ベラベラ
マイベイビベイビ バラマキ
マイベイビベイビ ボロカス
マイベイビベイビ ブリッコ
オオ ビラビリ
ベラベラベラベラ ベラベラベラベラ
ベラベラベラベラ ベラベラベラベラ
ベラベラベラベラ ベラベラベラベラ
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(10月30日終了予定)
ベラベラ
マイベイビベイビ バラマキ
マイベイビベイビ ボロカス
マイベイビベイビ ブリッコ
オオ ビラビリ
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(10月30日終了予定)
夏目漱石を読むという虚栄
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5350 隠れ軟派
5351 「羽二重(はぶたえ)の胴着(どうぎ)」
明治に、バタ臭い同性愛差別が輸入された。戦後には、バタ臭い反差別が輸入される。
<さて一方、珍娘の許嫁(いいなずけ)の傅(ふ)貞(てい)郷(きょう)は、生れつき正直(せいちょく)な男で、年は十八。早くも翰林の遺風にそまりまして、竜(りゅう)陽(よう)にしたしむこと漆(うるし)のごとく膠(にかわ)のごとしというありさまで、女色のほうは、穴の中から蛇をつつき出すようにきらうのでございます。
(駒田信二『好色の勧め 「杏花天」の話』「前門と後庭」)>
西洋かぶれを嫌う蛮カラの学生は、ゲイを装った。
<その癖硬派たるが書生の本色で、軟派たるは多少影(うしろ)護(めた)い処があるように見えていた。紺足袋小倉袴は硬派の服装であるのに、軟派もその真似をしている。只軟派は同じ服装をしていても、袖をまくることが少い(ママ)。肩を怒らすことが少い(ママ)。ステッキを持ってもステッキが細い。休日に外出する時なんぞは、そっと絹物を着て白足袋を穿(は)いたり何かする。
(森鴎外『ヰタ・セクスアリス』)>
鎌倉で、Pはどんな服装をしていたろう。Sは裸だったから、正体不明。
<私の友達に横浜の商人(あきんど)か何かで、宅(うち)は中々派出(はで)に暮しているものがありましたが、其所へある時羽二重(はぶたえ)の胴着(どうぎ)が配達で届いた事があります。すると皆(みん)ながそれを見て笑いました。その男は耻(はず)かしがって色々弁解しましたが、折角の胴着を行李(こうり)の底へ放り込んで利用しないのです。それを又大勢が寄ってたかって、わざと着せました。すると運悪くその胴着に蝨(しらみ)がたかりました。友達は丁度幸いとでも思ったのでしょう。評判の胴着をぐるぐると丸めて、散歩の出た序に、根津の大きな泥(ど)溝(ぶ)の中へ棄(す)ててしまいました。
(夏目漱石『こころ』「下 先生との遺書」十七)>
この「友達」はSのDだ。〈私の友だちがさあ〉の、あの〈友だち〉だね。「胴着」は〈異性愛〉の隠喩。「宅(うち)」から「届いた」それは、Sの従妹に相当する。未来の夫を愛していない。そんな「女を嫁に貰って嬉しがって」(下三十四)いたら「耻(はず)かし」い。「丁度幸い」にも叔父の醜聞が聞こえてきた。「蝨(しらみ)」は醜聞。これを口実にSは従妹を「棄(す)てて」しまう。
硬派気取りのSに、静の母は「着物を拵(こしら)えろ」(下十七)と勧める。つまり、〈静にプロポーズしなさい〉と暗示したわけだ。彼は静母子と外出し、「御嬢さんの気に入るような帯か反物を買って」(下十七)与えることにする。外出は、ごっことしての婚約披露だった。静母子のままごと、青年Sの妄想、作者の虚構が混交している。
「帯か反物」は〈結納〉の予行演習。
婚約披露を、Sは誰かに承認されたかった。だから、SのDが「級友の一人」(下十七)に化身し、現れた。Dは、その場では声をかけない。翌々日、学校に現われ、「何時(いつ)妻(さい)を迎えたのか」(下十七)と、Sをからかう。Dは、婚約を承認すると同時に非難するわけだ。
