ヒルネボウ

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夏目漱石を読むという虚栄 3220

2021-05-19 23:03:13 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3220 正体不明の「先生」
3221 Dの代役
 
「淋(さび)しい人間」には、「相手も私と同じ樣な感じを持っていはしまいか」と思いたがる傾向があるようだ。〈相手も自分と同じように感じてほしい〉という期待が過度になり、妄想的になるのだろう。
 
蠅は手の上にぴたりととまった。
その気になれば、手をのばして、蠅を追っばらうこともできる。
でも彼女は追わなかった。
彼女は追わずに、だれかが見ていればいいのにと思った。そうすれば、彼女がどんな人間かを知ってくれるだろう。
なんだ、あの女は、蠅も殺せないんだ……と。
(ロバート・ブロック『サイコ』)
 
「彼女」の名はノーマという。彼女の空想する「だれか」との問答を上演してみよう。
 
だれか 蠅があなたの手にぴたりととまった。手をのばして、蠅を追っばらわないのか。
ノーマ その気になれば、手をのばして、蠅を追っぱらうこともできる。でも、私は追わない。追わずに私を、だれかが見ていてくれればいいのにと思う。そうすれば、私が、どんな人間かを知ってくれるだろう。
だれか なんだ、あなたは、蠅も殺せないんだ。
 
お笑いになってしまった。
彼女の〈自分の物語〉は、次のように語られている。聞き手は「だれか」つまりDだ。
〈蠅は私の手にぴたりととまった。その気になれば、手をのばして、蠅を追っぱらうこともできる。でも私は追わない〉。
ノーマは、〈私は、蠅も殺せないんだ〉と自己紹介したくない。他人に忖度してほしい。〈私は、「あの女は、蠅も殺せないんだ」とだれかに思われたがる人間だ〉というふうに自己紹介するのも、いやだ。では、〈私は「あの女は、蠅も殺せないんだ」と人から思われたがる人間だと自己紹介することもできないんだ〉と自己紹介すべきだろうか。そんな自己紹介はほとんど無意味だろう。ノーマは、どんな自己紹介もできない。
Sは自己紹介ができない。語り手Pは、Sに代わってSをQに紹介することができない。作者は読者にSを紹介できない。
 
あなたは とうさんのイメージが いえ… 愛(あい)の心(こころ)がつくりあげたのです! 
(永井豪&ダイナミックプロ『手天童子』)
 
PはSのDの最後の化身だろう。Sは「遺書」の聞き手の「イメージ」としてPを「つくりあげた」のかもしれない。実在のPは「イメージ」の素材でしかなかったのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3220 正体不明の「先生」
3222 「先生の顔が浮いて出た」
 
PとSは「鎌倉」から別々に東京へ帰る。その理由は不明。二人は再会を約束したが、PはSの自宅をすぐには訪ねなかった。
 
私は無論先生を訪ねる積りで東京へ(ママ)帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数(ひかず)があるので、そのうちに一度行って置(ママ)こうと思った。然し帰って二日三日と経(た)つうちに、鎌倉に居た時の気分が段々薄くなって来(ママ)た。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」四)
 
この夏、Pは帰省したのだろうか。帰省したとしても、かなり短い期間だったろう。
「気分が段々薄くなって」しまった理由を、語り手Pはぼかしている。
〈SはPの訪問を待ち望んでいない〉という物語と〈SはPの訪問を待ち望んでいながら、そうではないように装っていた〉という物語が、同時に、しかし不十分に暗示されている。この二つの物語は、同時に真実でありうる。つまり、〈Sの気持ちはぶれていた〉と考えられる。だが、青年Pはそうした可能性に思い至らず、前者を重んじた。一方、語り手Pは後者を暗示している。そのことに作者は気づいていない。
 
私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室(へや)の中を見廻した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私は又先生に会いたくなった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」四)
 
