とともに歩んだ」は意味不明。「生く」は古語。「近代的」ではないな。〈「「いかに生くべきか」を」~「掘り下げ」は意味不明。「徹底して」いたのに「道半ば」だったの? 「見事な文体」であることを証明せよ。森本のはどんな「文体」かな。
「自分探し」って『粗忽長屋』かい。探しに佐賀市に行くべきか。
「現代社会の私たち」は『だくだく』の二人かな。
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3110 『だくだく』
3112 『千早振』
以下、知っておくべき情報だが、面倒くさければ読み飛ばしてくれていい。
<「先生」はみずからの死を「明治の精神」に殉死したのだと説明しています。これはやや謎めいた説明で、このテキストだけからは、何を意味するのか、よくわかりません。推測を行えば、次のようなことを意味しているのでしょう。
(作田啓一『個人主義の運命』「第三章 日本の小説にあらわれた三者関係」)>
「殉死したのだ」なんて、ありえない。「遺書」の語り手Sは、言うまでもなく、まだ死んでいない。また、この時点の語られるSは、自殺の「決心」(下五十六)さえしていない。「説明して」いない。ひどい誤読というか、誤読以前の非常識。
「謎めいた」は誤読。
「よくわかりません」で留まるべきだ。SはPに対して「貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑(の)み込めないかもしれませんが」(下五十六)と語っている。この懸念あるいは慢心は、作者のものだろう。だったら、読者はSの自殺の動機について理解すべきではない。
「次のようなこと」は、次のようなことと違わない。
<漱石は先述したように明治の精神を個人主義道徳の追求という方向へ転化させたのであり、明治日本に対する信頼感に支えられて個人の問題を次の世代に受け渡す覚悟を持ち得たのであり、また実際受け渡すことが出来たのである。即ち明治の精神に殉ずることによって個人の生き方を否定したのではなく、そのことによって個人の生き方を更に推し進める為の踏切台にしたと言ってよい。しかし漱石がここまで到達するには鷗外とはまた違った意味で紆余曲折のコースを辿っているのである。
(伊沢元美『明治の精神と近代文学』)――夏目漱石「こころ」をめぐって――」)>
『千早振』かよ。
<おそらく先生をおびやかしたKの黒い影は、先生自身の影であり、それは「自由と独立と己れ」の新しい日本の時代精神である。
Kを出し抜いて恋の勝利者となった先生は、「おれは策略で勝つても人間としては負けたのだ」と思ふ。この「人間として」の人間とは、「自由と独立と己れ」の「自己本位」としての人間ではない、己れを無にする伝統的な倫理観に支へられた人間である。そして、いくらか図式的にいへば、先生の勝利は、明治の近代日本の旧日本への勝利であり、「人間として負けた」といふ苦痛の感情は、近代がみづからの手で扼殺した過去の日本へのうしろめたい負い目を象徴してゐる。
(桶谷秀昭『明治の精神 昭和の心―桶谷秀昭自選評論集』)>
「Kの黒い影」は誤読。常識的には「先生自身の影」だが、Sにそうした考えはない。
(付記)「紅楼夢」(北京衛視)参照。
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3110 『だくだく』
3113 神経病
「明治の精神」の真意は、俗語としての「神経衰弱」だ。
<石坂公歴にとっては、維新以後、日本民族の国家は、ひとときも安らいだ気持で見ていることのできない不安と危険な存在であったろう。つまり恒常的な危機意識――いつまでも民族の独立の完全な達成がえられないという焦燥感(中江兆民のいう外患に対する「神経病」)がかれらを苦しめ、一種の強迫観念としてかれら明治人の心を激しいものに駆りたてていたのであろう。それはじっさいに植民地化の危機があったか、なかったかという問題を越えた衝迫であったろう。
(色川大吉『新編 明治精神史』)>
同書によれば、中江兆民は「余も亦神経病者の一人なり」と書いていたそうだ。
<中枢神経系の機能障害をきたす病気のほか、解剖学的には異常の認められない神経症、精神病をも含めていうこともある。
(『日本国語大辞典』「神経病」)>
次は素朴な印象。
<乃木大将の自死には多くの議論がありますが、少なくとも『こころ』の中の「先生」は乃木大将に象徴される自死を“ブーム”と捉えて、それに乗っかっていたのではないでしょうか。乃木大将には、忠義や義理などといった“かっこいい”日本人男性のイメージがあります。それを自分にもちゃっかり投影させようとしているように思うのです。
「先生」は、ブームの先頭を走る自分を学生である「私」に見せつけ、「俺はイケてるだろう」といった具合にマウンティングしたのではないでしょうか。
(手塚マキ『裏・読書』>)
Sが「乗っかって」いるのではない。「乗っかって」いるのは作者だ。
『こころ』の作者は、「明治の精神」について、理解するのではなく、感得するよう、読者に要求している。作者は読者に対して「マウンティング」を仕掛けているのだ。
<「N閣下などはどうだろう?」
青年の顔には当惑の色が浮かんだ。
(芥川龍之介『将軍』)>
「N閣下」は乃木希典のこと。
明治四十年頃の「青年」は殉死を蔑んだ。『軍国美談と教科書』(中内敏夫)参照。
(3110終)