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5350 隠れ軟派
5352 「何でも話し合える中」
与次郎の「与」は、〈与次郎は三四郎に妻を与える〉という物語の虚偽の暗示だ。三四郎は三男で、「母」が産めなかった四男の代わりもする。長男は死んだか。次男は養子にやられたか。この長男の霊が与次郎に憑依したか。彼は、「母」を含め、女性不信だ。
Kは〈兄〉の音読みだが、〈KはSに静を与える〉という物語の暗示ではない。作者にすら自覚できない願望の露呈だ。この物語に先立ち、〈Kは静を所有する〉という物語がなければならないわけだが、勿論、そんな物語があっては困る。Sが困るのではなく、作者が困るのだ。作者は、創作に失敗したのではなく、自分が小説によって何をしているのか、わからなくなってしまったのだろう。
<Kと私は何でも話し合える中(ママ)でした。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二十九)>
「何でも」は妄想的。真相は、次のどれかだろう。
Ⅰ〈「Kと」S「は何でも話し合える中でした」〉
Ⅱ〈「Kと私は何でも話し合える中」だと、私は独り決めしていたの「でした」〉
Ⅲ〈「Kと私は何でも話し合える中」だと、二人で話し合っていたの「でした」〉
本文は、Ⅰの書き換え。原典は青年Sの〈自分の物語〉だ。この語り手Sは、神のように万能のつもりだ。幼児的。
Sの〈自分の物語〉がⅡのように語られていたら、青年Sに反省の機会が訪れていたろう。そして、「遺書」の語り手Sは、自分の独善を反省することができたろう。
Ⅲの場合、Kが嘘をついていた。あるいは、SがKに騙されていた。そうした可能性が考えられる。彼らがゲイでなければ、早晩、殺しあうことになるはずだ。
「話し合える」の真相は〈話を合わせられる〉のようだ。〈語り合える〉が適当か。ただし、〈語らえる〉というほど打ち解けた関係ではなかったようだ。
〈話す〉と〈語る〉は違う。〈英語を話す・話せばわかる・内緒話〉とはいっても、〈英語を語る・語ればわかる・内緒語り〉とはいわない。逆に、〈語り継ぐ・語り口・語るに落ちる〉とはいうが、〈話し継ぐ・話し口・話すに落ちる〉とはいわない。
〈語る〉は「(うちとけて親しげに「語る」ことから)安心させてだます」(『広辞苑』「騙る」)という意味にもなる。〈語る〉が調子づくと〈歌う〉になり、自分の声を自分の耳に聞かせて自己満足できる。〈歌う〉は「白状することをいう、てきや、盗人仲間の隠語」(『日本国語大辞典』「うたう」)でもある。
〈話し合う〉のは、相談や議論をすることであり、結論が出るものだ。結論が出なければ、話し合いは失敗したことになる。一方、〈語り合う〉のは、互いの自説を披露するだけで成り立つ。両者の自己完結的コミュニケーションに終始し、結論は出なくてもいい。
語り手Sは〈話す〉の意味をよく知らない。Nが知らないのだ。
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5350 隠れ軟派
5353 「個性の一致」は観察不能
Nは、ゲイではないのに、ゲイのように考えていたらしい。あるいは、バイだったか。
<「先生今日は大分俳句が出来ますね」
「今日に限った事じゃない。いつでも腹の中で出来てるのさ。僕の俳句における造詣(ぞうけい)と云ったら、故子(し)規子(きし)も舌を捲(ま)いて驚ろ(ママ)いた位のものさ」
「先生、子規さんとは御つき合でしたか」と正直な東風君は真率な質問をかける。
「なにつき合わなくっても始終無線電信で肝胆相照らしていたもんだ」と無茶苦茶を云うので、東風先生はあきれて黙ってしまった。
(夏目漱石『吾輩は猫である』十一)>
「俳句における造詣(ぞうけい)」は、門外漢には、「滅茶苦茶」に思える。