「何だか」は変だ。「不足な」のは「先生」であるはずだ。ところが、青年Pには、そのことが自覚できなかったようだ。この時期の青年Pの暮らしぶりを想像するのは困難。「往来」で知人に出会わなかったのか。「友達」(上一)はどうした。下宿を訪ねたり訪ねられたりする相手はいなかったのか。こうした疑問が山ほど、浮かぶ。
「物欲しそうに」の「物」は怪しい。新しい「友達」が欲しいのか。新しい「先生」が欲しいのか。異性の恋人が欲しいのか。「室(へや)」の外は「見廻した」のか。
Sと出会う前から、Pは何度もこうした体験をしていたのだろう。そして、そのたびに、〈「先生」的人物〉の「顔が浮いて出た」のだろう。そうした事情を露呈するのが「再び」という言葉だ。この前に、「先生の顔が浮いて出た」という話はない。本文は、二つの物語を同時に、しかし不十分に暗示している。一つは、〈Sの生霊がPの「頭の中」に出現してPを誘った〉というもの。もう一つは、〈PはSの「顔」を思い出そうとしたら簡単に思い出せた〉というもの。次の文に続くのは、前者の物語だ。
Pは、「又先生」的人物に「会いたくなった」のだ。Sその人に、ではない。
「鎌倉に居た時の気分が段々薄くなって」いたせいで、実在のSに対する遠慮などが消えた。そして、かつての「先生」的人物のぼんやりとした「顔」が浮かんだのだろう。
「淋(さび)しい人間」は、複数の〈自分の物語〉を同時に、しかし不十分に語る。そのせいで混乱し、苦痛から逃れたくて「死の道」(下五十五)を展望するわけだ。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3220 正体不明の「先生」
3223 「一人の西洋人を伴(つ)れて」
 
PがSに接近した理由を作者は徹底的に隠蔽している。Sを正体不明にしておくためだ。
 
特別の事情のない限り、私は遂(つい)に先生を見逃したかも知(ママ)れなかった。それ程浜辺が混雑し、それ程私の頭が放漫であったにも拘わらず、私がすぐ先生を見付出したのは、先生が一人の西洋人を伴(つ)れていたからである。
その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ(ママ)入るや否(いな)や、すぐ私の注意を惹(ひ)いた。純粋の日本の浴衣(ゆかた)を着ていた彼は、それを床几(しょうぎ)の上にすぽりと放り出したまま、腕組をして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿(は)く猿股(さるまた)一つの外何物も肌(はだ)に着けていなかった。それが私には第一不思議だった。私はその二日前に由比(ゆい)が浜(はま)まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ(ママ)入る様子を眺めていた。私の尻(しり)を卸(ママ)した所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍(わき)がホテルの裏口になっていたので、私の凝(じっ)としている間に、大分多くの男が塩(ママ)を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股(もも)は出していなかった。女は殊(こと)更(さら)肉を隠し勝(がち)であった。大抵は頭に護謨(ごむ)製の頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、海老茶(えびちゃ)や紺や藍(あい)の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済(ママ)まして皆(みん)なの前に立っているこの西洋人が如何(いか)にも珍しく見えた。
彼はやがて自分の傍(わき)を顧みて、其所にこごんでいる日本人に、一言(ひとこと)二言(ふたこと)何か云った。その日本人は砂の上に落ちた手拭(てぬぐい)を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人が即(すなわ)ち先生であった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」二)
 
「特別の事情」は何だったのか。不明。私には埋め草のように思える。
 
当時の海水浴の様子が、フランスの画家で多数の風刺画を世に残したジョルジュ・ビゴーの作品の中に見られる。そのひとつが一八八七(明治二十)年の熱海の海岸である(図5-2)。腰巻ひとつで上半身は裸の女性が、特に恥じることなく男性と一緒に沐浴している。子供は丸裸である。海中で見えないが、男性はふんどし姿が一般的だったようである。ただ、手前でしゃがんでいる男性は何もつけていないように見える。
(中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか』「第5章 複雑化する裸体観」)
 
ところが、次第に日本人は裸体を恥じるようになる。
 
このように、ハイネが見た下田公衆浴場から四十年余りたって、日本人の裸体観は、古風な価値観と新たなそれとがせめぎ合う様相を呈する。
(中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか』「第5章 複雑化する裸体観」)
 
Pの「第一不思議」は「複雑化する裸体観」の表出だろう。『こころ』の読者はめまいを覚えるはずだ。くらくらしているとき、「先生」が登場する。狡い書き方だ。
 
(3220終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 3210

2021-05-19 00:52:43 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3210 「一種の失望」
3211 「何処かで見た事のある顔の様」
 
青年Pは「淋(さび)しい人間」だったはずだ。しかし、その自覚がなかったのだろう。
 
<その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうも何処かで見た事のある顔の様に思われてならなかった。然(しか)しどうしても何時(いつ)何処で会った人か想(おも)い出せずにしまった。
その時の私は屈託がないというより寧(むし)ろ無聊(ぶりょう)に苦しんでいた。それで翌日(あくるひ)もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけて見(ママ)た。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と遺書」二)>
 
「その時」は、PがSを見かけたときだ。〈「ぼかんとしながら」~「考えた」〉は意味不明。この「先生」は、Sであると同時に〈「先生」的人物〉でもあったろう。
「考えた」が「思われて」に下落している。
「思」の文字が「想」に変わっている。嫌らしい。
「何時(いつ)何処で」より、〈どんな「人」か〉という問題を先に解くべきだろう。
 
<私たちの実験によれば、過去のできごとを思いだすときに活性化する脳領域と、未来のできごとを想像するときに活性化する脳領域はほぼ重なっていた。脳にとって、この二つの行為のあいだにはほぼ違いというものがないようだ。
(マイケル・コーバリス『意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること』)>
 
「屈託がない」は意味不明。
 
<気にかかることが一つもないさまでさっぱりしている。
*霧の中の少女(1955)〈石坂洋次郎〉四「二人は小指を絡み合せながら、屈託無く笑い出した」
(『日本国語大辞典』「屈託(くったく)無(ない)」)>
 
「無聊(ぶりょう)」は意味不明。
 
  • <心配事があって楽しくないこと。新花つみ「―の事なりとて、ひたすら避してうけざりけり」
  • つれづれなこと。たいくつ。「―を慰める」「―な日々」
(『広辞苑』「無聊」)>
 
本文の「無聊(ぶりょう)」は①だろうか。「苦しんでいた」というから、〈Pは退屈している「というよりも」気晴らしを必要としていた〉と解釈すべきだろうか。その場合、青年Pには何か「心配事」があったように思われる。「心配事」を、語り手Pは隠蔽しているわけだ。また、〈「心配事」を「先生」的人物が解消してくれる〉という物語をも隠蔽しているようだ。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3210 「一種の失望」
3212 「相手も私と同じ樣な感じを持って」
 
〈PとSの邂逅の物語〉は不可解だ。
 
<私は最後に先生に向って、何処かで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないと云った。若い私はその時暗に相手も私と同じ様な感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚(みおぼえ)がありませんね。人違(ひとちがい)じゃないですか」と云ったので私は変に一種の失望を感じた。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三)>
 