<個性の発展というのは個性の自由と云(ママ)う意味だろう。個性の自由と云(ママ)う意味はおれはおれ、人は人と云(ママ)う意味だろう。その芸術なんか存在出来る訳がないじゃないか。芸術が繁昌するのは芸術家と享受者(きょうじゅしゃ)の間に個性の一致があるからだろう。君がいくら新体詩家だって踏張(ふんば)っても、君の詩を読んで面白いと云うものが一人もなくっちゃ、君の新体詩も御気の毒だが君より外に読み手はなくなる訳だろう。鴛鴦歌(えんおうか)をいく篇作ったって始まらないやね。
(夏目漱石『吾輩は猫である』十一)>
「発展」を「自由」と、このように「意味」をすりかえていくのが、Nのスタイル。
「個性の一致」は観察不能で、屁理屈の類。〈小説〉は〈ノベル〉で、新奇なものだ。自分の「個性」と違う情報を求めて読む。「一致」があり過ぎたら、退屈。
普通の「芸術家」に「読み手」は実在しなくていい。彼らの心の中には、素敵な敵の〈聞き手〉がいるからだ。むしろ、未知の「享受者(きょうじゅしゃ)」を呼ぶために歌うのだ。
「鴛鴦歌(えんおうか)」は、まだ見ぬ恋人に贈ることができる。恋人が出現したら、言葉は要らない。『ウェストサイイド物語』(ワイズ+ロビンズ監督)の体育館の場面を参照。
<われわれはお互いの目の奥を見つめた。〈よく分りました〉と彼はいった。そして人々の前でわれわれは兄弟愛の口づけをした。
ユダヤ教徒とキリスト教徒の間に介在している状況から起った論議は、キリスト教徒とユダヤ教徒の間の連帯に変わった。この変様の中で対話は成就した。意見は解消して、事実的なものが、血肉をともなって生じたのである。
(マルティン・ブーバー『対話』「第一部 記述」「意見と事実」)>
Nの小説に「兄弟愛」は描かれていない。「連帯」は起きない。その理由は簡単だろう。「対話」がなされないからだ。
(5350終)
(5300終)
夏目漱石を読むという虚栄
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5340 潜在意識の共有
5341 副次的自我
西洋では、「男色や獣姦・少年愛など」(『広辞苑』「ソドミー」)が一緒くたにされていた。
<多くの若者たちは自分たちを同性愛者だと信じています。友人という自分の副次的自我を失った深い悲しみのなかにあるとき、彼らには鏡となるような、二重唱を歌えるような相手はもう誰もいません。そして彼らは自分たちが同性愛者ではないかと考えて恐ろしくなるのです。
たとえばある男の子は、自分が女たらしの男性に夢中になっているために、自分を同性愛者と考えるようになるでしょう。若者たちはそういう恐れをあえて誰にも相談しません。しかし作用しているのは、幼年時代に端を発した同性愛の欲動にたいする羞恥心なのです。ところでこの子どもの同性愛は、「エディプス」の衰退期に、情動の面で欠くことのできないものです。それはちょうど、思春期にいたるまで理想化された異性愛が不可欠であるのと同様です。思春期になってはじめて、男の子は現実に女の子が存在することを発見するのです。女の子の場合も同じです。それまで男の子は、たとえば父親の理想化されたものを、最初の友だちに向けていました。彼が友だちのなかにあるものを見ていたことを、その友だちは示すことができるのです。そのあるものが、友だちを実際以上に見せていたわけです。もっとも、同性愛というわけではありませんが。
(フランソワーズ・ドルト『子どもの無意識』「8 思春期について」自殺のファンタスム:理想自我は消えなければならない)>
Kは、Sの「副次的自我」だったようだ。ちなみに、〈alter ego〉には〈代役・親友・もう一人の自分〉(『ランダムハウス英和大辞典』より)という三つの意味がある。
<おまえのこと 好きだった!! でも、もう おまえとは友だちには なれないんだっ!! おまえがいると、ほかの人と 友だちに なれないのだっ!! おまえは、ぼくが作ったんだっ!!
(楳図かずお『ねがい』)>
「おまえ」は人形。性別は不明だが、男だろう。
「ほかの人」は少女。
<僕は知りたいのです、自分がだれかを、なにかを、だれかが僕を知っているのを僕は知りたいのです。あなたの返事をほしいと思います。あなたからの手紙がくるまで、僕はいつまでも待とうと思います――手紙をください。
アレン・ギンズバーグ
(ウィリアム・バロウズ+アレン・ギンズバーグ『麻薬書簡』)>
ギンズバーグは自分をゲイだと思い込んでいたらしい。
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5340 潜在意識の共有
5342 「あッ悟った」
三四郎は、広田や与次郎の稚児のような存在だった。
<詳しいことは他の機会にして、こうして祈禱には行者と験者とがあり、若い験者は行者と同性愛関係があって、それでないと祈禱がうまく進まぬという。女の祈禱師、つまり先生は若い男の助教を連れたがるが、これも同じく性的関係が緊密でないと、うまいこと祈禱が進まぬといい、いわゆる阿吽の息を合わせるには確かに理由もあった。
(赤松啓介『宗教と性の民俗学』「Ⅰ 民間信仰と性の民俗」)>
美禰子は、広田と同様、「先生」であり、三四郎は彼女の「助教」候補かもしれない。そう思うと、「禰」の字が怪しげに見えてくる。美禰子のような紅一点は、男にとっての異性として集団に参加しているのではなく、一種の男であり、男たちの同僚なのだ。『ウルトラマン』(TBS)のフジ隊員はマニッシュで、「マドンナ」のようではない。
SはKの稚児だったのだろう。見下されたSは「復讐(ふくしゅう)」の機会を伺っていたようだ。
学生時代のNは稚児だったらしい。
<空の澄み切った秋日和(あきびより)などには、能く二人連れ立って、足の向く方へ勝手な話をしながら歩いて行った。そうした場合には、往来へ塀(へい)越(こし)に差し出た樹の枝から、黄色に染まった小さい葉が、風もないのに、はらはらと散る景色を能く見た。それが偶然彼の眼に触れた時、彼は「あッ悟った」と低い声で叫んだ事があった。唯秋の空(くう)に動くのを美く(ママ)しいと観ずるより外に能のない私には、彼の言葉が封じ込められた或秘密の符徴として怪しい響を耳に伝えるばかりであった。「悟りというものは妙なものだな」と彼はその後から平生(へいぜい)のゆったりした調子で独(ひとり)言(ごと)のように説明した時も、私には一口の挨拶(あいさつ)も出来なかった。
(夏目漱石『硝子戸の中』九)>
「それが」何か、不明。「偶然」かどうか、Nにわかるわけがない。「偶然」から語られる時間が変わる。変だ。「彼」は「O」(『硝子戸の中』九)と呼ばれている。
「黄色に染まった小さい葉」から、Kの墓のある「大きな銀杏(いちょう)」(上五)が連想される。
「空(くう)に動く」は意味不明。〈Oに「能」がある〉という証拠はない。誰が「封じ込め」るのか。「秘密の符徴」は意味不明。〈「符徴として」~「伝える」〉は意味不明。「怪しい」は意味不明。「響」系の言葉は夏目語らしい。
「悟りというものは妙なものだな」で、何かを「説明した」ことになるのだろうか。「妙な」は意味不明。「悟り」も「勝手な話」の一種だろう。「時も」の「も」は唐突。〈「説明した」ことに対して「挨拶(あいさつ)」をする〉というのは意味不明。「挨拶(あいさつ)」は禅語か。
Oは、後にNを訪ねる。『こころ』のKのモデルが自分だと思ったのではないか。Nは、ことあるごとに彼を笑いものにする。親しみの表れのように語るが、「挨拶(あいさつ)」つまり〈仕返し〉だろう。彼の死をさえ願っているようだ。彼を「雪と氷に鎖ざされた北の果に」(『硝子戸の中』十)封じ込めた。Nは自己欺瞞をしている。
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5340 潜在意識の共有
5343 『エンジェル・ウォーズ』
青年Nは、友人Oが口にした「悟り」系の言葉の「怪しい響」に魅せられた。Nが弟分だったからだ。「悟り」はOの自分語だったはずだが、それがある程度の効果を上げたのは、Nが弟分だったからだ。このとき、Oの自分語は睦言として成功している。
意味ありげなだけの自分語は、本来、母子関係や性的関係などで、睦言として容認されるものでしかない。ところが、男色文化では、肉体関係のない男同士でも、自分語が睦言として通じる。いや、通じたような錯覚が起きる。このとき、自分語は暴力として働いている。言葉によるイジメだ。言葉の暴力に喜んで屈服するマゾ男が弟分になる。その結果、おかしなことに、兄分までが気分を通じさせたように錯覚してしまうわけだ。