「最後に」は、〈我慢しきれなくなって、話の流れを無視して〉などが適当。ここまで、Sは、Pにとってあまり興味のないような「色々の話」(上三)をしていた。
「若い」や「暗に」や「疑った」などは、過負荷だ。思わせぶりが過ぎる。
Pが「予期して」いたのは、〈私も「同じ様な感じを持って」いますよ〉だろう。だったら、〈先生も「同じ様な感じを持って」いらっしゃるのではありませんか〉と問えばよかろう。そのように問わない理由は不明。
Sの答えは、Pに対する応答としては、ずれている。Pが「予期して」いたのと違うのではなくて、普通の会話として成り立っていないのだ。
Pが「変に一種の失望を感じた」という理由は、Sの返事がPの発言に対して適切ではなかったこと、および、「予期して」いた「返事」と異なること、この二つだ。ところが、このことがPには整理できない。前者の場合、「変」なのはSだ。後者の場合、「変」なのはPだ。「一種の」だから、Pの「失望」は普通の意味での〈失望〉ではない。「予期して」いた「返事」が推定できなければ、「一種の失望」の意味を想像することはできない。
 
<「このお嬢さんなら、ぼくお会いしたことがありますよ」
するとご隠居さまがお笑いになって、
「そらまたそんなでたらめを。会ったことがあるなんて、そんなわけがあるものかね」
宝玉も笑いながら、
「いいえ、それは会ったことはないでしょうけれど、なんだがぼく、お顔に見覚えがあるような気がするんです。だからこれは昔の旧友で、今日こうして久しぶりに再会したということにしても、かまわないじゃないでしょうか?」
「そうかい、そうかい、それはよかった。そんな工合だといっそう仲良しになれるだろうね」
(曹雪芹『紅楼夢』第三回)>
 
Pが「予期して」いたのは、「ご隠居さま」のような対応だろう。彼女は真実を知らないが、「お嬢さん」の黛玉と宝玉は霊的な世界で「会ったこと」がある。ただし、二人ともその記憶を失くしていた。
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3210 「一種の失望」
3213 認知的不協和
 
語り手Pは、語られるPの〈自分の物語〉における自分とSの亡霊との会話を語りなおしている。この〈自分の物語〉は怪談だ。
 
P 私は、なぜ、先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかったのです。
Sの亡霊 それは私が死んだ今日になってみれば、もう解っていましょう。私は、初めからあなたを愛していたのです。私があなたに示した時々の素っ気ない挨拶や冷淡に見える動作は、あなたを遠ざけようとする不快の表現ではなかったのです。
P 傷ましい先生! 
Sの亡霊 私は、自分に近づこうとする人間に、〈近づく程の価値のないものだから止せ〉という警告を与えていたのです。他人の懐かしみに応じない私は、他人を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたのです。
 
本文は、次のようになっている。
 
<私は何故(なぜ)先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが先生の亡(な)くなった今日になって、始(ママ)めて解って来た。先生は始(ママ)めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素(そっ)気(け)ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠(とおざ)けようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づく程の価値のないものだから止(よ)せという警告を与えたのである。他(ひと)の懐(なつ)かしみに応じない先生は、他(ひと)を軽蔑(けいべつ)する前に、まず自分を軽蔑していたものと見える。
(夏目漱石『こころ』上四)>
 
「こんな心持」を要約することは、私にはできない。
「始めから私を嫌(きら)っていたのではなかった」には〈最後には私を嫌うようになった〉という含意がある。だが、この含意は無視しなければならないらしい。つらいな。
「傷ましい」は、私には皮肉に思える。〈イタ過ぎる〉みたいな感じ。
 
<こうした不協和を心理学では「認知的不協和」といって、アメリカの心理学者フェスティンガーが提唱した。これは、人が自分の考えなどと矛盾するものと出会った時に心のなかで生じるストレス状態のことをいう。このモヤモヤとした精神状況を解決するために、「自分は初めから嫌われてなどいなかったのだ」と思い込むようになる。この際、相手への好感度も自然とUPする。
認知的不協和を巧みに利用すれば、相手の考えを誘導することができるのだ。
(斎藤勇『マンガ 悪用禁止!裏心理学』)>
 
Sは、「認知的不協和を巧みに利用」していた。つまり、Sは人たらしだった。ただし、たらせる相手は、自分に似た「淋(さび)しい人間」に限られていたろう。
 
(3210終)