性的関係では、言葉によるやりとりに先立ち、〈二人の世界〉が生じる。言葉はその世界でのみ意味があるように用いられる。また、その世界を維持するために用いられる。
『乙女の祈り』(ジャクソン監督)では、レズビアンの少女が二人きりでいると、風景が変質し、彼女たちにとって都合のいい空間が広がる。綺麗。
『ダイアナの選択』(パールマン監督)は、災害などの生存者が死者に対して抱く後ろめたさ、サバイバーズ・ギルトを主題としている。邦題は『ソフィーの選択』(パクラ監督)を思わせてネタバレと思われているが、もともとは続きがあったのにそれがカットされたみたいだ。偽悪的な少女は、友人の偽善的な行為によって自分が救われたことを悟る。そして、偽善をも善と認める。その瞬間、イエスの犠牲の死を追体験する。
『エンジェル・ウォーズ』(スナイダー監督)では、二人の少女の潜在意識が重なる。スイートピーという少女は〈自分たちは精神病院で役割演技法の治療を受けている〉と思っている。ベイビードールという少女は〈自分たちは妓楼でダンスを習っている〉と思っている。二人は、互いが異なる現実認識をしていることに気づかない。ところが、二人は他の少女たちをも巻き込み、生きのびるために共闘する。
共闘の世界は、彼女たちの〈自分の物語〉のどちらの世界でもない。彼女たちの潜在意識が重なる異次元の戦場だ。
物語 場所 役割
Ⅰ スイートピーの物語 病院 患者
Ⅱ ベイビードールの物語 妓楼 遊女
Ⅲ 少女たちの共闘の物語 戦場 戦士
最初、Ⅰの世界が現実のように思える。だが、次第に怪しくなる。たとえば、ここに、Ⅱの世界に属するはずの奇妙な人物が登場するからだ。この人物が実在するのなら、『エンジェル・ウォーズ』はファンタジーだろう。
Ⅱの世界のヒロインであるベイビードールは、ダンサーだ。彼女が踊り出すと、少女たち全員がⅢの世界にワープする。
Ⅲの世界の出来事は、ⅠとⅡに反映する。たとえば、Ⅲにおける戦死者は、ⅠでもⅡでも、その物語の世界にふさわしい死に方をする。
(5340終)
夏目漱石を読むという虚栄
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5330 硬派と稚児
5331 ゲイ・バー
1954年、チューリングは「同性愛の「治療」を強いられて服毒自殺をとげた」(『ブリタニカ』「テューリング」)という。『エニグマ』(アプテッド監督)参照。
欧米の映画で仲のいい男二人が出てくると、〈二人はゲイではない〉という暗示がなされる。『最高の人生の見つけ方』(ライナー監督)参照。日本では、男組の成員は「義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」(矢野亮・水城一狼作詞・水城一狼作曲『唐獅子牡丹』または水城一狼・佐伯清作詞・菊池俊輔作曲))と、偉そうに歌う。
<日本にゲイバーがどのくらいあるのか、残念ながら、はっきりわからない。東京都内で二百軒ぐらいだろうか。ホモ人口の増加、それになまじっかなバーよりもずっときれいでやさしい女性がいるので、そのテの趣味のない人たちにも好かれて、どの店も盛況のようである。
もともとホモは日本では珍しいことではなく、長い間、けっこう明るくたのしんできたことである。これがヘンタイの最たるもののように白眼視されたのは、明治時代になってからである。ホモたちはネクラにならざるをえなかった。そして今日、ようやく復権しつつある。ケッコウなことである。
(淡野史良『江戸あへあへ草紙』「尻でつかむ一生の安楽 江戸のホモ」)>
ちなみに、〈ジェンダー〉という言葉を用いて文芸作品などについて論じる人がいる。私は、そんな人を私の読者として想定しない。
しかし、より深く考えてみると、ジェンダーとセックスとの境界線をどこに引くか、何がジェンダーに含まれ、何がセックスに含まれるかという認識そのものも絶対的なものではなく、時代や地域、あるいは学問的立場によって変化する。そこで現在では、性別に関する知識や考え方全体を指して「ジェンダー」と呼ぶ用法が広まってきた。この観点からは、生物学的な性差とみなされる要素だけを特別扱いしてセックスという別の語を割り振る必要はないということになる。それもまた、私達の社会がつくりだしたものなのだから。
(加藤秀一・石田仁・海老原暁子『ジェンダー』)>
この説明そのものが「難しい」のだ。意味不明。
<もっとたくさんの女性がエステやネイルサロン感覚でレズ風俗を利用するようになったらきっと楽しい社会になるはず!
(レズっ娘クラブ代表 御坊*)>
性別を問わず、「風俗」のサービスを性感マッサージとして認めてはどうか。
*『レズ風俗アンソロジー』(秋葉悠司・梅澤佳奈子編)帯紙より。
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5330 硬派と稚児
5332 『稚児之草子』
日本の封建時代の武士や僧侶の間では、ゲイが主流だった。
<詞書で見る限り、別に秘伝書でも指南書でもなく、当時の寺院での稚児と僧侶との交情のありさまを、それも小咄風に五話綴ったものである。その最初の書出しは、「仁和寺の開田の程にや、世おぼえいみじく聞え給(たまう)貴僧おはしましけり。御歳長(たけ)らるまゝに、三蜜の行法の薫修積(つも)りて、験徳ならびなくおはしけれども、なをもこの事をすて給はざりけり」とて、修行を積んだ高僧にしてもこの事(若衆道、男色)ばかりは捨てられないといっている。
この仁和寺の僧と稚児との関係は、当時評判であったらしく、『徒然草』(元徳二年、一三三〇以降)の五十四段にも「(仁和寺の)御室(おむろ)にいみじき児(ちご)のありけるを、いかで誘(さそ)ひ出(いだ)して遊(あそ)ばんと企(たら)む法師どもありて」などと書かれている。それより以前、『古今(ここん)著聞集(ちょもんじゅう)』(建長六年、一二五四)には、鳥羽院の第五皇子で、母が待賢門院であった覚性(かくしょう)法(ほっ)親王(しんのう)(一一二九~一一六九=仁和寺入道)に、千手という寵童がいたことを伝えている。「みめよく心ざまゆふなりけり。笛をふき、今様(いまよう)などうたひければ、御いとをしみ甚しかりける」ゆえ、「たへかねさせ給て(ママ)、千手をいだかせ給て御寝所(ごしんじょ)に入(じゅ)御(ぎょ)ありけり」とのことである。
こうした時代背景のもとで、『稚児之草子』も生まれたわけで、その後の稚児物・男色物の文章や図樣やらの著しい流行のさきがけとなった。
(白倉敬彦「日本最古の男色絵巻 稚児之(ちごの)草子(そうし)」*)>
明治の硬派にとって、稚児や若衆などは自分よりも一段低い存在だったらしい。
<私が中学生だった頃、未だ明治初年頃に地方の上京学生によってもたらされた少年趣味が残っていた。その時分、耳にしたのは、その大旨が伝説か、受け売りを出なかったようである。南方翁も、「攻玉塾のエピソード」として紹介しているが、それは学生が余所の寮か寄宿舎へ遊びに行って「何をごちそうしようか。焼芋がいいか、少年がいいか」と尋ねられ、「少年を」と所望すると、早速、運動場から適当な下級生が引張ってこられて、客といっしょに布団蒸しにされる。暫く布団の下(ママ)でごそごそがあって、客は「どうもごちそう様」と挨拶して帰る例だと云うのだが、少年側に下地がない限り、そんな早業が出来たかどうか甚だ疑問である。しかしこの種の話は何処の中学校でも語り伝えられていたのである。「キミとボクとはやっこらやのや、硯の墨よ喃(ああ)稚児さん、為(す)れば為るほど濃ゆくなる」だの、「好いた二世さんに謎かけられて脱がにゃなるまい半ズボン」だの、これらの例に洩れない。
(稲垣足穂『男色考余談』)>
マゾの「下地」も必要だろう。
こういう話をもっと知りたい人は、〈ストーム〉や〈ジンジロゲ〉で検索しなさい。
*白倉敬彦編『別冊太陽 肉筆春画』所収。
5000 一も二もない『三四郎』
5300 BLぽいのが好き
5330 硬派と稚児
5333 『幸せのポートレート』
軽薄才子は、差別者の烙印を捺されるのが恐ろしいからか、弱者に同情してみせる。だが、そんな偽善的な態度は事態をかえって混乱させてしまう。
『幸せのポートレート』(ベズーチャ監督)では、〈息子をゲイに育てた〉と自慢する母親が登場する。息子を差別から守るための冗談のようだが、実は母親としての責任を問われまいとするための防衛だ。彼女のたちの悪い冗談のせいで、同性愛者ではない子どもたちは自分の生き方を選べなくなった。当のゲイの息子さえ、自信が持てないで育った。この母には、息子とは関係なく、虚勢を張らねばならない理由が別にあった。この一家は、ゲイ不信のコミュ症の女性をいじめる。〈多様性〉という言葉は表現の自由を奪うために用いられる。
<異性愛が「正常」で、同性愛が「異常」だなどというのは、近代以降の社会が作り上げた考え方にすぎないのです。しかも、稚児の場合、単純に同性愛とはいいきれない複雑な問題を抱えているのです。「愛は平等」という近代的な恋愛観に縛られていた人は、「愛のかたち」がさまざまあること、しかしそれは常に対等なものではなく、時には搾取者と被搾取者の関係になりうるということを、心の片隅に刻んでおいて頂きたいと思います。
(田中貴子『性愛の日本中世』「第一章 中世の性愛と稲荷信仰」)>
「近代以降」は〈日本の「近代以降」〉のこと。
<十九世紀のイギリスにおいても、同時期のフランスと同様、そしてまたこれは古今東西、こんにちでもなお変わらないことであるが、同性愛とは社会的混合が現出するきわめつけの場なのである。同性愛者の小世界では、被抑圧少数者の場合にしばしばみられるのとおなじように、階級の違いは殆ど考慮されない。各人は相手の身分を気にかけることなく、快楽を求めるのである。そこで、金持ちの実業家がカフェのボーイとつきあったり、売れっ子の大作家が地位の低い電報配達人と食事をしたり、大学教授が場末の不良少年と寝たり、枢要の地位にある大臣が新聞売り子と関係したりすることになるわけだ。
(モーリス・ルヴェ『オスカー・ワイルド裁判』*)>
『オスカー・ワイルド』(ギルバート監督)参照。
<或(あ)る人問ふ。弥治郎兵衛・喜多八は、原(もと)何者ぞや。答へて曰(いわ)く、何でもなし。弥治唯(ただ)の親仁(おやじ)なり、喜多八これも駿州(すんしゅう)江尻(えじり)の産、尻食(しりくらい)観音(かんのん)の地(じ)尻(じり)にて、生まれたる因縁によりてか、旅役者、花水多羅(はなみずたら)四郎が弟子として、串(かげ)童(ま)となる。されど尻癖(しりくせ)わるく、其所に尻すはらず、尻の仕廻(しまい)は、尻に帆をかけて、弥治に随(したが)ひ出奔(しゅっぽん)し、倶(とも)に戯(たわ)気(け)を尽(つく)す而已(のみ)。
(十返舎一九『東海道中膝栗毛』「累解」)>
どこまでが本気か、作者の意図はよくわからない。だが、弥治喜多を、笑いものにはしても、悪人扱いしている様子はない。
*ジョルジュ・デュビー他『愛とセクシュアリテの歴史』所収。
(5330終)
夫婦同姓について
~自分や自分の親戚がこんな姓名になったら楽しい?
カネコカネコ
ナツキナツキ
フジオフジコ
コイケケイコ
ヤマダマヤ
ナミキミナ
アラキレイ
ミズタマリ
テヅカミサ
ヒガテルヨ
オオバカヨ
ハナオカミナ
サザンカクニ
ボンドハルナ
(終)